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朝日新聞連続インタビュー歴史認識/パク・ファンム

2006-05-17 14:10:54 | Weblog

「敵対的な共犯関係」。日本と韓国の間の歴史観の相克を、そう名づける。
靖国神社や歴史教科書など両国間に問題が起きると、日本の左派と韓国のナショナリストたちが共闘するように批判の声を上げる。反発した日本の保守派は一層硬化する。韓国で民族主義の枠を超えた研究をすると、日本のナショナリストたちが利用して、そのような研究は国内で一段と白眼視される。互いの国の右と左が同盟のような関係にあり、結果として残るのは強化されたナショナリズムと対立だけだ、という分析だ。

背景には、苦い経験がある。日本語資料に通じる研究者は韓国には少ない。研究するほど「日本びいき」との批判を浴びる。

自ら企画し、ソウルで3月に開催したシンポジウム「日程の戦時体制と朝鮮人動員--徴兵・徴用・慰安」は、植民地政府が朝鮮人をどのように戦争へと駆り立てたのかがテーマだったが、「動員」の前に「強制」の文字がないのは韓国の学会では前例のないことだった。自身の発表は植民地政府の「援護体制」に焦点をあてた。動員の際に約束した反対給付の実態を資料や証言をもとに探った。日本側がむちをふるい強制的に戦場や過酷な労働に追い立てたという韓国の従来の歴史観には、まったくなかった視点だ。
「日本の右翼の代弁だ」などと厳しい批判を浴びた。「植民地支配は悪であるという前提が大きすぎて、悪の実態がどのようなものであったか具体像が描けていないのはおかしい。歴史が善か悪かで語られている。人間や社会は多面的で、そんなに簡単に語れるものではない」と考えている。

日本の歴史研究については、「加害者意識が強すぎて実態に言及してこなかったのではないか。90年代以降に日本で歴史修正主義が登場しても有効な反論ができないのは、当時の時間空間に立ってみる構想力がないからではないか」と指摘する。

視点の転換は80年代の半ば、留学していた東京での経験がきっかけだった。
靖国神社で、韓国からの参拝者に出会った。志願兵だった父親を戦争で亡くした遺族だった。「靖国=植民地支配の象徴」「志願兵=親日派=民俗の裏切り者」という韓国の常識から、「参拝するのは許せない」と食ってかかると、「分かってもらえないだろうが」と父を亡くした悲しみを語ってくれた。どちらの国からも顕彰されることはなく、死の理由さえ隠さなくてはいけない。「父がまつられているのは靖国しかない」との言葉に反論はできなかった。志願兵には定員があり、彼の父が志願しなければ、別の人が志願しなくては行かなかったはずだ…。「植民地支配と、その下での生活の実像を明らかにしなくては」と思い立った。

日韓はなぜ分かりあえないのか。個人レベルの和解ができていないと考える。日本は国家の名で動員した人々への責任感がない。責任感があったとしても、何もしておらず、欧州と比べて責任をとらない。韓国側から日本はそう見えるという。

モデルと考えるのは英国とアイルランドの関係だ。第一次大戦で、英国支配下のアイルランドからは志願兵として25万人が英軍に参加。5万人が戦死したが、独立後のアイルランドでは「裏切り者」とされてきた。80年後に20世紀末になり、両国で慰霊や顕彰の事業が始まり、和解の機運が高まった。
兵士や労働者などさまざまな形で日本の戦争に参加し、倒れた朝鮮半島出身者は数多い。そうした犠牲者の遺骨を探し出し、共同でまつることはできないか。両国が和解へと向かうきっかけにできないか、と提案する。

日本がとかく比較されることの多いドイツについては、「ドイツが特別な民族だから反省したわけではない。どこまでも近隣諸国との関係の中で歴史を振り返り、反省を深めたのです」と指摘する。

大学で授業をしていて、学生から「独島(竹島)問題をどう思うのか」と質問された。
「竹島は日本のものであり、独島は韓国のものである。お互いに大切なものだ」とこたえた。

「歴史は社会の産物です。社会が違う日韓で歴史認識が違うのは当たり前。多様性を認め合い、議論を深めれば必ず共感できるはずです。ナショナリズムは近代国家に生理的につきものですが、病理的になってしまう危険を常に認識しなくてはいけません」。

(渡辺延志)2006年5月15日夕刊


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