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于建:私はなぜ農民協会の再建を主張するのか

2006-10-01 17:32:08 | 中国異論派選訳
2003年3月12日

 2003年3月8日、私は清華大学公共管理学院NGO研究所に招かれ、「農民の組織的反抗」というテーマの講演をした。その講演の中で、私はここ数年湖南省で行ってきた社会調査で得た資料をもとに、わが国のとりわけ中部地区農村の1995年以降、農民の負担と幹部の作風などの問題を原因として発生した一連の直接末端政府にむけられた集団抗議事件を紹介した。これらの事件においては、「陳情代表」、「負担軽減代表」などの名義で「農民利益代表者」が現れた。そして彼らは「負担軽減チーム」、「負担軽減委員会」、「負担軽減監督チーム」、「負担軽減権利擁護会」などさまざまな名称の農民の自発的組織を作った。現在では農民協会再建という政治的主張をするまでに発展した。これに対して、首都の各大学の学者は激烈な討論をした。まとめると、争点は主に3つある。一、農民協会は革命組織なのか社会統合組織となりうるのか?二、農民協会の設立と末端政府機関との関係は?三、隠れた動機をもつ者が農民協会組織を利用したらどうするか?
 これらの争点について私の考え方を述べる。

農民協会は社会統合組織となりうる

 清華大学のある学者は、農会(農民協会の略称)は行うべきではないという。なぜならこのような革命組織は社会秩序に巨大な破壊作用を及ぼすからだというのだ。
 農会を革命組織とみなし、社会秩序と安定を破壊するというのが現在多くの人が農会設立に反対する理由である。さらに言えば、権力者が農会に不安を持っている。しかし、私が思うに、このような不安は理解できるが、だからといって農会設立に反対する理由とはならない。歴史と現実がはっきりと証明しているように、農会は革命組織である必然性はなく、多くの国では社会利益の統合組織であり、秩序維持組織であった。
 歴史的に見れば、中国最初の農会は近代社会の自治思想と関連して、清末「新政」改革期に生まれたものである。ブルジョアジーとその代理人の提唱の下に、1898年に清国の光緒皇帝が上諭を発し、正式に「各省、府、州、県に学堂(学校)を設立し、広く農会を設立し、農業新聞を発刊し、耕地を購入し、郷紳や承認のもとにある土地を耕作者が管理することを試す」ことを正式に命じた。1907年清朝の農工商部は『農会簡明規程』を制定発布した。その奏折は「農会を設けることは、農業の根幹を整理することである。その趣旨をまとめると、3つになる。知識を広め、栽培法を改良し、社会と協力する、と言うことである」。その利益も3つある。一つは「議論を勧めることは、聡明に通じ、実業に生かすことができ、教育普及を図ることができる」。二つは、「広く新しい方法を試し、改良に励むことは、粗放的なやり方を精緻に改め、増収をもたらすことができる」。三つは、「団結を図り、共に交易を目指せば、発展することができ、人の力と智慧をあわせれば、辺境と中心の格差を無くすことができる」。中華民国元年(1912年)、国民政府農林部は『農会暫定規程』を公布し、各県に農会を設立するよう要求し「もって農事の改良と発展」を図った。つまり、清国末期と民国初期の中国の最初の農会は社会経済自助組織であり、その趣旨は農業の発展であった。
 農会を革命組織に変えたのは毛沢東を首領とする共産党員だ。大革命期に共産党が指導した農会組織は、国家の権威が動揺した状況の元で、政権と対立する共産党が、農村社会革命を行う一種の政治権力の道具となった。毛沢東は『湖南農民運動考察報告』の中で、農会の「主な攻撃目標は大地主、不法地主であり、付随的に家父長制の思想と制度であり、県城の汚職管理であり、郷村の悪習である」。1927年7月20日、中国共産党中央委員会は「農字9号」通告を発付してその中で次のように述べた。「農民協会はすでに職業組織ではなく、貧困農民を主体とする農村政治連盟である。農民協会は、事実上手工業者や小学校教員、小商人を含む一般農民をまとめるだけでなく、大地主の影響を離れ、農会に同情を寄せる小地主もまた農民協会につなげている。従って、農民協会は現在では農村の中の貧困農民とその他のプチブルジョア階級の革命的政治連盟・農民政治権力である。これは農村政治権力の正しい形式である。」。これこそが、「すべての権力を農会へ」のスローガンのもとに、共産党が指導した農会の伝統農村社会の政治関係に対する非情な攻撃であった。徹底的に地主階級の政府を転覆することを企図して、農民協会が新しい政治権力の形式となったのだ。農会が伝統的農村秩序に猛烈な攻撃を加えたために、革命陣営の分裂を促した。地主の利益を代表する国民党右派は農民協会に不満が大きく、農民協会を伝統の枠に納めるよう努めた。共産党の中の陳独秀を代表とする「右傾機会主義者」もまた、農民協会の行動を規制することと引き換えに国民党との統一戦線を求めた。農民協会もまた第一次革命の失敗により合法的生存空間を失った。
 その後、国民党統治地域の農会組織は二つの段階をたどった。すなわち1928年の『農民協会組織条例』と1930年の『農会法』をメルクマールとする再建段階と、1938年の『各級農会調整弁法』をメルクマールとする整頓段階である。その内、国民政府の公布した『農会法』は、農会は農民経済の発展と農民の知識の増進、農民生活の改善を通じて農業の発達を図ると定める。その目的は、「一方で社会道徳の向上、知識技能の増進、生産と生産額の促進をつうじて生計の目的を達成する。また一方で、その組織を健全にし、内に向かっては政府の協力し、国民党の土地政策を実行し、全力で共産党匪賊を討伐し、もって社会の安寧を図り、地方自治を促進する。外に向かっては民族意識を高め、自衛能力を啓発し、共に国家民族の存亡の危機を救う」とある。もちろん、このときの農会は実際上は国民党と共産党が農民指導権を争奪する組織であり、農村末端政治権力の補充形式であった。
 この歴史状況は、農会は農村社会秩序を破壊する武器になることもできれば、社会統合の道具となることもできることを説明する。共産党はかつて農会を農民を革命に参加させる道具として使い、農会組織を使って一連の革命活動をした。だから、農会は多くの中国人の心の中では社会革命組織でしかない。これは中国革命が我々に残した記憶であり、この記憶が強すぎるがゆえに、我々は農会が普通は社会統合組織であるという事実を忘れている。
 実際、今日の農民が設立を提案している農民協会は、対抗組織ではなく、調整と統合の組織である。2003年1月22日、衡陽県の27名の「負担軽減陳情代表」が農民協会設立を協議した時に提出した趣旨は、共産党と国家の政策を宣伝し、すべての農民をまとめ、農民の合法的権益を擁護する。貧困者を支援し、農民を市場に導き、共に豊かになる。社会の安定を擁護し、社会の暗黒勢力を除去する、とうことである。
彼らの約束は、政策宣伝は正確に行い、政策を強固に執行し、1人が困ったらみんなで助け、汚職とヤクザを取り除き、団結してゆとりある生活を目指し、永遠に共産党に忠誠を誓う、とうことである。
彼らが明確に指摘するのは、農民協会は農民自身の組織であり、共産党の指導のもとで、自分たちの合法的権益を保護し、農民に法律を学ばせ、末端政府機関の業務の監督をする。農民協会の再建の目的は農民が政治参加し、政治を議論できるようにすることであり、農民の本音を合法組織を通じて共産党に伝え、農民の心と党の心をつなげることができる。農民の陳情を減らすことができ、社会安定に非情に役立つ、ということである。
他の省の農民も類似の主張をしている。安徽省の農民がまとめた農会綱領には主に次の内容が盛られている。「農民大衆の合法的権益を擁護する。国家の法律、政策を宣伝する。わが国の民主と法制度を改善するために力を尽くす。農業標準化、農業技術普及などの面で積極的な役割を担う」。河北省の二人の農民が起草した『中華人民共和国農会法』に列挙された農会の主な任務は、「農業・農村・農民とその他の行為、社会団体の間の関係を調整し、農民と各級政府公務員との間の矛盾を緩和し、会員の行政による権利侵害に対する訴訟を代理し、農民に関する行政による権利侵害事件の司法手続を監督し、農民陳情事件の発生を減少させる」。これらはみな、現在の農民が設立を要求する農会とは、農民の利益をまとめ、表現する組織を持つためであり、それは政府と話し合う政治参加組織であり、政府と対抗する革命組織ではない。

農会は農村末端政府機関にとって代わるか?

 北京大学のある著名な政治学者は、もしも農民協会が設立されればこの大衆組織は末端政府機関にとって代わり、より多くの問題が生じるという。たとえば、誰が農村に公共サービスを提供するか、誰が国の政策の農村での執行に責任をもつかなどである。
 たしかに、共産党の政治理論と革命実践の中では、農民協会は一種の末端政治権力であった。大革命期の毛沢東はすべての権力を農会に集中せよと主張した。政治権力奪取後の一時期農会は農村土地改革の「合法的執行機関」となった。1950年6月、中央人民政府委員会が施行した『中華人民共和国土地改革法』は、「農村農民大会は、農民代表およびそれが選出した農民協会委員会、区・県・省各級農民代表大会およびそれが選出した農民協会委員会を、土地制度改革の合法的執行機関とする」と定めている。1950年7月、政務院は『農民協会組織通則』を公布し、改めて農民協会を農民の自発的な大衆組織であると規定したが、しかし同時に「中華人民共和国土地改革法に基づき、農民協会は農村における土地制度改革の合法的執行機関である」としている。このときの農民協会は実際には末端政府機関の役割を果たしており、土地改革の執行機関であった。しかし、共産党は農村の力を動員して「農民協会」を組織するとき、国家行政コントロールの外の政治力とする意図はなかった。そのため、土地改革が完了したとき、農村社会権力体制の中で最も重要な政治力である農民協会は、悄然と中国農村社会の政治舞台から退場した。1953年春に土地改革の再検査が終了し、農村政府機関が徐々に整備されると、各級農民協会の業務は徐々に農村政府組織に移された。農民協会幹部は、その多くが郷(村)幹部となり、1954年春には選挙を通じて郷人民代表大会が成立し、郷農民協会組織は郷人民代表大会にとって代わられ、郷より下の農会組織も村政府機関にとって代わられた。
 しかし、世界の多くの国の農会の場合は、農会は末端政府機関として存在しているのではない。日本の農会は明治政府が日本の封建農業の近代化のために造った社会団体だが、農業技術研究組織の末端として造られたもので、しばしば農民の利益を代表して政府に圧力をかけるので圧力団体と呼ばれるが、政府機関ではない。台湾では、農会は農民の利益保障、農民の知識技能の向上、農業近代化の促進、増収増益、農民生活の改善、農林経済の発展を趣旨とする公益社会組織である。農民の大衆的組織を持って末端政府機関にとって代えるというのは革命党だけが行うことで、一種の社会の非常状態の政治構造である。
 実際、私の湖南省の農村調査によると、少数の負担軽減陳情代表は農会の成立目的は農民が自分自身の主人公になることだと考えているが、誰も「すべての権力を農会へ」とは主張していない。彼らは誰も政府の権威に挑戦し、共産党の指導を否定し、政府にとって代わろうとはしていない。全く反対に、、彼らの農会の位置付けは積極的に共産党の指導を擁護し、共産党の政策が農村において無視され妨害されることを防ぐという点にある。彼らは、農会の最も重要な機能は農民を組織することであり、組織して初めて秩序だって自らの利益を主張でき、組織して初めて農民が合法的権利を守る活動が法律に違反しないようにできるということである。
 疑うべくもなく、現在農民が農会の再建を主張するのは、根本的には県と郷の二級の政府に対する信頼を失っているからである。しかし、彼らは県郷政府をひっくり返そうとしているのではない。彼らの最大限綱領は県郷政府がいかに忠実に共産党と国家の政策を実行するかという問題について公平な談判を行い、それを通じて県郷政府の重大な共産党の政策に対する違反を防ぐことにある。最も重要なのは、農民協会の成立は、現在のわが国の農村の多くの地区において生じている政治管理体制の空白を補うことができるということである。この空白とは、農民の利益を取りまとめて農民の利益を代表する組織がなく、農民に必要なサービスを提供できる組織がないということである。空白が出現した原因は次の3つである。(1)郷鎮政府は上級の指令への対応と組織の維持に精一杯で、農民の経済発展に情報サービスや技術サービス、市場サービスを提供する力も余裕もない。(2)村民委員会は行政村に限られ、地区経済を統合する力はなく、効果的な経済規模にならない。(3)郷鎮人民代表大会選挙は形式に流れ、農民の政治参加の機能を発揮できない。この空白を埋めようとすれば、農会の成立は多分コストの最も低い選択肢である。郷鎮人民代表大会選挙の改革は、政治体制の改革であり、政治コストが高い。郷鎮長の直接選挙のもたらす競争は、農村社会の分裂をもたらすかもしれない。民衆の強力な監督がなければ、郷鎮政府の簡素化は実現が難しい。しかも、幹部管理体制のカギは制度化した方式による住民監督の導入であり、農会は監督ルートとなることができる。この点から見ると、農民協会は幹部管理体制改革にむけた民間パワーである。管理が適切であれば、農会は農民、地方リーダー、中央政府に対して算法有利の局面を提供することができる。第一に、農民の負担は農会と地方政府の交渉により軽減される。第二に、地方リーダーは農民の反対を借りて上司との値引き交渉能力を高めることができ、少なくとも交渉の政治的リスクを減らすことができる。第三に、中央は比較的低いコストで本当の情報を得ることができ、政策違反にたいする禁令が守られることを通じて、自らの権威を再建することができる。
 つまり、農民の農会設立の要求は、指導が適切であれば、最小の政治的コスト、社会的コストと経済的コストで、現在の農村管理体制の空白を埋めることができ、政治体制改革実施のための基礎を固めることもできるのだ。

農会は悪人に利用されるに決まっている?

 清華大学の非政府組織の専門家は聞いた、農民協会が成立しても、悪人に利用されたらどうするのか?
 その時の私の答えは、農民は私たちの父母であり、兄弟姉妹であります。私たちは彼らと自然の血縁関係があります。私たちは教科書を少し多く読んでいますが、それは私たちが彼らより賢いということを意味しません。彼らは十分な理性により自らの利益と行為の性質を判断できます。もしも、農民自身の協会であれば、悪人も利用できないでしょう。私のこの回答には多くの学者の拍手があったが、私は心の中で象牙の塔の中で生活しているいわゆる学者たちに悲哀を感じた。正確に言うと、悲憤を感じた。
 「陰謀論」あるいは「利用論」は現在多くの政治家や学者が農村の集団抗議事件を解釈する基本的観点である。彼らは一方で農民の提出する要求の合理性と合法性を承認せざるをえないが、一方ではほとんど例外なくこれら事件の組織者は「別の目的を持っている」という。私は、この種の「陰謀論」の見方は問題を簡単に見すぎていて、事実にそぐわず、事態の深刻さと政治性から目をそらすものであり、対策を誤らせると考える。
 中華人民共和国建国以来の歴史を振り返ってみると、我々は共産党政府中央に自信があり、農民を信じている時には、農民は中央と各級政府に対して高度の信頼をもって報いるばかりか、経済・車回・文化など各事業の発展において巨大な創造力と主体的な進取の精神を発揮してきた。中央が農民の思想、行為及び財産を押さえ込もうとするときは、地方と末端政府は権力乱用と農民からの収奪に走った。第11期3中全会以後、共産党中央は大きな勇気を持って、経済活動という虎を檻から放したが、20年余りの実践は、中国人民は共産党の指導のもとで完全に市場経済という猛虎を操縦できるということを証明した。中国の三農問題は農民から出たのではなく、権力者から出たのだということができる。権力者は農民を尊重しなければならず、さらに重要なのは農民を信じなければならないことだ。権力者の自信、権力者の農民に対する信任、農民の権力者に対する信任の3者が相互に因果となり、同時に消長する。しかし、権力者はこの相互作用の中で、主導的な地位を占めている。
 私が思うに、江沢民同志の三つの代表思想は、つまるところ最も広い人民大衆の利益を代表するということである。人民の利益を代表したければ、人民の声を聞かなければならない。人民自らに話させ、農民自らに話させなければならない。農民は実はずっと話してきている。彼らの話は、自覚的に農民の利益のために話をする知識人(私を含む)よりもさらに優れており、さらに深刻である。共産党中央が農民の本当の心の声を聞こうとするなら、十分な自信、十分な農民に対する信頼が必要であり、さらに、農民の信頼を勝ち取る努力をしなければならない。これを行う前提は、政治上の農民に対する認識を改めることである。
私の考え方では、半世紀あまりの共産党の指導により農民は共産党中央を固く信頼しており、長年の革命宣伝は農民に主人公としての公民権の観念を深く植え付けており、20年余りの改革開放は農民に一定の経済的自主権を与え、文化教育の発展により農民に独立して政治的判断を行う能力を身につけ、現代の通信と宣伝は農民が共産党中央の政策情報を得るルートを与えた。これら一切が共産党と国家が以前のような命令式のやり方で農民を管理することをできなくしている。時代と共に進むのが中国共産党の生命線であり、政治的に農民を信頼し、農民の公民権を尊重し、広く農民と対話して時代の要求にこたえていくことが、中国政治文明発展の必然の趨勢である。

原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/
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国慶節に、共産党独裁の早期終結を予祝して(訳者)。