韓国のノ・ムヒョン大統領が、4月下旬に発表した対日政策特別談話をどう考えればいいのだろう。竹島周辺での日本の海洋調査の動きを植民地支配の歴史と絡めて批判、強硬姿勢を打ち出したもので、韓国では「歓迎一色」だと伝えられている。
「韓国ではナショナリズムは支配のイデオロギー。権力そのものです」と説明する。「今回の発言、その発言への支持も、韓国社会の民族主義的情緒を反映したという脈絡から見るべきでしょう。韓国では右であれ左であれナショナリズムに包摂されていますから」。
ノ大統領の発言に、日本では困惑が広がっている。
「小泉首相の靖国参拝や民族主義的な発言が日本でいかに政治的に消費されているかを理解すれば、ノ大統領の発言の韓国社会におけるメカニズムも理解できるはずです。両者は相互を補強・補完する関係にあるのですから」。
現状を打ち破るには「民族主義を超えた歴史を描き出すことが必要だ」と主張する。研究と活動の母体「批判と連帯のための東アジア歴史フォーラム」は99年にスタート。日本で西尾幹二氏の『国民の歴史』が刊行され、韓国でも話題となっていたころだ。
日韓の研究者に参加を呼びかけ、当初は東アジア共通の歴史教科書作りを目指したが、すぐに撤回した。討論の結果、「急ぐべきは一国史のパラダイムを壊すことだ」との見解で一致したからだ。近代国家の枠組みから歴史を見る限り、新しい歴史像は描けないとの判断だった。
04年に出した『植民地近代の視座』(共著、岩波書店)では、より明確に歴史観をめぐる問題点を指摘している。
「日本のアジアに対する侵略や支配の事実が教科書に記述されれば、歴史認識における対話とその共有が可能になるのだろうか」と疑問を投げかけ、さらに「歴史教科書問題で問われている最大の問題は、日本の近代をどのように理解し、世界史の中でどのように位置付けるのかについて、共通の認識基盤が形成されていないことにある」と主張した。それは、東アジアがどのように近代を迎えたのかという大きな問題を設定し、先導した日本と、日本と深く関係しながら近代を迎えた韓国や中国、台湾の歴史を描きなおすという、枠組みの転換の必要を訴えたものだった。
「国境とは何か、考えてみませんか」と呼びかける。「済州島の音楽は、韓国の伝統的な音楽とは音調が異なる。沖縄の音楽が、日本の伝統音楽と違うことも知られているが、済州島と沖縄の音楽は類似点があるとの研究がある。済州島がいつから韓国で、沖縄がいつから日本だったのか。近代国民国家の人為的な境界から過去を見てはいないのだろうか…」
近代以前において国境とは点であり、ゾーンだった。漁師たちが漂着する場であったり、文化の交流の場であったりしたのが、国民国家が線をひいたことで領土の意識ができて、紛争の場になった--と説明する。そして、「ナショナルヒストリーを掲げる歴史家たちに利用されてはいけない」。
靖国問題でも、「A級戦犯を除けばいいという問題ではない」と視点の転換を唱える。「日本のファシズムは大多数の市民の支持を受けたものだった。韓国でも少数の親日派の責任として解決できるものではない。翼賛体制は大衆に受容されていた。とても悪い体制だが、なぜ作動し、それが可能だったのかをしっかり振り返らないと、ファシズムが再び到来してしまうだろう」と訴える。
「韓国にも国立墓地があり、無名戦士の搭がある。祖国と民族のために死んだ人を美化するナショナリズムの政治宗教、世俗宗教の神殿だ。韓国は被害者だから神殿をもっていいが、日本は加害者だからもってはいけないという論理にはならない。根本的に考えることが必要だ」と問題を提起する。
さらに、「国家の命令で死んだ人に謝罪し、国家が反省する場を作ることが大切だ」と説く。「靖国神社の遊就館を見ると、もう一度同じような危機があればおまえたちは呼び出されるということを告げている。靖国は反省の場ではない」。
現状を打破するインフラとして、東アジアの歴史や問題点を研究する、国の枠を越えた研究財団の設立を提案する。
「韓国で私はマイノリティー、デモ、足場は確実に広がっています」。
(渡辺延志)2006年5月11日夕刊