その後・・・

続・Nちゃんとの日常です。

課せられている

2020-12-15 22:42:54 | Weblog
昨夜、羊たちの沈黙をやっていて、Aが参考にしたのではと感じるシーンがあったからか、久々に酷い夢を観た。私の母親がふざけて娘を蹴るので、私は「今度やったら殺すからな」と脅す、母は「殺せるもんやったらやってみい!」と挑発する、腹が立って走り寄り母親が担いでいたでかいクッションを拳で思い切り叩く、ガリガリの母親はよろけて壁にぶつかる。そのときの顔は自死する数ヶ月前の兄にそっくりで、落ち窪んだ目は見開いて宙を向いていた。
目覚めてから、暖かな家庭で育つ事ができたならこんな夢は観なくて済んだだろう、と、自己憐憫に浸り奇妙な快感に満たされる。辞めたくても自分ではどうすることもできない、多分きっと、幼い頃から気持ちの悪い人間でいる事が私に課せられている義務だからだ。それでも何人かの優しい人に助けられてなんとか人間として生きている。優しい人は私を気持ちの悪い死んだ方がマシなヤツではないよ、ってメッセージを送ってくれた。
彩花ちゃんのお母さんはAに向けて手記を書いた事を悔やまれだだろう、絶歌を読む限りヤツは犯罪を犯しかねない危ない状態だ。それで再犯に至らないのは、更生を願う思い遣り溢れる暖かな文章のおかげだと思う。恐ろしいから保護して欲しいけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しくて

2020-12-12 10:42:42 | Weblog
彩花ちゃんの本を読んだ。娘も10歳なので共感してしまうと何度も涙が溢れた。強くて優しいお母さんだけど、時々優し過ぎて苦しい、もしわたしに正常な精神を保つ事ができたら、件の中学校の校長が家に来た時、犯罪に加担したとして抗議するだろうし、加害者両親に同情などせずになぜ止められなかったのか聞く。
優しい人がつけ込まれる世の中ではいけないけど悪い奴らは優しさに甘えて悪を増長して行く。(困っている人を助けないと混同する人がいるけれど全く違う)
息子さんと重ねてAが良い友達に恵まれていたならなぁ、と書いてあった、、、絶歌に書いてあったが淳くんはじめ良い友達はいた。友達も殴られていた。愛に飢えて狂った人間は良い人を積極的に傷つけてそれでも自分を許すのか試す。これは発達に失敗した子がやる常識らしい。私にもそういうところがある。もちろんやめたい。
本の後半で少年に向けて更生を願う優しく痛ましい文章が綴ってある、、、、きっと、元少年は何度も救われるのだけど、持続不可能な深い闇を抱えているのだろう、
結局、絶歌の出版もあり許すことができないままに先に彩花ちゃんのもとに逝ってしまった。
人は亡くなると愛だけになるというけど、本当にそうでありますように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修復

2020-12-09 23:34:41 | Weblog
絶歌を読んだ後、まだ読んでなかった淳くんの本を読んだ。少年法について考えさせられる、結局更生は失敗した。私は家庭に恵まれなかったので、生い立ちにより人間形成に失敗した人の気持ちがわかる、その上で犯罪を犯した少年を更生させることには無理があると思う。優しい人達は彼らが心から反省するには愛情が何かを知ることからと言う、幸せな家庭で当たり前に育った人は、被害に遭わない限り不条理な不幸がどれほど人間を壊すのかわからないのかもしれない。自分で制御できない悪魔が暴れる。わたし自身も多分そういうところがある。
読んでいてAの母親が登場する場面は怒りで動悸がした、母親本人も同じシーンで血が逆流するほど興奮しただろう。アイツ私の悪口書いてる!クソ!名誉毀損で訴えたろか、って、母親の心理もなんとなくわかる、私の母もあきらかな私の問題行動を放置というか容認していた。絶歌で少年はこの本を読むと辛くなるとか書いてあったがどう辛いのか教えて欲しい。祖母のあんま機オナニーと、家族を敬愛する文章は同等の気持ち悪さを感じる。
死刑にしてもご遺族は癒されることはない。社会適応するのは不可能だから終身刑はできないのかなぁと思う。刑務所内で生きている限り人の役に立つ仕事をして、日々内観することが必要だと思う。
マスコミは被害者ではなく加害者の生い立ちを追いかけて欲しい、人道的ではないというが、犯罪を犯した少年の生い立ちを明らかにして今後、そのような環境を防止することで、良い社会になると思うのだけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端的

2020-12-08 00:02:28 | Weblog
事件の涙で大阪拘置所の所長が65年前に死刑までの3日間音声の記録を残したことについて放送していた。被害者を支援する弁護士さんは端的に言えば人間だったという事を残したかったのではないか、しかし最後まで被害者遺族に対して何も語っていない、これを聞いて人間だったと言える人は、被害にあっていない幸せな人なのだと、静かに怒っていた。死刑反対の方はあまりに辛い仕事なのでなんとか謝罪の言葉を引き出そうとしていたのではないかと、分析していた。
娘を殺害されたお父さんは、加害者が3年前に私刑執行されたが謝罪の言葉を聞けなかった事で今尚も苦しんでいる。
テープでは殆どが自分と家族に対するものだったが、悪いことをしなければ良かったと。反省の言葉もあった、被害者のお父さんはなんとかその言葉に希望を見いだそうとしているように感じた。
死刑囚は死の直前まで母親を慕っていた。悪い事をしてはいけないと、何故教えてやれなかったのか、全ての母親は説明して欲しい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

挙句の果て

2020-12-05 17:18:31 | Weblog
不要不急じゃないもん!とか言うので娘の友人のプレゼントを買いに街に出かけた。優しく接するのは5時間が限度だった。不可解な不快な行動、何も見ていないのに邪魔なところをうろつく、どれが良いかという質問に答えず鼻唄を歌う、腹たつ。何度かサインを出したつもりだが急に限界が来て無言のまま駅まで歩く、すれ違う優しそうな婦人たちは非難めいた視線を向ける、娘は悲しそうに早足で追いかけていたのだろう。私もそんな母子を見かけたらどうして楽しくショッピングできないのかしら?と思うだろう。どうすれば良かったのか?途中でどうすれば良いのか何故考えられなかったのか、
兆候を感じ対策を練る事って大切だ、意思に反した不義理な行動を続けているといつか取り返しのつかないところまで行く、心の中でウィルスを培養してるような感じ。
娘には、甘やかし過ぎて貴方は自分で何もしない思いやりのない人になっているかもしれないということを伝えた。
自分の経験談で、「昔カッコ良い人と付き合った時にさーママはブスだしさー、嫌われないようにすごく無理してさー、そしたら調子に乗って酷い人になってさー、結局何もいい事なかったわー、、」と、娘はなんかちょっと違うと感じただろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする