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1946年から1948年まで、キルギス共和国の東部にあるイシククル湖の南岸にあるタムガ村に元日本兵125名が抑留されていた。一般にいわれているシベリア抑留だ。そのタムガ村から、約150㎞南にある天山山脈のベデル峠。軍のゲートが3間所あるが、2か所は何とかクリアできることが分かった。最後のいか所の軍のゲートは、ガイドに任せて通してもらおうと考えて居ます。ガイドに任せるとは、賄賂で通り抜けようとしたのだ。ガイドも、このゲートだけは通ったことが無かった。登山家だけに、ベデル峠へ一番に上りたいと思っていたのだった。山道を進むことを考えて、計画にふさわしい車両をチャーターした。出発はタムガ村。イシククル湖の畔の村だ。2007年の事だった。
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後で知ったのだが、タムガ村から約30キロほど南へ、天山山脈へ向かった地に3つの窯があった。元日本兵の捕虜たちが、石灰石を焼いて石灰を作るために用いた窯だった。このことが分かったのは2008年だった。この窯の先には急な坂道があり、標高2400メートルから3800メートルに上る。急に針葉樹はなくなり、高原となる。
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最後に軍のゲートのある所には石碑がある。1917年にロシア軍に追われたキルギス人が、天山山脈を歩いて越えて中国側へ逃れようとした。生きるためのルートだった。だが、大部分が殺された。それも、国境から500メートル程、南のところだった。キルギス人の村人たちが、その骨を拾って死者の供養のために、最後のゲートに前に石碑を建てたのだと聞いた。
ベデル峠は、約1400年前に玄奘三蔵が天山山脈を越えたと言われている峠だ。少なくとも、約100年前までは、この峠を越えると中国へは入れることをキルギス人たちは知っていたことになる。遊牧の人が利用していたのか交易の人が利用していたのかはわからないが、100年前までは使われていたのかもしれない。
実は、タムガ村に抑留されていた元日本兵は、この峠を通って中国へと逃れたら命が助かると思っていた、と聞いたことがある。だが、タムガ村から天山山脈を越える前の大部分は、民家もなく標高が3000メートルを越えると分かり、収容所を脱走する計画を途絶えてしまった。
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この道中では、ドライバーとガイドの他に2名のスタッフを雇った。日本人7人に対してスタッフは5人だった。軍のゲート向けに、キャベツやトマトなどの生野菜を届けた。賄賂の一部だ。私たちが口にしたのは、ドライフルーツだった。普段の日本の暮らしを考えれば、生野菜の方が安く、ドライフルーツは高い。だから参加者には、長持ちのする食事は好評だった。ありがたいことだ。
軍のゲートに持参したキャベツなどの生野菜は、とても喜ばれた。仕事だとは言え、厳しい生活を考えさせられた。だが、賄賂の効果もなく、この時はゲートから約2キロメートルの地点で引き返すように命じられた。写真の撮影も禁止された。
賄賂で国境に到着して写真を発表されたのでは、国境警備の兵士たちが処罰を受けるのだろう。賄賂の効用の限界を知った。
元日本兵が2年間を過ごした収容所は、国防省の管轄下にあるサナトリウムだった。そんなことから、その後、国防省の許可を得てベデル峠をめざし写真の撮影も許可された。その時の写真は、次回に紹介します。
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「天山の小さな国 キルギス」は、Amazonでは5000円くらいより。
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