その後・・・

続・Nちゃんとの日常です。

惨め依存症

2019-08-28 15:32:15 | Weblog
タイゾーさんの本によると、全ての悪の根源は幼児期に存分に甘えられなかったのが原因だと書いてある、私もそうだと思う。
惨め依存症など、見に覚えのある事ばかりだ、けれども、私は決して良い子ではなく、怒りをあからさまに他者にも発散させることができたから、嫌われてイジメられても、ノイローゼにはなるけど鬱にはならないのだと思う。
本を読むと、無理をして良い子でいることが自死の危険を孕んでいることがわる。娘は良い子の部類だけど、私にはやたらと突っかかてくる。ここで充分甘えさせてあげないと将来精神を病むのではないか?と我慢する時もあるが、たまに腹が立って数倍言い返してしまう。
はたして神経症の母親が、自覚し努力することで健やかな人間を育てることができるのだろうか?よく時々思うのは、子育てとは、どんな方法であれ、そこに愛がありお互いに愛を感じることができれば上手くいくのではないかな。



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幸せになるための基本的態度

2019-08-24 11:20:31 | Weblog
パニック障害を発症した20年以上前にかーとぅタイゾーです!の本をたくさん読んだ、神経症が治りたかったからだ。生い立ちに問題があるところは理解できたが、エリート家庭で優等生として生きるしかなかった恨み辛みの文章があまりに自分とは違うので読まなくなった。
最近、道端で友達と一緒に居る娘と偶然会う時の心地悪さが、かーとぅタイゾーです!本に、大学の構内で父親に出くわした時、どうして良いのかわからなかったことを大問題のように何回も書いてあったことが思い出されて、気になっていた。
本屋さんにある新刊を立ち読みしたら悪い親批判に共感し読みやすかったので、図書館で比較的に新しい本を大量に借りてきた。
まず『子供にしがみつく心理』事例や例えは面白いのだけど、子育てがうまくいってる人は他人を批判せずに自分の幸せな過去に感謝すべき、のところでムカッとして、ちゃんとは読めなくなった、けれど最後のところに、イヤな親に育てられた人の不幸の解決方が書いてあり、まず、離れること、そして動物園で動物を見て楽しむように世の中の人を見て違いを楽しむことが幸せになるための基本的態度だと書いてあった。私はなるほど、と思う。こんな性格の悪い惨めな方法を持ってやっと自分が人間として成り立つことができる。そして私は結構できている。
重い神経症に悩んでる方は、性格の悪い考え方をすることに罪悪感を感じて苦しみが増すかもしれない。


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ダルそうな態度を、改める時

2019-08-23 14:15:55 | Weblog
仕事から帰ったらまずブラウスとスカートを脱いでラクダ色のキャミと猪木パンツで過ごす。さっきサドンリー居留守を使えないピンポンがあり、急いで履いていたウエスト総ゴムスカートち何故かブラウスが見当たらず、パジャマという格好で出た。若くて細いにいちゃんはダルそうな態度を恐縮させて、少し動揺していた。
おわり。
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自己イメージ

2019-08-21 18:03:08 | Weblog
誰かに迷惑をかけるわけではないので、バイクに乗る時はテスのナスターシャキンスキー、ブラウスにスカートで歩く通勤時はブルージャスミンのケイトブランジェットを時々、脳内で自己イメージにしているのだけど、盆明けますます太ってきたようで、みっともなくブラウスがバッツバツで、ブルーハーツの曲が頭に流れる。
はちきれそうだ 飛び出しそうだ 生きているのが 素晴らしすぎる。

効率的かどうか、こだわる度に私は墓場に行った方がいいのかなぁと思う、そしたら、今、生きていると感じることができる。
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お悟りチャンス

2019-08-20 08:50:39 | Weblog
全くというわけではないけれど、娘は宿題以外の勉強をしない。養老先生の「教育とは人の心がわかること、これで充分」という話を思い出して落ち着いているけれど、そもそも私自身が人の心をわかっていない、、、、ほったらかしのドリルなどをみて、たまにはお勉強した方がいいとは言ってしまう。

賢い先生のお話を鵜呑みにしているわけではない、自分でも考えてなるほどなと理解しているつもりだ。
高学歴の人が起こす事件を見る度、社会の害になる人を育てあげた親は何を感じているのか、インタビューを聞いてみたいと思う。私が知らないだけかもしれない。
教育熱心な親のブログなど読んでたら社会に役立つからではなく金銭や欲求承認『賢いお子さんねーとか褒めてもらいたい』などただ個人的な利益の為に勉強させてる感じがする人もいる。
AIにできないことは抽象を理解することだとはっきりしているのに、物質に支配されて抽象的なことがあまり理解できない親は自分の子どもがいかに良い点数を取るという物質的な価値を求めている。
でもって子どもの脳みそに物質ではない知識を詰め込むことに必死、結果子どもは良心を失い狂っていくのかなぁ。
人間に対して自分がコントロールできる機械のように扱う、私も時々そういうところがある。
自分自身がコントロール可能な機械だったら楽なのになぁと思う時もあって、養老先生は物質主義の人はすぐに墓場に入ればいいよ、と仰っていた。
生きるというは物質世界において非効率極まりないからだ、ブラックユーモアだ。
前向きに思考転換すると、そんな風に考えてしまう人はお悟りチャンスでもあると思う、

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