「そりゃ、逮捕されて罰を受けるのが嫌だったからでしょ?」
と一言で済ませてほしくはない。
そりゃそうだけど、それだけじゃない人間の心理と生き方ってあるんじゃないのかな?
と考えて書いたのが今回の記事だ。
タイトル写真は、先日、徒然と書いた記事にも掲載したが、恵比寿駅の東側、明治通りと駒沢通りの交差点「渋谷橋」の歩道橋だ。
80年代後半、私が初めて「オウム真理教」と“出会った”のがこの歩道橋の上だった。
当時の会社が人形町(&小伝馬町)から、恵比寿に移転した。
その会社が渋谷橋にあったわけだが、移転してすぐ、この歩道橋の上に貼ってあったのがオウム真理教のポスターだった。
数枚まとめて貼られていた。
私の記憶では、青色の背景に、白い衣装を着た長髪で髭顔の麻原、という構図のポスターだったと思う。
が、じっくりと見たわけではなく、オウムという宗教団体の存在も知らなかった。
その時私が感じたのは、何か得体の知れない気味の悪さ、そして強い生理的嫌悪感だった。
その後、彼らがマスコミに取り上げられたり、選挙に出馬し、恵比寿駅前での奇妙なパフォーマンス(選挙運動)を見て、オウム真理教の存在を知ったわけだ。
だんだんわかってきたことだが、恵比寿はオウムの青山総本部から駒沢通りを青山方面に坂を上って下りれば徒歩20分とかからない。
つまり、彼らの縄張りでもあったのだ。
サリン事件後、村井という教団幹部が刺殺されたが、その翌日の昼休み、青山総本部の前まで行ったこともあった。
警備の警察官の、「何も起きませんよ! 道を空けて下さい」という声を聞きながら。
私も、当時の「オウムウォッチャー」だったわけである。。。
まず、オウムが話題になる時、私が知る限り、比較対象として言及されるのが「連合赤軍」である。
そのあたりは、『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』という田原総一郎の著作があるし、少なくとも私以上の世代の人間にとって、両者を連想することは不自然ではない。
それに「アルカイダ」も同様だ。
が、今回は田原の書籍の内容云々ではなく、私の考え方を記してみたい。
「連合赤軍」「オウム真理教」に共通するものを、「アルカイダ」をまぶせつつ記していく。
(同書については最後にまた触れる)
■「世直し」願望は贅沢病
まず、ぶっちゃけ、「世直し」の願望っていうのは、
(1)社会のフレームが確固としている(確固としていると信じられている)
(2)経済的には成長が信じられている
という前提(意識的、無意識的)のもとで、ある一定の規模の集団が持つものであるということだ。
もちろん、連合赤軍や当時の新左翼各派、オウムの考えた「世直し」「理想社会」なんてのは、もし実現したら、大多数の国民にとっては迷惑千万なことだけど。。。
60年代後半から70年代前半にかけての「学生叛乱の時代」って、まだベトナム戦争中だったし、米国、仏国をはじめとする先進国では、同時多発的に学生運動が盛んだった。
だが、先進国の政治・経済・社会は決して破綻していたわけではないどころか、とりわけ日本の場合、まだ高度経済成長下で、客観的に見れば「先行き」が暗いわけではなかった。
もちろん、これは現代から視た見解で、当時の若い人達は自分達なりに危機意識を抱いていたことは認めるが、そうだったとしても、「先行き」が視えなかっただけで、55年体制のフレームは確固としていたのである。
団塊世代(1947~1949年生まれ)を、「全共闘世代」と呼んだりもするが、当時(東大闘争のあった1969年)の大学進学率はたかだか15.4%に過ぎなかった。
その15.4%うち、さらに数%の学生が、ヘルメットやゲバ棒で「武装」していたに過ぎなかったのだ。
つまり、当時の産業社会で前途を保障された恵まれた、ごく少数派のインテリ層が主導した運動だったわけだ。
そして、それは当時の「トレンド」(流行)の最先端だったんだと思う。
おそらく、先鋭化した指導層の一部以外は、社会に出たら日本を代表する企業社会で力を発揮されたことだと思う。
(そういう学生を強烈に嫌悪したのが、『ノルウェイの森』を書いた同世代の村上春樹である)
オウムの地下鉄サリン事件は1995年で、バブル崩壊後の“失われた10年”にあたる。
が、しかし、坂本弁護士事件をはじめとする彼らの「テロ」は80年代後半から行われており、5月に放映されたのNHKスペシャルによると、彼らには80年代から大規模な武装化とテロ(いや戦争か・・・)の構想があって、準備を進めていたことが明らになった。
80年代後半といえば、バブル景気に向かいまっしぐらの時期だ(プラザ合意は87年)。
つまり、経済的な繁栄が当たり前だった時代の“あだ花”であったことは、「連合赤軍」(以下「連赤」)もオウムも変わらないわけだ。
(ここまでは、ごく当たり前の見解・・・)
■水平思考のない、垂直思考という「視野狭窄」
2001年9月11日、アルカイダのテロによりニューヨークの世界貿易センタービルをはじめ、米国の主要施設が攻撃された。
そのとき、私が思ったことは、「新しい形態の戦争が始まった!」ということだった。
が、先述の田原の著作を読んだところ、実は、アルカイダと米国の「戦争」は90年代初頭から開始されていたことがわかった。
「新しい形態の戦争」は続いていたのであり、「9・11」とは、イスラム原理主義者の大攻勢に過ぎなかったわけだ。
米国にとっては「テロ」だが、イスラム原理主義者にとっては「聖戦」という立派な戦争である。
「テロ」について考えてみよう。
連赤という組織が形成される前、京浜安保共闘や共産主義者同盟赤軍派は、交番の襲撃や猟銃店への強盗事件を頻繁に起こしていた。
これは「テロ」であり、政府や市民社会の側から見れば「犯罪」以外の何物でもない。
ただし、「テロ」を行う側にとっては、「革命戦争」なのである。
世界史を見ればわかるが、例えばロシア革命(1917年)。
帝政ロシアを打倒した、レーニンを指導者とするボルシェビキ(ロシア社会民主労働党左派で“多数派”の意味)は、当時のロシアで頻繁に「テロ」を行っていた。
ボルシェビキの幹部で、レーニンの死後、ソビエト共産党の書記長となったスターリンは、政権奪取前、ボルシェビキの「資金調達戦闘団」に属していた。
何をしていたのか? といえば、ぶっちゃけ銀行強盗である。
「銀行強盗」でも、革命成就のための資金調達という“聖なる”目的があれば立派な行為だ、というのは洋の東西を問わず常識だったのであり、学生叛乱の時代の日本でもそれは変わらなかった。
わが国の明治維新でも、薩摩、長州をはじめとする勤皇の志士たちは、京都を血で染める「テロ」をやりまくっていたのであり、それを抑える役目の“幕府の犬”だった新撰組も同様の人殺し集団だった。
しかも、新撰組なんぞは、勤皇の志士との闘いでの死者よりも、自分達が粛清した=内ゲバで殺した死者のほうが多かったというから始末が悪い。
まさに連赤だ・・・。
桂小五郎も高杉晋作も、正真正銘の「テロリスト」だ。
で、維新が成就したら、かつての「テロリスト」も英雄として政府の要職についたわけである。
まあ、歴史なんて“勝てば官軍、負ければ賊軍”なんだけど。。。
ただ、ここで問題にしたいのは、1970年前後のわが国が、はたして「革命」の時期だったのか? ということだ。
時代を覆う「空気」がそれを望んでいたのか? と言い換えてもよい。
本気で「革命」を信じていた層も少なくはなかっただろう。
あまり語られることはないが、その10年前の「60年安保闘争」のときは、政府転覆があり得たのだから。
(岸信介首相と弟の佐藤栄作の二人は、首相官邸で、「もう終わりだろう」と覚悟したのにも関わらず、反安保運動は大衆運動としては大きかったが組織的には脆く、もう少しのところで引いてしまったわけ・・・)
特に1970年代以降生まれの諸君には、全く想像できないことだろうが、少なくとも80年代までは「55年体制」が続いており、左・右の対立構造があった(マスコミの世界では、「朝日新聞」「岩波書店」が代表的な左翼系の論壇)。
が、「55年体制」が崩壊するまで、社会党(現在の社会民主党)が政権を獲ることができなかったように、あくまでも自民党を与党とする日本「社会のフレーム」が確固としており、旧左翼、新左翼ともに、「社会のフレーム」を構成する“アンチ勢力”としての位置づけと役割しかなかったのである。
つまり、70年代前後の「革命」なんて、新左翼の先鋭的な指導層や真面目すぎる構成員にしかリアリティはなく、「世の中」にとってリアリティどころか、迷惑なもの、いや、どうでもいいものでしかなかったわけである。
(ここで注釈:よく「日本人はおとなしい」といわれているが1973年、当時の国鉄の順法闘争にブチ切れた通勤電車の乗客、それもほとんどがサラリーマン達が、電車を破壊したという暴動、「上尾事件」も発生した。政治的なイデオロギーとは関係なかったはずだ。つまり、70年代前半の日本は、そんなアナーキーな「空気」にも覆われていたのである・・・)
上信越自動車道路で群馬県内を通る時、妙義山の峻嶮な姿を目にする。
そのたびに私の頭をよぎるのは、連赤の「妙義山アジト」のことだ。
70年代当時は、今のように交通網が整備されてはいなかったはいえ、所詮、狭い日本だ。
山深いとはいえ、たかが関東の山の中に籠って、中国共産党の「長征」を気取って、山岳軍事拠点を転々とし、リンチで仲間を殺しながら、浅間山荘の壮絶な銃撃戦で終止符を打った彼らのことが思い出されるのだ。
(小学校の林間学校で行った榛名山麓、榛名湖では、アジトの跡とか案内され、「ヒェー、怖いよ~、、、頭のいい人って怖いよな。。。オラ、バカで良かったよ」と、クレヨンしんちゃんのように盛り上がったこともあったが・・・)
つまり、幼稚なのだ。
「革命ごっこ」にしか思えない・・・。
これはオウム真理教の、クソ真面目だが、それゆえ滑稽極まりない行動に対して感じたのと同じ感情だ。
それは、世の中全体を俯瞰するという健全な「水平思考」が彼らにはなく、自分達にとって都合のいい領域のみ深く掘り下げる「垂直思考」を病的に突き詰める、という態度ゆえである。
拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』の第1章で私の規定した、「大きな世間」(国家など)を正確に捉えることができない、あるいは無視をしつつ、「小さな世間」(この場合、自分の属する組織)の論理のみを肥大化させるという病理だ。
こういった病理は、カルト集団だからより濃厚に現れるわけだが、われわれだって決して無縁のことではない。
最近、マスコミで見聞することは殆どなくなってきたが、たとえば総会屋対策で、上場企業の総務担当者が贈収賄で逮捕されたりといった、企業人の不祥事といことがある。
おそらく当人は脱法意識がなかったり薄かったり、と思うのだが。
あっ、検察庁の不祥事があったか。。。
こういう不祥事も、「大きな世間」よりも、自分の属する会社のような「小さな世間」のほうが大事だよ! というわれわれのごく自然な態度ことから起きるのである。
組織には「組織防衛」本能というのがあって、とりあえず組織に所属する人間はその本能に忠実だ(笑)。
■人の心にもある「サンクコスト」
高橋容疑者が今でもオウムへの信仰があったのかは(バッグの中には教団の関連書籍が10冊あったという)、今後の捜査状況を見守るしかない。
が、われわれの常識で考えればこうだろう。
「オウムの化けの皮が剥がれたし、いい加減、自首したらよかったのでは? 逃亡生活のストレスも相当なものだろう・・・」
人の心の中ってそうそう単純ではないのだろう。
逃亡生活を続けていても、
「ひょっとすると逃げ切れるのではないか?」
「逃げるのは疲れた。。。」
といった、矛盾する心理が錯綜するのではないかと推察する。
そんな葛藤を抱えつつも、なぜ逃亡生活を送る、という人生しか選択できなかったのか?
「過去からの生き様は、そう簡単には否定できない」
そういう心理もあるのではないか? と私は推察する。
たとえ教祖の化けの皮が剥がれたとして、自分にかつてのような信仰心など消えたたとしても、家族を捨ててまで「出家」し、教団に身も心も捧げたという行為を後から反省しようとも、そうそう自己否定できるものではない。罰を受け、新しい自分になる、という決断は難しかったのではなかったのか? ということだ。
そういう不器用な人間もいるのではないか?
と私は考えてしまうのだ。
「過去の自分は間違っていたのだから、早々に軌道修正をする」と合理的に判断できない人だっているに違いない。
「自分のアイデンティティ=過去からの連続性にがんじがらめになる」人と言い換えてもいい。
経済学には、「サンクコスト(埋没費用)」という概念がある。
これを人間の心理にあてはめてみると、こういうことだ。
「たとえ間違っていたとしても、自ら選んでここまで生きてきた人生は、そう簡単に軌道修正はできない」
とても不器用な態度だ。
しかも、クソ真面目だ。
「自分は教祖に騙されていた・・・」と、合理的に考えて態度を翻す(=転向)する心理とは違う。
しかし、日常生活を生きるわれわれにとっても、決して無縁な態度ではないだろうか?
で、もしも、私が事件の当事者だったら? と想像することもある。
私も十分、不器用なところのある人間だからだ。
だが、どこかいい加減で、ちゃらんぽらんな側面もあるから何とか今まで生きてこられたのかもしれない(苦笑)。
もうひとつ付け加えると。
物理で「慣性の法則」ってあるけど、人や社会がなかなか方針転換できないというのも同じようなものかもしれないということ。
この記事の最後を読んでほしい。
1945年、どう考えても勝つどころか、破滅一直線でしかなかった戦争を、自分達で終結させることのできなかったわれわれの日本という国の姿だ。
ここまでが私の仮説だ。
***************************************
『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』で、元共産主義者同盟叛旗派最高指導者で、文筆家・会社役員の三上治氏は、田原との対談で以下のように述べている(田原は三上氏を、理想と現実という相反するものを、実に絶妙に調査わせるリアリスト、と高く評価している)。
最後は、少々長くなるが、三上氏の言葉で締めさせていただく。
連赤もオウムの問題も、実は1945年までのわが国全体が抱えていた問題でもあったからだ。
戦争中、軍国少年だった田原は、爆弾による自爆テロを行うことを切望していたそうだ。
そして神風特攻隊とは、アルカイダそのものだったのだことを忘れてはならない。
<以下、黒字部分が引用箇所>
ここが大事なところなんですが、前向きに、しっかりした戒律をもった、しっかりした人物というのは、意外にいざというときになると、全然、役に立たなかったりするんです。グズで、役に立たないと思ってったやつが、いざとなるとやるんですよ、現場で。というのは、人間はね、想像で死ぬことを考えたり、想像力でいろんなことを考えるということと、現実の場面に臨んでやるというのは違うんだと。このことが非常に大事なことなんですよ。
ということはね、戒律や軍律や教育で何とかきちんとした人間に育てようとしても、きちんとなりはしないんですよ。いざとなったらね、本人が積み上げた、自分の修練してきた歴史が全部出るしかないんです。戒律や軍律や、そんなもので縛ったりできるもんじゃないんです。
こんなごく当たり前のことを森が理解できていれば、きっと人を殺したりはしなかったんじゃないかと思うんです。何かをやる前の晩、どんちゃん騒ぎして、酒盛りしてね、みんなで歌ってね、なるべく楽しもうぜと。人間、何やるか、その場に行ってみなければわからないからって。それでいいんじゃないかと、人間ってね。そういう考え方がないとダメなんです。
戒律や宗教で人を縛ろうとする、これ、無理なんですよ。それはね、一番単純だけど、一番大事なことで、政治や宗教をやる連中が、一番陥りやすい罠なんですよ。
(中略)
結局、自分の中の怖さをね、戒律で縛るということですよね。すると、自分の中に恐怖をもってる連中は、自分のそれを自分で縛るだけでなく、他人に強要するんですよ。つまり、自分に対する自己不信が、自己不信であればいいけど、他人に対する不信として出てくるわけですよ。だから、結局、自分に怖さをもっている人間が・・・・・・。
(田原:怖いというのは自分を信用していないということですか。)
そうです、自分を怖れていると、「制度の言葉」に救いを求めるんです。共産主義化でもそうですけれども、制度の言葉がありますよね。どんどん制度的言葉に収斂していくことに対して、制度におさまらない人間の身体がもっている言葉というか、ちゃらんぽらんさや無意識ということも含めて、自分の持っている感覚を信じるというか、そういう発想がないんじゃないですかね。
(田原:制度におさめようとするための言葉とか行動よりも、自分の身体から無自覚に発せられる言葉や行動ということが大事なんだと。)
大衆運動とは、そういうことだと思ってましたね。
(田原:身体からの言動がなくなったとき、三上さんはここは引き時だと思ったわけですね。)
ええ。
(田原:塩見氏たちの赤軍派の運動が、連合赤軍になっていくときに、ここが潮時だよと。これはやめたほうがいいよという人が、一人でもいればよかったんですよね。)
ええ、いいと思いますね。でもそれはね、田原さん・・・・・・。
(田原:難しい?)
戦争中にもいえなかったわけですよね。「もうここらでやめようや」とは。孤立してまでそういうことをいうのはね、なかなか難しいんですよ。そう思いますね。
(同書371~374ページより)
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▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
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そりゃそうだけど、それだけじゃない人間の心理と生き方ってあるんじゃないのかな?
と考えて書いたのが今回の記事だ。
タイトル写真は、先日、徒然と書いた記事にも掲載したが、恵比寿駅の東側、明治通りと駒沢通りの交差点「渋谷橋」の歩道橋だ。
80年代後半、私が初めて「オウム真理教」と“出会った”のがこの歩道橋の上だった。
当時の会社が人形町(&小伝馬町)から、恵比寿に移転した。
その会社が渋谷橋にあったわけだが、移転してすぐ、この歩道橋の上に貼ってあったのがオウム真理教のポスターだった。
数枚まとめて貼られていた。
私の記憶では、青色の背景に、白い衣装を着た長髪で髭顔の麻原、という構図のポスターだったと思う。
が、じっくりと見たわけではなく、オウムという宗教団体の存在も知らなかった。
その時私が感じたのは、何か得体の知れない気味の悪さ、そして強い生理的嫌悪感だった。
その後、彼らがマスコミに取り上げられたり、選挙に出馬し、恵比寿駅前での奇妙なパフォーマンス(選挙運動)を見て、オウム真理教の存在を知ったわけだ。
だんだんわかってきたことだが、恵比寿はオウムの青山総本部から駒沢通りを青山方面に坂を上って下りれば徒歩20分とかからない。
つまり、彼らの縄張りでもあったのだ。
サリン事件後、村井という教団幹部が刺殺されたが、その翌日の昼休み、青山総本部の前まで行ったこともあった。
警備の警察官の、「何も起きませんよ! 道を空けて下さい」という声を聞きながら。
私も、当時の「オウムウォッチャー」だったわけである。。。
まず、オウムが話題になる時、私が知る限り、比較対象として言及されるのが「連合赤軍」である。
そのあたりは、『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』という田原総一郎の著作があるし、少なくとも私以上の世代の人間にとって、両者を連想することは不自然ではない。
それに「アルカイダ」も同様だ。
が、今回は田原の書籍の内容云々ではなく、私の考え方を記してみたい。
「連合赤軍」「オウム真理教」に共通するものを、「アルカイダ」をまぶせつつ記していく。
(同書については最後にまた触れる)
■「世直し」願望は贅沢病
まず、ぶっちゃけ、「世直し」の願望っていうのは、
(1)社会のフレームが確固としている(確固としていると信じられている)
(2)経済的には成長が信じられている
という前提(意識的、無意識的)のもとで、ある一定の規模の集団が持つものであるということだ。
もちろん、連合赤軍や当時の新左翼各派、オウムの考えた「世直し」「理想社会」なんてのは、もし実現したら、大多数の国民にとっては迷惑千万なことだけど。。。
60年代後半から70年代前半にかけての「学生叛乱の時代」って、まだベトナム戦争中だったし、米国、仏国をはじめとする先進国では、同時多発的に学生運動が盛んだった。
だが、先進国の政治・経済・社会は決して破綻していたわけではないどころか、とりわけ日本の場合、まだ高度経済成長下で、客観的に見れば「先行き」が暗いわけではなかった。
もちろん、これは現代から視た見解で、当時の若い人達は自分達なりに危機意識を抱いていたことは認めるが、そうだったとしても、「先行き」が視えなかっただけで、55年体制のフレームは確固としていたのである。
団塊世代(1947~1949年生まれ)を、「全共闘世代」と呼んだりもするが、当時(東大闘争のあった1969年)の大学進学率はたかだか15.4%に過ぎなかった。
その15.4%うち、さらに数%の学生が、ヘルメットやゲバ棒で「武装」していたに過ぎなかったのだ。
つまり、当時の産業社会で前途を保障された恵まれた、ごく少数派のインテリ層が主導した運動だったわけだ。
そして、それは当時の「トレンド」(流行)の最先端だったんだと思う。
おそらく、先鋭化した指導層の一部以外は、社会に出たら日本を代表する企業社会で力を発揮されたことだと思う。
(そういう学生を強烈に嫌悪したのが、『ノルウェイの森』を書いた同世代の村上春樹である)
オウムの地下鉄サリン事件は1995年で、バブル崩壊後の“失われた10年”にあたる。
が、しかし、坂本弁護士事件をはじめとする彼らの「テロ」は80年代後半から行われており、5月に放映されたのNHKスペシャルによると、彼らには80年代から大規模な武装化とテロ(いや戦争か・・・)の構想があって、準備を進めていたことが明らになった。
80年代後半といえば、バブル景気に向かいまっしぐらの時期だ(プラザ合意は87年)。
つまり、経済的な繁栄が当たり前だった時代の“あだ花”であったことは、「連合赤軍」(以下「連赤」)もオウムも変わらないわけだ。
(ここまでは、ごく当たり前の見解・・・)
■水平思考のない、垂直思考という「視野狭窄」
2001年9月11日、アルカイダのテロによりニューヨークの世界貿易センタービルをはじめ、米国の主要施設が攻撃された。
そのとき、私が思ったことは、「新しい形態の戦争が始まった!」ということだった。
が、先述の田原の著作を読んだところ、実は、アルカイダと米国の「戦争」は90年代初頭から開始されていたことがわかった。
「新しい形態の戦争」は続いていたのであり、「9・11」とは、イスラム原理主義者の大攻勢に過ぎなかったわけだ。
米国にとっては「テロ」だが、イスラム原理主義者にとっては「聖戦」という立派な戦争である。
「テロ」について考えてみよう。
連赤という組織が形成される前、京浜安保共闘や共産主義者同盟赤軍派は、交番の襲撃や猟銃店への強盗事件を頻繁に起こしていた。
これは「テロ」であり、政府や市民社会の側から見れば「犯罪」以外の何物でもない。
ただし、「テロ」を行う側にとっては、「革命戦争」なのである。
世界史を見ればわかるが、例えばロシア革命(1917年)。
帝政ロシアを打倒した、レーニンを指導者とするボルシェビキ(ロシア社会民主労働党左派で“多数派”の意味)は、当時のロシアで頻繁に「テロ」を行っていた。
ボルシェビキの幹部で、レーニンの死後、ソビエト共産党の書記長となったスターリンは、政権奪取前、ボルシェビキの「資金調達戦闘団」に属していた。
何をしていたのか? といえば、ぶっちゃけ銀行強盗である。
「銀行強盗」でも、革命成就のための資金調達という“聖なる”目的があれば立派な行為だ、というのは洋の東西を問わず常識だったのであり、学生叛乱の時代の日本でもそれは変わらなかった。
わが国の明治維新でも、薩摩、長州をはじめとする勤皇の志士たちは、京都を血で染める「テロ」をやりまくっていたのであり、それを抑える役目の“幕府の犬”だった新撰組も同様の人殺し集団だった。
しかも、新撰組なんぞは、勤皇の志士との闘いでの死者よりも、自分達が粛清した=内ゲバで殺した死者のほうが多かったというから始末が悪い。
まさに連赤だ・・・。
桂小五郎も高杉晋作も、正真正銘の「テロリスト」だ。
で、維新が成就したら、かつての「テロリスト」も英雄として政府の要職についたわけである。
まあ、歴史なんて“勝てば官軍、負ければ賊軍”なんだけど。。。
ただ、ここで問題にしたいのは、1970年前後のわが国が、はたして「革命」の時期だったのか? ということだ。
時代を覆う「空気」がそれを望んでいたのか? と言い換えてもよい。
本気で「革命」を信じていた層も少なくはなかっただろう。
あまり語られることはないが、その10年前の「60年安保闘争」のときは、政府転覆があり得たのだから。
(岸信介首相と弟の佐藤栄作の二人は、首相官邸で、「もう終わりだろう」と覚悟したのにも関わらず、反安保運動は大衆運動としては大きかったが組織的には脆く、もう少しのところで引いてしまったわけ・・・)
特に1970年代以降生まれの諸君には、全く想像できないことだろうが、少なくとも80年代までは「55年体制」が続いており、左・右の対立構造があった(マスコミの世界では、「朝日新聞」「岩波書店」が代表的な左翼系の論壇)。
が、「55年体制」が崩壊するまで、社会党(現在の社会民主党)が政権を獲ることができなかったように、あくまでも自民党を与党とする日本「社会のフレーム」が確固としており、旧左翼、新左翼ともに、「社会のフレーム」を構成する“アンチ勢力”としての位置づけと役割しかなかったのである。
つまり、70年代前後の「革命」なんて、新左翼の先鋭的な指導層や真面目すぎる構成員にしかリアリティはなく、「世の中」にとってリアリティどころか、迷惑なもの、いや、どうでもいいものでしかなかったわけである。
(ここで注釈:よく「日本人はおとなしい」といわれているが1973年、当時の国鉄の順法闘争にブチ切れた通勤電車の乗客、それもほとんどがサラリーマン達が、電車を破壊したという暴動、「上尾事件」も発生した。政治的なイデオロギーとは関係なかったはずだ。つまり、70年代前半の日本は、そんなアナーキーな「空気」にも覆われていたのである・・・)
上信越自動車道路で群馬県内を通る時、妙義山の峻嶮な姿を目にする。
そのたびに私の頭をよぎるのは、連赤の「妙義山アジト」のことだ。
70年代当時は、今のように交通網が整備されてはいなかったはいえ、所詮、狭い日本だ。
山深いとはいえ、たかが関東の山の中に籠って、中国共産党の「長征」を気取って、山岳軍事拠点を転々とし、リンチで仲間を殺しながら、浅間山荘の壮絶な銃撃戦で終止符を打った彼らのことが思い出されるのだ。
(小学校の林間学校で行った榛名山麓、榛名湖では、アジトの跡とか案内され、「ヒェー、怖いよ~、、、頭のいい人って怖いよな。。。オラ、バカで良かったよ」と、クレヨンしんちゃんのように盛り上がったこともあったが・・・)
つまり、幼稚なのだ。
「革命ごっこ」にしか思えない・・・。
これはオウム真理教の、クソ真面目だが、それゆえ滑稽極まりない行動に対して感じたのと同じ感情だ。
それは、世の中全体を俯瞰するという健全な「水平思考」が彼らにはなく、自分達にとって都合のいい領域のみ深く掘り下げる「垂直思考」を病的に突き詰める、という態度ゆえである。
拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』の第1章で私の規定した、「大きな世間」(国家など)を正確に捉えることができない、あるいは無視をしつつ、「小さな世間」(この場合、自分の属する組織)の論理のみを肥大化させるという病理だ。
こういった病理は、カルト集団だからより濃厚に現れるわけだが、われわれだって決して無縁のことではない。
最近、マスコミで見聞することは殆どなくなってきたが、たとえば総会屋対策で、上場企業の総務担当者が贈収賄で逮捕されたりといった、企業人の不祥事といことがある。
おそらく当人は脱法意識がなかったり薄かったり、と思うのだが。
あっ、検察庁の不祥事があったか。。。
こういう不祥事も、「大きな世間」よりも、自分の属する会社のような「小さな世間」のほうが大事だよ! というわれわれのごく自然な態度ことから起きるのである。
組織には「組織防衛」本能というのがあって、とりあえず組織に所属する人間はその本能に忠実だ(笑)。
■人の心にもある「サンクコスト」
高橋容疑者が今でもオウムへの信仰があったのかは(バッグの中には教団の関連書籍が10冊あったという)、今後の捜査状況を見守るしかない。
が、われわれの常識で考えればこうだろう。
「オウムの化けの皮が剥がれたし、いい加減、自首したらよかったのでは? 逃亡生活のストレスも相当なものだろう・・・」
人の心の中ってそうそう単純ではないのだろう。
逃亡生活を続けていても、
「ひょっとすると逃げ切れるのではないか?」
「逃げるのは疲れた。。。」
といった、矛盾する心理が錯綜するのではないかと推察する。
そんな葛藤を抱えつつも、なぜ逃亡生活を送る、という人生しか選択できなかったのか?
「過去からの生き様は、そう簡単には否定できない」
そういう心理もあるのではないか? と私は推察する。
たとえ教祖の化けの皮が剥がれたとして、自分にかつてのような信仰心など消えたたとしても、家族を捨ててまで「出家」し、教団に身も心も捧げたという行為を後から反省しようとも、そうそう自己否定できるものではない。罰を受け、新しい自分になる、という決断は難しかったのではなかったのか? ということだ。
そういう不器用な人間もいるのではないか?
と私は考えてしまうのだ。
「過去の自分は間違っていたのだから、早々に軌道修正をする」と合理的に判断できない人だっているに違いない。
「自分のアイデンティティ=過去からの連続性にがんじがらめになる」人と言い換えてもいい。
経済学には、「サンクコスト(埋没費用)」という概念がある。
これを人間の心理にあてはめてみると、こういうことだ。
「たとえ間違っていたとしても、自ら選んでここまで生きてきた人生は、そう簡単に軌道修正はできない」
とても不器用な態度だ。
しかも、クソ真面目だ。
「自分は教祖に騙されていた・・・」と、合理的に考えて態度を翻す(=転向)する心理とは違う。
しかし、日常生活を生きるわれわれにとっても、決して無縁な態度ではないだろうか?
で、もしも、私が事件の当事者だったら? と想像することもある。
私も十分、不器用なところのある人間だからだ。
だが、どこかいい加減で、ちゃらんぽらんな側面もあるから何とか今まで生きてこられたのかもしれない(苦笑)。
もうひとつ付け加えると。
物理で「慣性の法則」ってあるけど、人や社会がなかなか方針転換できないというのも同じようなものかもしれないということ。
この記事の最後を読んでほしい。
1945年、どう考えても勝つどころか、破滅一直線でしかなかった戦争を、自分達で終結させることのできなかったわれわれの日本という国の姿だ。
ここまでが私の仮説だ。
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『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』で、元共産主義者同盟叛旗派最高指導者で、文筆家・会社役員の三上治氏は、田原との対談で以下のように述べている(田原は三上氏を、理想と現実という相反するものを、実に絶妙に調査わせるリアリスト、と高く評価している)。
最後は、少々長くなるが、三上氏の言葉で締めさせていただく。
連赤もオウムの問題も、実は1945年までのわが国全体が抱えていた問題でもあったからだ。
戦争中、軍国少年だった田原は、爆弾による自爆テロを行うことを切望していたそうだ。
そして神風特攻隊とは、アルカイダそのものだったのだことを忘れてはならない。
<以下、黒字部分が引用箇所>
ここが大事なところなんですが、前向きに、しっかりした戒律をもった、しっかりした人物というのは、意外にいざというときになると、全然、役に立たなかったりするんです。グズで、役に立たないと思ってったやつが、いざとなるとやるんですよ、現場で。というのは、人間はね、想像で死ぬことを考えたり、想像力でいろんなことを考えるということと、現実の場面に臨んでやるというのは違うんだと。このことが非常に大事なことなんですよ。
ということはね、戒律や軍律や教育で何とかきちんとした人間に育てようとしても、きちんとなりはしないんですよ。いざとなったらね、本人が積み上げた、自分の修練してきた歴史が全部出るしかないんです。戒律や軍律や、そんなもので縛ったりできるもんじゃないんです。
こんなごく当たり前のことを森が理解できていれば、きっと人を殺したりはしなかったんじゃないかと思うんです。何かをやる前の晩、どんちゃん騒ぎして、酒盛りしてね、みんなで歌ってね、なるべく楽しもうぜと。人間、何やるか、その場に行ってみなければわからないからって。それでいいんじゃないかと、人間ってね。そういう考え方がないとダメなんです。
戒律や宗教で人を縛ろうとする、これ、無理なんですよ。それはね、一番単純だけど、一番大事なことで、政治や宗教をやる連中が、一番陥りやすい罠なんですよ。
(中略)
結局、自分の中の怖さをね、戒律で縛るということですよね。すると、自分の中に恐怖をもってる連中は、自分のそれを自分で縛るだけでなく、他人に強要するんですよ。つまり、自分に対する自己不信が、自己不信であればいいけど、他人に対する不信として出てくるわけですよ。だから、結局、自分に怖さをもっている人間が・・・・・・。
(田原:怖いというのは自分を信用していないということですか。)
そうです、自分を怖れていると、「制度の言葉」に救いを求めるんです。共産主義化でもそうですけれども、制度の言葉がありますよね。どんどん制度的言葉に収斂していくことに対して、制度におさまらない人間の身体がもっている言葉というか、ちゃらんぽらんさや無意識ということも含めて、自分の持っている感覚を信じるというか、そういう発想がないんじゃないですかね。
(田原:制度におさめようとするための言葉とか行動よりも、自分の身体から無自覚に発せられる言葉や行動ということが大事なんだと。)
大衆運動とは、そういうことだと思ってましたね。
(田原:身体からの言動がなくなったとき、三上さんはここは引き時だと思ったわけですね。)
ええ。
(田原:塩見氏たちの赤軍派の運動が、連合赤軍になっていくときに、ここが潮時だよと。これはやめたほうがいいよという人が、一人でもいればよかったんですよね。)
ええ、いいと思いますね。でもそれはね、田原さん・・・・・・。
(田原:難しい?)
戦争中にもいえなかったわけですよね。「もうここらでやめようや」とは。孤立してまでそういうことをいうのはね、なかなか難しいんですよ。そう思いますね。
(同書371~374ページより)
連合赤軍とオウム―わが内なるアルカイダ | |
田原 総一朗 | |
集英社 |
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