南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

これでいいのか、日本人の国際プレゼン能力!

2009-10-07 00:36:52 | オリンピック
この上の写真は、デンマークでの東京のプレゼンテーションの中
で、15才の少女が喋っている時に、スクリーンに登場してくる
写真です。かなり不気味な写真です。この写真は、スクリーンに
数秒間投影されるので強烈に記憶に残ります。映画『ダビンチ・
コード』の中で、トムハンクスがいくつかの写真をスクリーンに
見せて説明をしているシーンを何となく思い出してしまいました。
この不気味な少女の写真は、何か不吉なメッセージが隠されてい
るのだろうかとさえ思いました。見れば見るほど不快感を与える
写真です。オカルト映画のワンシーンのような不気味さです。

おそらく未来は、不安に満ちているというコンテキストの中で、
未来の不安を象徴するという意味で、この写真が選ばれたのだと
いうことは理解できますが、どうしてここまで暗い写真を選ぶ
必要があったのでしょう。こういうビジュアルの選択のおかげ
で東京のプレゼンが、最初からネクラな感じになったのではない
かという気がしています。今回、冒頭の写真のセレクションだけ
でなく、全体的にビジュアルの使い方があまりうまくなかったと
いう印象があります。英語にハンディがあるのなら、むしろ効果
的なビジュアルで勝負という方法もあったかと思います。他の国
のほうがよほどうまくビジュアルを使っていたように思います。

またこういった写真も出てきます。

これも見ていて心地よい写真ではありません。社会のひずみを
説明するための画像です。写真としての質も低く、目を背けたく
なるようなシチュエーションです。

そしてこの地球温暖化を象徴する氷河が崩れ落ちる写真。

氷河の崩壊と地球温暖化との関係がどうなのか正確なところが
よくわかりませんが、ちょっとこれは大げさな感じがします。
たしかに地球温暖化の問題はあり、我々としても、様々な行動
をする必要があるのはわかっています。しかし、オリンピックに
無理矢理、温暖化というテーマをかぶせたのは、ちょっと無理が
あったのではないかという気がしています。

いろいろな人のブログのコメントを見ていると、相変わらず、
東京のプレゼンはよかった、シンプルでよかった、技術的には
一番よかった、というコメントが並んでいます。私は香港に
いるのでよくわかりませんが、石原都知事というのはそれほど
までに絶大な人気を持っているのでしょうか?かなり多くの
ブログが「誰に聞いても東京のプレゼンが格段によかったと
いうんだよね」という石原都知事の持論に無条件賛成をして
いるようなのですから。

また冒頭の15才少女のプレゼンに関しては、英語が流暢で、
堂々としていて、感動した、泣けた、というコメントが目に
つきます。私は先日からこのブログに書いていますが、みな
さんとは違った感想を持っていました。ひょっとして自分が
間違っていて、じつは東京のプレゼンもよかったのではない
かと思って、もう一度、映像を見てみました。でも、見れば
みるほど、こんなプレゼンに満足していたら、日本の未来は
ないし、日本の国際プレゼン能力の成長は期待できないと
思うのでした。日本人よ、目をさませ!

参考までに、マドリッドのプレゼンも見てみました。あらため
て東京のプレゼンに何が足りなかったのかがよくわかりました。
正直言って、マドリッドのプレゼンは、リオデジャネイロより
も勝っていた部分もありました。ビデオ映像はリオデジャネイ
ロのものよりも感動的でした。見ていて泣けてくるほどで、
これを見たら、自分はマドリッドに投票したかもしれないとさえ
思えました。それに比べたら、日本の映像は、ちょっと論外な
感じがしました。こんなビデオの制作に巨額の税金を使っている
のは、税金をどぶに捨てるようなものです。このお金でどれほど
の介護施設や、保育園や、医療施設が救えたかと思うと悲しくな
ります。(ビデオ制作費だけでは限界はありますが、トータルの
誘致プロジェクトにかかった費用は相当なものです)

このプレゼンでは、オリンピックの実行能力のプレゼンと同時
に、いかにこの世界的なイベントを盛り上げられるかを示さな
ければいけなかったのかと思います。リオやマドリッドのプレ
ゼンはそれが見事に表現されていました。マドリッドのプレ
ゼンは、またあらためてレポートしたいと思いますが、東京の
プレゼンには、東京で開催した場合の盛り上がりのイメージが
ほとんど表現されてなかったと思います。

この冒頭の映像もそうですし、15才少女のコメントもそうなの
ですが、オリンピックというお祭りの盛り上がりよりも、未来
の恐怖感が全面に出ていました。そうなると、こんな都市で
オリンピックをしてもあまり面白くないなという気がしてくる
のではないかと思います。

「私は世界中に (all over the world) 友達がいますが、スポーツ
に興味を持てない人が多いです。それはいろいろな問題があるか
らです」少女は、気象の異常とか、善悪の問題、社会的な疎外の
問題、ドーピングなどによる不正などいろんな問題を列挙して
いくのですが、冷静に考えてみると、それらの問題のために
スポーツをする人が少なくなっているという因果関係は成立しな
いのではないかと思えてしまいました。スポーツを楽しめない
人が増えている(ということさえ事実として証明できないと思い
ますが)、もしそれが事実だとしたらそれは、大きな社会問題の
せいであり、それは東京でオリンピックをやったからといって
解決できる問題ではもちろんありません。

未来は、スポーツをする場所もなくなっているかもしれませんと
15才少女は警鐘を鳴らすのですが、世界はマドリッドやリオの
ようにおおらかにスポーツを楽しもうとしている人々は山ほど
いるわけで、国際的に見ると、この少女が訴えていることはまさ
に東京が抱えている問題なのではないかと思えるのでした。
マドリッドやリオの映像を見ていると、スポーツが都市のなかに
溶け込んでいる感じがしました。

東京は環境を強調していましたが、マドリッドや、リオのほうが
よほど都市が緑に溢れていて、環境と一体化している感じがあり
ました。競技施設や選手村などの周辺も、緑に溢れたプランを
出していました。東京のほうは、環境を理念では訴えながらも、
具体的なものは太陽熱エネルギーのスタジアムくらいしかなかっ
た気がします。

地球温暖化を防止するために、なぜオリンピックが必要なのか
(おそらくこの因果関係は証明できないと思います)、また
なぜそれが東京でなくてはならないのかが不明確で、この15才
少女をはじめ、東京のプレゼンターの皆さんの説明の中には
数々の論理矛盾が内包されていて、それが未消化のまま表面上
の形だけを整えたのではないかと思います。そのため、東京の
プレゼンは、オリンピックを盛り上げようという情熱よりも、
未来の問題についてのお説教のような感じがして、小賢しい
と思われたのではないかという気がします。

東京と逆に、ヒューマンタッチを全面に出したマドリッドの
見事なプレゼンを見て、あらためてそう感じたのでした。
ちょっと厳しい意見ですが、これも日本の国際プレゼン能力
を何とかしなければと思うからこそです。

あと、蛇足ですが、「東京のプレゼンの内容が、イギリスの
エージェントを通して他国に事前に漏れていた」という報道
があり、それが理由で東京が不利になったということのよう
ですが、漏れてようが、漏れてなかろうが、これは全く関係
なかったと思いますよ。