ご無沙汰しておりました。
インドの山奥で修行してきました。ウソです。(^_^;)
でも、11月30日のU2来日公演(@さいたまスーパーアリーナ)には行って参りました。
今日はU2特集です。
「早くもネタ切れか?」ですって?
いやいや、ネタは無尽蔵にあるのです。
むしろ「出し惜しみ」しているくらいです。
1年半前にmixiにはまって、生まれて初めてCDや書籍のレビューと日記を書き始めて覚えた快感は尽きることを知りません。疲れますけどね。。。
ちと、会社を辞めて2ヶ月以上サボリすぎていたので、取り組むべきことに集中しようと、、、という言い訳はやめましょう。
***************************************************************************
■アーティスト・ブランディングのお手本
iPodの広告にU2の音楽が挿入されただけではないかと思うかもしれない。
しかし、独立、創造性、自己表現、本物、気鋭、商業主義に屈しないなど、
全く共通の価値観を体現する2つのブランドのコラボレーションは、実に
絶妙である。iTunes限定アルバム・リリースやU2コラボ限定iPodなど、
巧みなプロモーションもまた、このキャンペーンをさらに強固なものにした。
コラボの相手がブリトニー・スピアーズだったなら、このような形では語れ
かっただろう。
(『テレビCD崩壊』Joseph Jaffe著、織田浩一監修、西脇千賀子・水野さより訳、翔栄社 2006年刊 238頁より)
昨今、マーケティングの世界では「自分ブランディング」なんて言葉がチョコット流行ってます。
「ケッ! 今頃になって何ぬかしやがる。。。」
と思っている私ですが、昔から私個人の“テーマソング”は、U2のThe Flyという曲です。
人は請い願うだろう
人は這いつくばるだろう
愛という険しい側面を
壁を這う蝿のように
わかりきったことさ
愛、ぼくらは輝く
燃え尽きる星のように
落ちて行くのさ
空から・・・今夜
*「The Fly」(補訳:柴田英里)より
mixiのハンドルネームも、この曲が入っているアルバム「アクトン・ベイビー」(1991年)を使ってます。
私の肩書きは、「アーティスト・ブランディング アナリスト」です。
「君の肩書きは長すぎる」「ビジネス上はもっと短くて覚えやすいように」と、よくビジネス書に書いてあるようなアドバイスを頂くことがよくあります。ありがとうございます(感謝)。
しかし、いいのです。何故ならU2に、
「シティ・オブ・ブランディング・ライツ」
という名曲があるからです。だからいいんです。(半分は本気で言ってます)
■ブランド劣化することのない世界的ロックバンド
1983年、3枚目のアルバム「War」がリリースされ、「New Years Day」で一躍日本でも知名度が高まりました。小林克也さん司会の『ベストヒットUSA』の影響も大きかったです。
U2が日本で有名になる少し前、当時の私(大学4年生)が加入していたバンドが、遠藤みちろうさん(当時「ザ・スターリン」)と非常に近い関係にありました。遠藤みちろうさんがとてもU2のことを評価しているという話を聞いたあたりから、私は注目し始めましたのです。
丁度、名阪ツアーで京都の宿でメンバーとTVを観ていてそんな話になりました。みちろうさんも、みちろうさんの山形大学の後輩のMさん(当時のバンドのヴォーカリスト)も東北出身なので、
「アイルランドの灰色の空、日本の東北地方と通じるものがあるんだなぁ・・・」
なんて漠然と思ってたもんです。
1983年の初来日には、卒論の締め切りをものともせず、渋谷公会堂、中野サンプラザに観に行きました。チケットが入手できなかった中野サンプラザ公演のときは、
「ユーニ、あるよ、ユーニ」
と声をかけまくっていたダフ屋さんから、1万5千円でチケット買いました。2階席の最後部でも満足でした。
今回の来日ではテレビ朝日の『ミュージックステーション』に出演したU2ですが、日本のテレビに出演したのは23年ぶりのことです。
23年前の初来日のときは、『夜のヒットスタジオ』に出演しました。
当時、大学生だった私の周りの多くの人たちのU2に対する評価は低かったのを覚えています。特にテクニック的な面。つまり、「下手だ」というわけですね。
また「ローリング・ストーンズ」のフリークなどにU2を嫌う人が多かったですね。
当時のU2は、パンク・ニューウェーブにカテゴライズされるバンドでしたのでそれもよくわかることでした。「上手いバンド」なんてほとんどいませんでしたから。
彼らの基本価値、特に演奏力などですが、確かに“オールドウェイブ”の人たちから眉をひそめられるのもわかりました。私もU2がロックンロールナンバーをカバーしたブートレックのライブ盤を持っていますが、とても聴けたものではありません。
彼らの基本価値の基礎を作り支えてきたのは、まぎれもなくサウンド・プロデューサーだったのです。当時はスティーブン・リリーホワイトですね(その後、ブライアン・イーノ)。
もちろん、ボノとメンバー各人、バンド自体が輝く原石であったことは確かでしょう。詞も曲もメッセージと精神性・・・。
私が、“ブランド”としてのアーティストを語るとき、アーティストとはメンバー個人のみならず、表には出てこない数多くのスタッフ・クルー・関係者の総体と考えます。
ブルース・スプリングスティーンの来日公演を観にいった私の兄は、SEにU2の「Sunday Bloody Sunday」がかかっていたと私を馬鹿にしたもんです。。。
(スプリングティーンが、U2のプロデュースをしたかったことは有名。U2の観念価値をわかっていたのですね)
だからこそ、20年以上の時を経て、“時代”にビビッドに反応し、表層的なサウンドを変化させながらも、コアな基本姿勢・ポリシーを何ら変えることなく、見事なブランド・リニューアルを図り、セールス的にもグラミー賞22回授賞というビッグバンドになったのは嬉しいかぎりなんです。
ヴォーカルのボノは1960年生まれ。学年は私と一緒です。ラリー(Dr)も。そしてアダム(Bass)は一学年上、エッジ(G)は一年下。
U2のメンバーは私と“同世代”の人たちです。
彼らは世界的なロックバンドのメンバー、私は日本人で取るに足りない一般人です。
しかし、全く違う立場、違う場所で違う時間を過ごしたはずなのに、こう思うのです。
奴らが尖がって活躍している。俺も尖がってていいんだよ。
そして、『ミュージックステーション』でエッジが言った一言。
Be yourself.
パート2(②)は、来日公演の模様を中心に書きます(演奏曲ごとに細かくは書きませんが)。
1983年、大学4年生当時の私です(学生証用写真)
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お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。
インドの山奥で修行してきました。ウソです。(^_^;)
でも、11月30日のU2来日公演(@さいたまスーパーアリーナ)には行って参りました。
今日はU2特集です。
「早くもネタ切れか?」ですって?
いやいや、ネタは無尽蔵にあるのです。
むしろ「出し惜しみ」しているくらいです。
1年半前にmixiにはまって、生まれて初めてCDや書籍のレビューと日記を書き始めて覚えた快感は尽きることを知りません。疲れますけどね。。。
ちと、会社を辞めて2ヶ月以上サボリすぎていたので、取り組むべきことに集中しようと、、、という言い訳はやめましょう。
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■アーティスト・ブランディングのお手本
iPodの広告にU2の音楽が挿入されただけではないかと思うかもしれない。
しかし、独立、創造性、自己表現、本物、気鋭、商業主義に屈しないなど、
全く共通の価値観を体現する2つのブランドのコラボレーションは、実に
絶妙である。iTunes限定アルバム・リリースやU2コラボ限定iPodなど、
巧みなプロモーションもまた、このキャンペーンをさらに強固なものにした。
コラボの相手がブリトニー・スピアーズだったなら、このような形では語れ
かっただろう。
(『テレビCD崩壊』Joseph Jaffe著、織田浩一監修、西脇千賀子・水野さより訳、翔栄社 2006年刊 238頁より)
昨今、マーケティングの世界では「自分ブランディング」なんて言葉がチョコット流行ってます。
「ケッ! 今頃になって何ぬかしやがる。。。」
と思っている私ですが、昔から私個人の“テーマソング”は、U2のThe Flyという曲です。
人は請い願うだろう
人は這いつくばるだろう
愛という険しい側面を
壁を這う蝿のように
わかりきったことさ
愛、ぼくらは輝く
燃え尽きる星のように
落ちて行くのさ
空から・・・今夜
*「The Fly」(補訳:柴田英里)より
mixiのハンドルネームも、この曲が入っているアルバム「アクトン・ベイビー」(1991年)を使ってます。
私の肩書きは、「アーティスト・ブランディング アナリスト」です。
「君の肩書きは長すぎる」「ビジネス上はもっと短くて覚えやすいように」と、よくビジネス書に書いてあるようなアドバイスを頂くことがよくあります。ありがとうございます(感謝)。
しかし、いいのです。何故ならU2に、
「シティ・オブ・ブランディング・ライツ」
という名曲があるからです。だからいいんです。(半分は本気で言ってます)
■ブランド劣化することのない世界的ロックバンド
1983年、3枚目のアルバム「War」がリリースされ、「New Years Day」で一躍日本でも知名度が高まりました。小林克也さん司会の『ベストヒットUSA』の影響も大きかったです。
U2が日本で有名になる少し前、当時の私(大学4年生)が加入していたバンドが、遠藤みちろうさん(当時「ザ・スターリン」)と非常に近い関係にありました。遠藤みちろうさんがとてもU2のことを評価しているという話を聞いたあたりから、私は注目し始めましたのです。
丁度、名阪ツアーで京都の宿でメンバーとTVを観ていてそんな話になりました。みちろうさんも、みちろうさんの山形大学の後輩のMさん(当時のバンドのヴォーカリスト)も東北出身なので、
「アイルランドの灰色の空、日本の東北地方と通じるものがあるんだなぁ・・・」
なんて漠然と思ってたもんです。
1983年の初来日には、卒論の締め切りをものともせず、渋谷公会堂、中野サンプラザに観に行きました。チケットが入手できなかった中野サンプラザ公演のときは、
「ユーニ、あるよ、ユーニ」
と声をかけまくっていたダフ屋さんから、1万5千円でチケット買いました。2階席の最後部でも満足でした。
今回の来日ではテレビ朝日の『ミュージックステーション』に出演したU2ですが、日本のテレビに出演したのは23年ぶりのことです。
23年前の初来日のときは、『夜のヒットスタジオ』に出演しました。
当時、大学生だった私の周りの多くの人たちのU2に対する評価は低かったのを覚えています。特にテクニック的な面。つまり、「下手だ」というわけですね。
また「ローリング・ストーンズ」のフリークなどにU2を嫌う人が多かったですね。
当時のU2は、パンク・ニューウェーブにカテゴライズされるバンドでしたのでそれもよくわかることでした。「上手いバンド」なんてほとんどいませんでしたから。
彼らの基本価値、特に演奏力などですが、確かに“オールドウェイブ”の人たちから眉をひそめられるのもわかりました。私もU2がロックンロールナンバーをカバーしたブートレックのライブ盤を持っていますが、とても聴けたものではありません。
彼らの基本価値の基礎を作り支えてきたのは、まぎれもなくサウンド・プロデューサーだったのです。当時はスティーブン・リリーホワイトですね(その後、ブライアン・イーノ)。
もちろん、ボノとメンバー各人、バンド自体が輝く原石であったことは確かでしょう。詞も曲もメッセージと精神性・・・。
私が、“ブランド”としてのアーティストを語るとき、アーティストとはメンバー個人のみならず、表には出てこない数多くのスタッフ・クルー・関係者の総体と考えます。
ブルース・スプリングスティーンの来日公演を観にいった私の兄は、SEにU2の「Sunday Bloody Sunday」がかかっていたと私を馬鹿にしたもんです。。。
(スプリングティーンが、U2のプロデュースをしたかったことは有名。U2の観念価値をわかっていたのですね)
だからこそ、20年以上の時を経て、“時代”にビビッドに反応し、表層的なサウンドを変化させながらも、コアな基本姿勢・ポリシーを何ら変えることなく、見事なブランド・リニューアルを図り、セールス的にもグラミー賞22回授賞というビッグバンドになったのは嬉しいかぎりなんです。
ヴォーカルのボノは1960年生まれ。学年は私と一緒です。ラリー(Dr)も。そしてアダム(Bass)は一学年上、エッジ(G)は一年下。
U2のメンバーは私と“同世代”の人たちです。
彼らは世界的なロックバンドのメンバー、私は日本人で取るに足りない一般人です。
しかし、全く違う立場、違う場所で違う時間を過ごしたはずなのに、こう思うのです。
奴らが尖がって活躍している。俺も尖がってていいんだよ。
そして、『ミュージックステーション』でエッジが言った一言。
Be yourself.
パート2(②)は、来日公演の模様を中心に書きます(演奏曲ごとに細かくは書きませんが)。
1983年、大学4年生当時の私です(学生証用写真)
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お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。
あえて、何があったのかは、突っ込んで訊かない事にしますね‥‥。
>読んでいる分にはなかなか面白いのですが
「実際にこの人が私の上司だったりしたら、怖いだろうな‥‥」
と、思ってしまいます。
個人的な接触をせず、面白く読んでいるのが幸せなのです。
>あの世代の方々に共通する、大きな特徴なのですね(もちろん、皆が皆そうではないのでしょうが)。
私が在籍したことのある、マーケティング企業の社長(本も執筆していましたし、マスコミに登場したこともあります)がそうでした(某有名私立大学の全共闘のリーダーだったとのこと)。
私が入社する遥か前、鉄拳制裁もあったと聞きました。
実は、私にもそういう「遺伝子」を受け継いだのか(^_^;)、前職のとき、部下を辞めさせてしまった失敗があったのです(もう、パワハラですな・・・反省)。
上司には「厳し過ぎると」言われていました。。。
みちろうさんには、少なくとも2回の逮捕歴があったのですね(爆)。
>「全共闘世代は肉体派で怖いな。。。説教や論破が好きだし。」
これは余談で恐縮なのですが、私の好きな脚本家の内館牧子さんは1948年生まれです。
某出版社の著書のプロフィールにも「全共闘世代」と謳われています。
エッセイの内容から判断して、なかなか血の気の多いお方のようです(内館さん、ごめんなさい)。
読んでいる分にはなかなか面白いのですが
「実際にこの人が私の上司だったりしたら、怖いだろうな‥‥」
と、思ってしまいます。
あの世代の方々に共通する、大きな特徴なのですね(もちろん、皆が皆そうではないのでしょうが)。
ではまた、新しい記事で(^^)。
どもども♪
お久しぶりです。
>一瞬、違うブログに迷い込んだのかと思いました(笑)。
「冬バージョン」にしよううかと、
テンプレートを探していたら、これが見つかりました。
私、「竹」「竹林」が大好きなんです。(笑)
>この番組の主題歌なんですね。
おそらく、井上さんが小学生くらいの時期に観ておられたのだと思いますが。
その通りです。(笑)
小学校でこの歌が流行りました。
あっ、リンクありがとうございます!!!
汎アジア的な、「日本だけのヒーロー」というコンセプトは今、初めて知りました。
>遠藤みちろうさんがU2を高く評価しておられた事と、Mさん(笑)が東北人で山形大学出身だというのは初めて知りました。
みちろうさんは福島県の二本松のご出身です。
大学封鎖でご自分が機動隊に逮捕・連行されるニュースを、実家のご家族に観られてしまった話は有名でした。
山形県ご出身のMさんの2~3年先輩だったような(?)記憶があります。
私がバンドをやっていた当時、
「全共闘世代は肉体派で怖いな。。。説教や論破が好きだし。」
ということを感じたもんでしたが、
社会人になってから嫌というほど思い知らされました。。。(大汗)
>私の学生証はIDカード形式で、写真が印刷されているものでしたが。
ウウウン・・・、世代の違いを実感しますな。。。(爆)
ウチは学生証の返却は求められませんでしたよ。
(自分が気づかなかっただけなのかもしれませんけど)
そのうち、記事に必然性があれば、
高校3年生の生徒手帳用写真も公開しますよ。(笑)
一瞬、違うブログに迷い込んだのかと思いました(笑)。
>インドの山奥で修行
どうしてこの部分の字の色が違うのかなあと思い、クリックしてみました。
多分これと同じですね。
http://www.occn.zaq.ne.jp/momokun/kaikidaisakusen/Rainbowman/Rainbowman.Top.htm
この番組の主題歌なんですね。
おそらく、井上さんが小学生くらいの時期に観ておられたのだと思いますが。
>昔から私個人の“テーマソング”は、U2のThe Flyという曲です。
不覚にも、井上さんのハンドルネームが「The Fly」さんである場合の想像をしてしまいました(汗)。
「アクトン・ベイビー」の方を選ばれたのは、正解だったかもしれませんね‥。
遠藤みちろうさんがU2を高く評価しておられた事と、Mさん(笑)が東北人で山形大学出身だというのは初めて知りました。
その関係で、お二方は関係が深かったのですね。
私は東北に2回ほど旅行で行き、アイルランドには行った事がないのですが、確かに土地柄は似ているかもしれないですね。
>1983年、大学4年生当時の私です(学生証用写真)
‥‥あの、学生証って、卒業時に返さなかったのでしょうか?
少なくとも私の母校の大学では、卒業時に返却を求めてきたものですから‥。
もっとも、私の学生証はIDカード形式で、写真が印刷されているものでしたが。
なんか‥先日から私、井上さんの昔のお写真がらみでは、おかしな質問が多いですね(汗、汗)。
初書き込みありがとうございます!
栗原さんから頂きました知見、このブログでも活かしてきたので尚更、嬉しいです。
ボノ、表現の初期衝動は変わらぬものの、「成熟」しているのは素直に喜べます。
若い頃の先鋭化したアイロニーもいいんですが、やはり視野が広がっているようですね。
>彼等を支えるクルー、スタッフはほぼ全員、デヴュー当時からのメンバーらしいです。
それは素晴らしい!
強力なブランド力を持つ彼らの本質を垣間見た気がします。
クルー、スタッフからのロイヤリティを得ることが出来ず、「個」の才能を活かしきれず長続きしなかった多くのアーティストを見てきました。
このあたりも「ブランディング」の“肝”だと思います。
今回の『ゆーに』来日は、そうとうな大盤振る舞いという印象が深いです。
まさか、タモさんといっしょにボノが生出演するなんて、誰も思いつかんかった事でしょう。
マイミクさんの一人が、今回のU2ジャパンツアーの通訳&コーディネーターをなさっていて、最も彼等に接近した貴重な体験を語ってました。
どうやら以前のイザコザはコレでCharaにしたいというのが、ボノ側の本音みたいです。
彼等を支えるクルー、スタッフはほぼ全員、デヴュー当時からのメンバーらしいです。