わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

連載エッセー ハレの日の光と影 第8回 自由研究という苦行 ブリングル

2014-08-06 20:03:53 | 詩客

 夏休みというと昔は「涼しい午前中に勉強をすませて午後は外で思い切り遊びましょう」という風だったと思うが最近の夏休みは午前中にすでに30度前後の気温になり午後なんて外遊びは危険というくらいの暑さになるからまったくそのパターンはおすすめできない。


 加えて宿題の中身も以前とは様変わりしている。まず音読。なぜかここ10年くらい音読が大ブーム(?)な気がする。いやいいんですけど。音読自体は良い勉強だとは思うけど、それ学校でやってくれないかなとは思う。毎日子供が音読して、親がそれを聞いてやるのが宿題という学校はとてつもなく多いと思う。これ親が苦痛なだけなんですけど?興味もないような作品をしかも同じものを数日続けて音読練習するから飽き飽きする。それに子供が二人以上小学生だったりすれば2倍、数年の間この音読を聞き続けることになる。こんな苦行見たこと無いです、つらいです。


 さらに苦痛を増長するのが夏休みの恒例行事「自由研究」である。だいたい学校はこの自由研究とやらが全く親の手を借りずに行われてると思っているんだろうか。それとも親がかり出されることは想定の範囲内だけど見て見ぬふりしてるんだろうか。まずテーマを決めるだけでも一悶着あることもある。だって無謀なんだもん!それ絶対途中で挫折するもん!っていうか何日かかると思ってるの!っていうかいくつやるの!欲張るな!っていうテーマをもってくる子供に、でもグッとこらえてなるべく本人の主張を尊重しつつも、さりげなくアドバイスする。


 次には材料を買ったり、予定を見繕って自由研究にあてる時間を捻出したりする。自分でやらせたらいいなんていう人もいるが、自分でやらせるって言っても完全放任ではなく「自分で責任を持って一人でやり遂げる」ということ自体を学ばせるとなると手を出したり口を出したりするよりずっと手間もかかるしストレスであるということを理解してないのだと思う。人を育てると言うことはそういうことだと思う。基本的に自主性にまかせながらも適切なところでアドバイスを入れたり、あまりに外れていかないようにそっと見守るというのは、とても難しいことだからだ。


 しかも奴ら夏休みは家にいるんですよ。さらに給食もないから三食家で食べるんですよ。キャンプ行ったりしても必ず1人か2人は家にいる。家事はすすまないし、一人で一息つく暇もない中でのそれぞれの宿題管理。よその話を聞けば、かなり親が口だしどころかほぼ親がやりましたって感じの作品に出会うこともあるわけで。


 正直、こういうスキルの必要なものこそ学校で指導するべきじゃないんだろうか。まず各自やるテーマを決めるところから、自由研究を行う段取りを決め、何が必要か、どれくらいの日数がかかるかなどを考え、調べ、計画する。こういうこと親任せじゃいけないと思うの。学校は中学高校にあがっても、そこ本人まかせ。ただ「コピペ禁止」「ネットで調べるの禁止」など禁止条件だけ羅列して、あとは自分たちにやらせるだけで良いお手本やナビゲーションがない。そしてそのまま大学のレポートでしょ。でも大学の先生もそこまで野放しになっている馬鹿大学生に教える気力がないらしく、挙げ句の果てが先日のSTAP細胞の論文みたいな騒ぎになるのではと素人ながら思ってしまう。あの細胞が実際存在するかどうかは私のようなものにはわからないことだがネイチャーに送るような論文でさえ最低限のことが守られてないという認識の緩さというのは、もっと小さい頃からしっかりと教え導いて土台を造っていかないといけないところだと思う。


 夏休みは作文、日記、俳句などとやたら子供に書かせないといけないものが盛りだくさんなので、サイト巡りをしていたら、こんなのを見つけた。俳句や川柳のコンクール多いですね。


「夏だ!!みんなの川柳大会」
http://www.hvf.jp/Senryu/


 大賞作品である「日焼けした 顔が土産の 夏休み」には温かい気持ちにさせられたが自分は特別賞のこちらの作品がお気に入り。「パパ運転 ジジがお財布 ババ子守り」。


 というわけでお三方、夏休みよろしくお願いしますね。