私達が生きることはどのような意味を持つのか、考える必要がないと思う者もいるかもしれない。また、答えを求めるとしたら、答えは無数に存在し、一つではないはずだ。しかし、体験したり見聞したりしたものを取捨する段階で、光の当たるところに目がゆく者と影になるところに目がゆく者では、答えは全く違ったものになってゆくことだけは確かである。どちらがいいということではないが、稲川方人氏は、後者の詩人だ。『稲川方人全詩集』(2002年・思潮社)に「未刊詩集」として収録されていた18篇に未収録詩篇を加えた最新詩集『形式は反動の階級に属している』(2015年・書肆子午線)を読み、そのことを思った。
「生のため 死のために 私たちは列をつくって/大きな皿にささやかなスープを入れた/生き延びよう/灯をつけよう」(「約束の人を待ちながら」部分)。何事かの抑圧の中で生きようともがく者達のけなげな叫びを、強く支持する詩人の立ち位置が出ている。そのことだけでも十分心打たれるが、よく考えてみると、私がこの詩行に惹かれる理由は「生のため 死のために」という相反する副詞句の並置にあるのだと気づかされた。「しみのついた七〇四ページの古本を開いて/生のため 死のために ばらばらにパラグラフを読んでいた」(「約束の人を待ちながら」部分)も同様である。生のためなのか死のためなのか。恐らくどちらか一方のためなのではなく、生のためであり死のためでもあり、実はそのどちらのためでもないのではないか。修辞という美学ではない。詩人は限定を避け、より生の真実に接近すべく答えを逃がしているのである。
「帝国叙説Ⅱ」には次のような詩行がある。「目に見えるものはどれもみなやましいから、/君は緑地に立つ神の舌に誓って、/二度と希望の腕を開かないことにした」。これは明らかに逆説であり、視覚と行動を抑圧されるほどの厳しい現状に対し、詩人は改変という希望を失うまいと対峙しているのだ。けれども語られるとき、それは、真逆の、痛みの受容という形で呈示される。詩人の一歩下がったところで発信される意志と、作中の主体の担う心の負荷との、この距離感。それもまた生きる意味を問う詩人の声を逃がしている。
詩とは何かこの頃よく考える。自戒も込めて決して主張であってはならないと。稲川方人は抵抗の詩人だが、生の拘泥の過程を語るとき、そこに溢れるポエジーには悲しみがつきまとう。「ぼくのたたかう母はどこだ/ぼくの右手の貧しい砂を分けるから/ぼくのたたかう母はどこだ/たたかう地上はどこだ」(「花火の子供」部分)。メシアによって救われることのなかった今生にあって、虐げられた者達、あるいは被災した者達の労苦と惨状を、大地的な慈母の蘇生力によって贖おうとする詩人の希求は、悲痛だ。そして、それは永遠の問いであり、解決策は示されない。私達は、詩人のこの悲痛の果てに光射さない世界の淵を覗くのだ。私達自身の世界観、歴史観、価値観をもって稲川方人の詩のどの層で触れ合い、明日をまなざすかを探らなければならない。生きえない場所に未来を見ようとする行為にこそ詩があることを、本詩集を読み思い出させられた。