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于建:中国における階級対立(1)

2006-08-28 17:00:42 | 中国異論派選訳
転換期中国の社会衝突-労働者農民の権利擁護闘争の観察と分析

 今後一定の期間、中国では社会衝突が多発するであろう。社会的弱者である労働者農民大衆と政治権力と経済資源を握った社会的強者集団との間の争いがその主な内容である。もしも、効果的な利益代表メカニズムを築いて社会の不公平を解決できなければ、弱者の立場におかれている労働者、農民と下層インテリが連合して、社会の支配的地位にあるエリート同盟に対抗するかもしれない。下層連合とエリート同盟の衝突が革命的な政権転覆をもたらすことを防ごうとするのであれば、中国社会の核心的価値の再構築と公正な立憲主義政治体制の構築が必要である。

 中国が計画経済から市場経済への転換の過程において直面している社会衝突の問題は、非常に敏感ではあるが避けて通ることのできない問題である。もしも、各社会集団の利益要求を直視できなければ、とりわけ社会的弱者の地位にある集団の行う抗議行動を正確に認識し処理できず、それに体制内での利益実現の道を与えなければ、社会の動揺と爆発のエネルギーを蓄積することになるだろう。

過去の中国の社会衝突

 1989年の天安門事件をメルクマールとして、中国の社会衝突は知識エリートの主導する先制的権力闘争から、労働者農民主体の反応的権利擁護闘争へと変化していった。前者の特徴は民主と法制の旗の下に社会的価値と政治体制を再構築することにある。後者は法定の枠組の中で基本的権利の擁護を目指すことを特徴とする。こうした変化の特徴は社会的利益構造とそれによって決定される統治秩序によって決定される。

 1989年以降、とりわけ1992年の小平の南方視察以降、開放された経済分野において出現した公務員の退職商売熱は、一部の知識エリートの政治的情熱を冷ました。同時に、政治的抱負を失ってはいないが現体制に帰属することを望む知識エリートは、より多くの権力体制への進入ルートを与えられた。こうして、20世紀末の中国には新しい排他的な統治構造が形成され、社会衝突もまた新たな段階に入った。

新しい統治構造の特徴

特徴その1。権力主体としての政治エリート、資本主体である経済エリート、文化主体である知識エリートを代表する。彼らが共同して「合法的」に社会の主要な経済的成果を享受すると同時に、相互間の身分交流メカニズムをほぼ形成している。指導幹部の「知識化」の要求のもとに、多くの知識エリートが権力エリートとなった。権力エリートもまた退職して商売をしたり在職のまま商売をしたりというやり方で経済エリートになった。このことは彼らの政権に対する帰属意識を大いに高めた。共同の利益に駆られて、比較的安定した境界をもつ統治集団が形成され、いわゆる「エリート同盟」が実現した。

特徴その2。広範な労働者と農民は貧困のために経済、政治および社会生活の外縁に追いやられ、周縁化され、社会的弱者集団となった。とりわけ、ほとんどの知識エリートによって見捨てられた労働者農民は無意識と無組織の状態に置かれた。その生存のための正当な利益は正常に表現されず、労働者農民は「失語症」に陥り、集団は無組織の「バラバラな砂」状態である。

特徴その3。このような二元的社会の排他的体制は堅く安定している。強者である社会の核心組織の境界は強く閉鎖されており、弱者である周縁集団は一体として核心集団に溶け込む能力を欠いている。しかも、このような状況は経済発展によっては改善されない。全く逆に、経済の発展は強者の核心組織により多くの資源を提供することによって、周縁に対する排除能力を高める。いったんこの排除体制の周縁境界が形成されると、労働者農民の地位はさらに周縁化され、不可逆的な流れとなる。

 つまり、経済が大々的に発展する「太平と繁栄の世」において、社会的公平に対する関心が欠けているために、労働者農民を周縁化する排他的な体制が出現し、社会衝突もまたその結果労働者農民を主体とする権利擁護闘争の段階に入ったのである。統計によると、全国的な集団抗議事件は1993年8709件であったが、それ以降増加し続け、1999年には32000件に達した。最近3年(2002~2004年)は毎年40000件以上である(2005年は8.7万件との報告が2006年の政治協商会議でなされた)。これらの事件の誘引は基本的には労働者や農民の利益が侵害されたためであり、主体はほとんどが労働者、農民である。

 知識エリートの権力闘争は比較的典型的な社会運動の形で表現される。それは、基本的価値理念の統一の願望のもとに行われる集団行動である。それは、一定の組織と規模をもつ。一方、労働者農民の権利擁護活動は一種の課題型の抗議行動であり、具体的な事件と具体的な要求であることがその多発性と分散性を決定付けている。労働者、農民は一般に直接社会の核心理念を攻撃することはなく、伝統的政治言語と法律の枠組の中に権利擁護の根拠を見出す。

労働者の「理による権利擁護」と農民の「法による抗議」

 現在の労働者と農民の権利擁護闘争の特徴としては、労働者の「理による権利擁護」のテーマは経済的権利とそれに関連する民主的管理の権利であり、農民の「法による抗議」は土地紛争を焦点とする。労働者と農民という二大集団の社会的地位と当面する問題には違いがあるため、彼らの権利擁護闘争にも多くの違いがある。

 第一に、権利擁護闘争の根拠が異なる。農民は「法による抗議」であり、労働者は「理による権利擁護」である。税・負担金であれ土地であれ、農民は多くの場合国の法律と共産党中央・中央政府の文書を根拠とし、「農民負担の軽減」と「村民自治」の完全実行を要求の目標とする。彼らは彼らの苦しみは県や郷の政府あるいは村の幹部が法律と共産党中央・中央政府の文書の通りに仕事をしていないからだと考えるからである。労働者の権利擁護闘争はイデオロギーを根拠とする。労働者の要求文書の中に最もよく見られる理由は「中国は社会主義国家であり、我々労働者階級は国家の主人であり、共産党は我々労働者階級の前衛であり、工場は我々自身の工場だ」というものである。多くの労働者の想像の中では彼ら自身まだ国家の権力の中心におり、彼らの闘争は「理による権利擁護」と概括することができる。

 第二に、権利擁護闘争の内容が異なる。農民は負担の軽減と村民自治の実現が中心である。近年、地方政府と開発業者の農民の土地権益を侵害し、土地問題がきっかけの衝突が増加し、土地権益の擁護が中心テーマになりつつある。労働者の闘争は経済的権利が中心である。定年退職した労働者は受け取るべき福利厚生を求めて「食べさせろ」と主張し、解雇された労働者は働く権利の実現を求めて「仕事をよこせ」と主張している。国有企業改革が進められている企業の労働者は職場を守るために「国有財産の流出防止」を主張している。生活が完全に「資本主義体制」のもとにある雇用労働者は「約束どおりの賃金支払い」と労働条件の改善などを目標としている。

 第三に、権利擁護闘争の対象が異なる。農民は末端政府機関を直接の闘争目標としている。農民から見れば、末端政府機関が国の法律と共産党中央・中央政府の政策を忠実に実行しないために、彼らの権益が損なわれているのである。労働者の闘争の対象は企業管理者と資本所有者である。国有企業の労働者にとって、彼らの失業や福利厚生を受けられないことは、企業管理者の腐敗と無能がもたらしたものだ。そして、「資本主義体制」のもとにある労働者は、資本家と企業管理者を闘争の目標とする。労働者と農民の闘争対象の違いの重要な根源は、農民権益の損害の表面的原因は末端政府機関にあり、共産党中央・中央政府は農村末端の共産党と政府を改革の対象としているという点である。一方、労働者の権益の損害の決定は中央からもたらされ、地方政府は比較的関係が薄い。しかも国は往々にして資本家側に立つので、地方政府の行為に合法的根拠を与える。

 第四に、闘争の主体と組織が異なる。労働者の闘争の組織指導者は主に一定の知識と人望をもつ失業者、定年退職労働者および党幹部や組合幹部などの幹部である。農民闘争の中心分子は退役軍人、退職して故郷に帰った国家幹部、村民小組幹部などである。農民権利擁護闘争組織は「負担軽減グループ」、「負担軽減会」、「権利擁護会」などと名乗ったり、直接に「農民協会」と名乗ったりするが、多くの場合「負担軽減代表」、「陳情代表」と名乗る。労働者の組織は「学習グループ」、「工場防衛隊」、「毛沢東思想学習グループ」などと名乗ったり、直接に「デモ指導グループ」や「ストライキ委員会」と名乗ったりする。比較的労働者の組織は公開度が高く、明確な組織規律がある。農民の組織は多くが地下組織であり、主に道義的な拘束のみで、比較的柔らかな組織である。

農民権利擁護活動と中国政治の発展

 ここ10年余りの中国の農民権利擁護活動はこの時代の特定の社会的政治的環境のもとで発生したものである。農民は全国総人口の4分の3を占めるとはいえ、彼らは経済的に搾取されているだけでなく、国の政治生活の埒外に排除され続けており、「正式な政治プロセスにおいてその真の権利代表を有しない」社会的弱者集団である。よって、彼らの闘争活動は弱者の反抗にならざるをえない。つまり「法的には認められ」ながら「政治的に禁止された」行動である。これは中国政治が法治主義でないことを示している。しかし、だからといって農民の権利擁護活動に政治的意義がないというのではない。農民の権利擁護活動と国の政治は非常に複雑な相互作用があり、我々が中国政治を理解するために多くの情報を提供してくれる。

 第1に、農民の権利擁護活動は社会的圧力となり、権力者に政治の観点から農民のおかれた状況を理解させ、その政策の修正を迫る。政府が「各地各部門が農民負担の軽減を政治的任務として取り組むよう」何度も通達を出していることがそのことを十分に説明している。なぜなら農民負担の問題など権益が侵害されたことから生ずる農民の権利擁護活動は、社会の安定と発展に消極的影響を与える要因とみなされるからである。事態の発展に伴って、この「消極要因」は「政治問題」となり、さらに進んで「非常に緊迫した政治的任務」として「すべての政治工作の中で最も重要なもの」となる。これは、権力者が農民の権益侵害の政治的結果を認識し、国家の政策を変更することによって利害関係を調整したことを示している。

 中国の改革は農村からはじまったが、それは農民が餓えていたことから彼らを貧しさに苦しめる体制に対して離反したからである。この離反の圧力が小平などのリーダーに認められ、かれらはそれを中国農村改革の動力とした。引き続き農民権利擁護活動の提起する政治的主張に乗って、それを合理的に中国の新しい農村政策に転換するか?我々はすでに、中国の新しい世代のリーダーの農民権利擁護問題についての民意尊重の特色を見た(訳者:最近の弾圧状況を見たら大いに疑問!)。「民に優しい」が彼らの主な政治的トレードマークとなった。学者たちが云う新民本主義とは民権の擁護をその中心とする。

 もちろん、農民の権利擁護活動と権力者の政治的行為が一致するためには条件が必要だ。最初の条件は農民の権利擁護活動を体制内の政治的参加と政治的話し合いに包摂し、制度上農民の権利擁護活動の合法性を保障することである。農民が自己の法定の権利を守る行為は現実政治の枠組の中では成果を上げることは難しい。そのことは農民の権利擁護活動の要求を権利擁護から社会の統治(自治)権の獲得に発展させる。そして権利擁護活動がいったん政治運動の段階に達すると、権力者に対する厳しい挑戦となる。

 第2に、農民の権利擁護活動は多くの面で末端政府機関の統治行為の変更をもたらし、農村の政治的話し合いを可能とする。農民の権利擁護活動の直接の目標は末端政府機関であり、彼らは中央の権威を基礎として、中央の政策と国の法律を一種の基準として地方政府機関の行為を判断しようとする。そして、多くの場合地方政府の監督者の身分で行動する。このように、農民は事実上地方政府が必ず考慮しなければならない政治勢力となる。

 この政治勢力に対し、地方政府は初めは弾圧して消滅させようとする。彼らは国家権力やヤクザ組織を使って、農民の代表者にさまざまな迫害を加える。こうした迫害は農民の代表者を消滅させることができないばかりか、反対に集団衝突事件を引き起こし、社会秩序と統治の安全を乱す。こうした事態は中央政府をして地方政府の行為を束縛する措置をとらせ、農民に対しては一定の懐柔措置を講じさせる。中央政府のこうした態度は、農民に公正な役人の存在を感じさせ、彼らの行為に合法性と正当性を与える。そして、迫害された農民の代表者は英雄となる。このことはより多くの農民の権利擁護活動への参加をもたらす。

 一方地方共産党組織と地方政府は中央の安定要求と農民の権利擁護活動の二重の圧力のもとに、あるものは放任の態度をとり、あるものは権利擁護代表者の買収を働きかける。一部の農民代表の力の比較的強いところでは、地方共産党政府は農民代表を話し合いの対象と認めざるを得なくなっている。ある政策を実行する時、農民代表の意見を聞き、彼らが農民を説得してくれることを期待する。こうした話し合いは始まったばかりで、制度化されていないが、その意義は大きい。

 第3に、農民権利擁護活動は現代的権利について知識エリートを啓蒙する。そして中国の政治的発言の状況を変える。この1世紀あまり、毎回中国で社会的危機が起きると、知識エリートが啓蒙主義の旗を振ってきた。体制内の変革であれ、体制外の叫びであれ、知識エリートは中国社会発展の発言権を自己の手中に独占してきた。それが知識エリートの発言権と権力者の統治権力が結合したとき、知識エリートによって宣伝された政治的言説は中国社会発展経路と方式となり、さらにはある種の社会モデルの代名詞となる。彼らは「知識」の政治的権威を強調するために、西側の政治的言説を頻繁に移植する。しかし、この移植された言説が中国民衆の社会的現実と乖離し、中国の歴史的文脈と政治文化の前提を無視したものであれば、社会に福音をもたらすとは限らない。中国の近現代はその大部分が、まさに権力者と知識エリートが共同で作りあげた専門化した社会言説体系の中で、広範な労働者と農民という社会の主体が徐々に社会的弱者集団となっていく過程であった。

 歴史はついに我々に違った景色を見せようとしている。ここ10年の権利擁護活動の中で、農民は自らの力で権力者に影響を与え、しかも自らの行動で知識エリートを教育している。一部の先鋭的インテリがいわゆる「新民権行動」の旗を掲げ、立憲政治、民主と民権を叫んだ時、中国の農民はすでに自らの合法的権益のために闘争していた。このことは、中国民衆のフィールドの経験とフィールドの智慧は巨大な張力を持っているということを説明している。この張力は民衆の最も現実的な生存要求に発している。広範な農民はまさに自らの生存経験と生存の智慧をもって、その独自の行動方式によって、権力者と結合した知識エリートの言説に抵抗している。この種の抵抗の意義は決して軽視してはならない。なぜならそれは一定程度中国社会の進む方向を決定し、あるいはそれに影響を与えるからである。まさにこの種の抵抗が、多くの知識エリートに、農民権利擁護活動が中国の民主と法制運動の重要な表現形式であり、中国市民社会の出現に積極的な意義を有することを知らしめた。民衆が自らの生存状況の中から生み出す社会行動のみが、長い生命力を有する。そして、書斎の中で設計されたいかなる社会モデルも、発展計画も、農民の不屈の権利擁護活動の前ではいかにも幼稚なものでしかない。

 第4に、農民の権利擁護活動は農民自身をも変えてゆき、彼らは法による権利擁護活動の中から政治的経験を得て、そのリーダーの政治的智慧を育て、同時に農民全体の政治的要求を高める。農民が「法に依る闘争」から「法を以ってする闘争」に向かいつつある。「法に依る闘争」の段階では、主に「課題型権利擁護」であり、すでに発生した具体的事件について単一の権利擁護要求を提出する。「法を以ってする闘争」の段階になると、農民が行うのは「法定型権利擁護」であり、具体的事件に依存せず、「法定権益」の基準で彼らの一切の境遇を判断する。法定の権利は彼らの行動の基本的枠組となり、彼らの行動も一層理性的で我慢強くなる。「暴力を超える」が明確な組織を持った権利擁護農民たちの重要な目標と特徴となる。初期の暴力的権利擁護から、近年の理性的権利擁護へと、中国農民の権利意識は日増しに高まっているのである。

 しかし、農民の要求にはいずれも明確な法的根拠があったとしても、彼らの行動は法律の保護を受けられない。多くの場合、農民の理性的闘争は権力者の承認を得られない。まさにこの市民的権利意識の高まりと権力者の市民的権利の無視という状況こそが、各種の社会的衝突の増加をもたらしている。これらの衝突は、中国社会の進歩をもたらすかも知れず、また社会混乱の根となるかもしれないのである。

 さらに注意しなければならないことは、農民が権利擁護活動で挫折した後に出現する集団意識の覚醒である。農民権利擁護活動は明確なイデオロギーを持っているわけではないが、彼らが農民という社会的集団を通じて自らの運命を認識し理解することを否定することはできない。彼らは闘争の目標を「法定権益」から人類の普遍的に尊重されるべき基本的人権に向けるようになる。「現代の農奴を解放せよ」というスローガンを提起した農民リーダーはその中の傑出した人物である。法定権益の獲得から立法権獲得への闘争もまた必然的発展方向である。「法を以ってする闘争」から「法に依る参政権の実現」が彼らの次の目標になると予想することができる。これらはいずれも中国の末端政治の性質を変えていくであろう。

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