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「遺跡の旅・シルクロード」井上靖著、新潮文庫。井上靖氏がキルギスを訪れたのは1968年(昭和43年)の事だったようだ。ただし、キルギスのイシククル湖へ行くことはできなかった。それまで、外国人を入れたことがなかったとの、ソ連側の説明だったという(197ページ)。
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その理由は、2つあるのではないかという学者がいる。一つは、第2次世界大戦の時に、イシククル湖は山に囲われていることから外部から外国人が入りにくい。そのために、水深約800メートル、周囲650㎞、透明度42メートルという条件の中で、潜水艦の開発をする基地があったのだという説。
二つ目は、湖の周辺にウラン鉱物を産する地域があり、そのために原子力に関する基地もあったという説だ。
何度かキルギスへ行っているが、そのような基地の話は聞いたことがない。だが、一般に言われているソ連によるシベリア抑留では、日本人がイシククル湖の南岸にあるタムガ村で、1946年から1948年までナトリウムの中の一つの建物建設に関わっていた。今でも、泥治療の診療所として使われている。
このタムガ村より西側にあるカジサイという村には、近くにウラン鉱山があったという。丁度、日本人の抑留者がタムガ村にいたことを時間的には重なるようだ。このことは、「天山の小さな国 キルギス」の著者三井勝雄氏は取材することができたようだ。一時は子供の白血病も多かったとの証言もあったようだ。だが、私が取材に行った頃には、そういう証言を聞くことはできなかった。
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タムガ村の住民には、キルギスに抑留された体験を持つ宮野泰さんと二人で行き、証言に耳を傾けたことがある。だが、証言してくれた村人たちは既に90歳を超えており、鬼籍に入ってしまった。一人は、学校の教師をしており、軍から写真をもらっていると見せてくれた。日本人が捕虜としてキルギスで過ごしていたころ、ソ連兵は村の行事に合わせて兵隊のカメラマンを派遣して、行事を記録してくれたのだという。
村役場を年て写真を村に寄贈してほしいとお願いしたが、古美術商のように思われたようだ。「お金にするのだろう」と言われて、写真を譲ってもらうことはできなかったと、後日、村役場から連絡が入った。
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