『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.39(通算第89回)(3)

2024-01-19 01:37:33 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.39(通算第89回)(3)


◎原注157

【原注157】〈157 (イ)この「州治安判事」、すなわちW・コベットの言う「偉大な無給者」は、諸州の有力者で構成される一種の無給治安判事である。(ロ)それは、事実上、支配階級の領主裁判所になっている。〉(全集第23a巻380頁)

  (イ)(ロ) この「州治安判事」、すなわちW・コベットの言う「偉大な無給者」は、諸州の有力者で構成される一種の無給治安判事です。それは、事実上、支配階級の領主裁判所になっているのです。

  これは〈しかし、いくら法廷に呼び出しても、裁判所、すなわち州治安判事〔county magistrates〕(157)が無罪を宣告してしまえば、なんになろうか? 〉という一文に付けられた原注です。
  当時の州治安判事は、それぞれの州の有力者で構成されるもので無給でした。コペットはそれを称して「偉大な無給者」というのですが、州の有力者となれば、当然、支配階級ですし、工場主もその一部をなしています。だからそれはある種の中世の領主裁判所のようになっていたのです。
  マルクスは領主裁判権について次のように述べています。

  〈ヨーロッパ大陸では、領主裁判権が論難されてき/たが、これは正当である。ところで、イギリスの無給の判事〔280〕は、現代化され、立憲的に塗りかえられた領主裁判権にほかならない。……無給の治安判事となっている工場主、郷紳〔Squire〕その他の特権的な身分も、やはり自分の問題で裁判をおこなっているのである。〉(全集第11巻551-552頁)
  注釈280は次のようなものです。

  〈領主裁判権--領内の農民たちを裁判し、処罰する領地所有者の封建的な権利で、ドイツでは1848年以後制限され、1877年に廃止された。
  イギリスの無給の判事というのは、有産階級の代表のうちから任命される治安判事のことである。〉(同697頁)

  〈W・コベット〉を人名索引から調べておきます。

  コペツト,ウィリアム Cobbet Wi11iam(1762-1835)イギリスの政治家,政論家,農民の出身.小ブルジョア的急進主義の抜群の代表者・イギリスの政治制度の民主化のために戦った.〉(全集第23b巻68頁)

  マルクスは『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』1853年7月22日に寄稿した「レアードの質問--10時間労働法案をめぐる闘争」のなかで、かなり長くコペットに言及しています。少しは10時間労働法と関連していますので、紹介しておきましょう。

  〈ウィリアム・コベットはもっとも有能な代議士であり、というよりは、旧イギリス急進主義の創始者であった。彼は、はじめてトーリ党とウイッグ党間の伝来の党争の秘密をあばぎ、ウイッグ党の寄生的寡頭政治からにせの自由主義をひきはがし、あらゆる形態の地主制に反対し、国教会の偽善的貧欲を嘲笑し、「スレッドニードル街の老夫人」(イングランド銀行) とウジ商会〔Mr.Muckworm & Co.〕(国債所有者たち)--この二つにもっともはっきりと体現されている金権政治を/攻撃した人であった。彼は国債を帳消しにし、国教会の領地を没収し、あらゆる種類の紙幣を廃止するよう提案した。彼は政治的中央集権化が地方自治を蚕食していく一歩一歩を観察し、それをイギリス臣民の特権と自由にたいする侵害であるときめつけた。彼はそれが産業的中央集権化の必然的結果であることを理解しなかった。彼はのちに国民憲章にまとめられたすべての政治的諸要求を提起した。だが彼においては、それらは産業プロレタリアというより、むしろ産業小ブルジョアジー〔petty industrial middle-clas〕の政治的憲章であった。本能と共感の点では平民であった彼も、知性の点では中間階級的改革の限界を突破することはまれであった。ウィリアム・コベットが、工場貴族階級の存在も、地主や銀行貴族や公債所有者や国教会の聖職者のように、人民大衆に敵対的なものであることをさとりはじめたのは、新救貧法が制定されたのち、やっと1834年においてであった。それは彼が死ぬ直前だった。ウィリアム・コベットは、一方でこうして近代のチャーティストの先駆者であったとすれば、他方、彼はそれ以上に、根からのジョン・ブルであった。彼は大ブリテンのもっとも保守的な人物であると同時にもっとも破壊的な人物であり、--旧いイギリスのもっとも純粋な権化で、若いイギリスのもっとも大胆な創始者であった。彼は、イギリスの衰退が宗教改革の時期から始まり、イギリス国民の究極の虚脱が1688年のいわゆる名誉革命から始まると考えていた。それゆえ、彼にとっては、革命は革新ではなくて復古であり、新時代の創造ではなくて「古き良き時代」の復権であった。彼の見おとしたのは、彼のいうイギリス国民の衰退期なるものが正確に中間階級の台頭の開始や近代的商工業の発達と時を同じくしていること、そして後者の成長と同じペースで国民の物質的状態が低下し、地方自治が政治的中央集権化のまえに消滅していったことであった。18世紀以来の、旧いイギリス社会の解体にともなった大きな変化は、彼の目を驚かせ、彼の心を嘆き悲しませた。だが、彼はその結果を見たとしても、その原因を、すなわち新しい社会的諸力が作用していることを、理解しなかった。彼は近代のブルジョアジーをみないで、官職を世襲的に独占し、中間階級の新しい欲求や要求によって必要となってきたあらゆる変化を法によって認可している貴族の一派だけをみていた。彼は機械をみたが、その隠された原動力をみなかった。それゆえ、彼の目には1688年以来生じたすべての変化の責任はウイッグ党にあると映った。彼らがイギリスの衰退とイギリス国民の堕落の主動力であった。ウイッグ寡頭制にたいする彼の熱狂的憎悪とやむことなき攻撃は、そこから出てきたのである。中間階級の侵害に反対して人/民大衆を本能的に代表したウィリアム・コペットが、世襲的貴族階級に反対する産業的中間階級の代表であると、自他ともに認めるという奇妙な現象は、そこから生じたのである。著述家としては、いまなお彼にまさるものは現われていない。〉(全集第9巻183-185頁

  コペットへの言及は結構多いのですが、ちょっと触れるだけのものが多いです。コベットに対する評価のようなものとしては『61-63草稿』に次のような言及があります。

  〈(コベットは確かに今世紀〔19世紀〕中のイギリス最大の政治評論家であるが、彼にはライプツィヒの教授的教養は欠けていたし、また、彼は「教養ある言葉使い」にまっこうか/ら反対した人であった)〉(草稿集⑥164-165頁)

  あるいは『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』1853年7月11日に寄稿した「東インド会社--その歴史と成果」という小論のなかで〈たとえばコペットのような人民の立場にたつ著作家/が、1人ならず、人民の自由を未来よりもむしろ過去に探し求めることにもなったのである。〉(全集第2巻142-143頁)とも述べています。


◎原注158

【原注158】〈158 『工場監督官報告書。1849年4月30日』、21、22ページ。同種の実例については、同書、4、5ページ参照。〉(全集第23a巻380頁)

  これは〈エスクリッジはロビンソンの無罪を宣告し、そこで、ロビンソンにとって正しいことはエスクリッジにとっても正しい、と宣言した。彼自身が下した法律上有効な判決にもとづいて彼はすぐにこの制度を自分の工場で採用した(158)。〉という本文に付けられた原注です。これはこうした事実を報告している報告書を指示しているものです。また同様の実例についても同じ報告書にあることも述べています。


◎原注159

【原注159】〈159 サー・ジョン・ホブハウスの工場法として知られているウィリアム4世第1年および第2年の法律、第24章、第10節によって、およそ紡績工場または織布工場の所有者、またはこのような所有者の父や息子や兄弟は、工場法関係の問題では治安判事の職務を行なうことを禁止されている。〉(全集第23a巻380頁)

  これは〈もちろん、この法廷の構成がすでに一つの公然の法律違反だった(159)。〉という本文に付けられた原注です。1831年に成立したいわゆるホブハウス工場法では工場主やそ家族や関係者は、工場法関係の問題では治安判事の職務を行うことを禁止していたというのです。だからエスクリッジのような例は明らかに違反だったということです。

  『歴史』によりますと、同様の規定を行ったのは1825年と1831年の工場法だったと書いています。

  〈1825年法はつぎのように規定している。すなわち、……治安判事自身が工場主であるか、そのような工場主の父親または息子である場合、同法にもとつく告訴を聴取することが禁止された。提訴受理期間は違反事件発生後3カ月から2ヵ月に短縮された。……1831年、一層進んだ修正法が可決された。提訴受理期間はさらに3週間に短縮された。他方、工場主やその父親と息子だけでなく、いまでは、その兄弟もまた治安判事として告訴を聴取することが禁止され、必要とあれば、同じ州または半径12マイル以内の地区の治安判事に事件の審理を依頼しなければならないとされた。〉(33頁)


◎原注160

【原注160】〈160 『工場監督官報告書。1849年4月30日』〔22ベージ〕。〉(全集第23a巻頁380)

  これはパラグラフの最後に監督官ハウエルが不当な裁判に対して訴えているものが引用されていましたが、その典拠を示すものです。


◎第28パラグラフ(横行する偽リレー制度のもとで工場法が骨抜きにされている現状についての工場監督官たちの告発)

【28】〈(イ)刑事裁判所は1848年の法律の工場主的解釈を不条理だと宣告したが、社会救済者たちは惑わされなかった。(ロ)レナード・ホーナーは次のように報告している。
(ハ)「私は、別々の7つの裁判所管区で10回の告発によってこの法律を励行しようとして、ただ一度しか治安判事に支持されず……それからは、法律違反のかどでこれ以上告発してもむだだと思っている。この法律のうち、労働時間の画一を実現するために制定された部分は……もはやランカシャには存在しない。私も私の部下も、いわゆるリレー制度が行なわれている工場が少年や婦人を10時間より長くは働かせないということを確かめるための手段を全然もっていない。……1849年4月末にはすでに私の管区の118工場がこの方式で作業していた。そして、そのような工場の数は近ごろは急激に増加している。一般に、これらの工場は今では朝の6時から晩の7時半まで13時間半作業しており、いくつかの場合には朝の5時半から8時半まで15時間作業している。(161)」
(ニ)すでに1848年12月には、レナード・ホーナーがもっていた名簿のなかの65人の工場主と29人の工場管理人とが、一様に、どんな監督制度でもこのリレー制度のもとでは極度の過度労働を防止することはできない、と明言していた(162)。(ホ)同じ児童や少年が、ある時は紡績室から織布室などに、ある時は15時間のあいだに一つの工場から別の工場に移された(163)(shifted)。(ヘ)いったいどうすればこんな制度が取り締まられるのだろう!
  (ト)「その制度は、交替という言葉を乱用して、職工たちをカルタのように限りなくさまざまに混ぜ合わせ、また、労働時間と休息時間とを毎日個人個人によって別々にずらせて、同じ完全な1組の職工が同じ時間に同じ場所でいっしょに働くことはけっしてないようにするのである(164)。」〉(全集第23a巻381頁)

  (イ) 刑事裁判所は1848年の法律の工場主的解釈を不条理だと宣告しましたが、社会救済者たちは惑わされませんでした。

  全集版では〈刑事裁判所は〉となっていますが、新日本新書版では〈勅撰弁護士たちは〉となり、複数になっています。初版も〈刑事裁判官たち〉と複数、フランス語版は〈刑事裁判官は〉、イギリス語版は〈王室法律学者は〉となっています。果たしてこれらはすべて同じものを表しているのでしょうか。少なくとも州の治安判事は工場主たちの解釈を肯定しているのですから、それとは別の人物たちと考える必要があります。だから新日本新書版のように〈勅撰弁護士たちは〉ととらえる方が、この場合は合理的なような気がします。
  次に〈社会救済者たちは惑わされなかった〉(全集版)という部分については〈社会救済者たち(工場主たち)は考えを変えようとはしなかった〉(新日本新書版)、〈社会救済者たちは迷わされなかった〉(初版)、〈社会の救済者たちはほとんど動揺しなかった〉(フランス語版)、〈しかしこの社会の救世主らは、彼等の目的を転ずることについては、自分達を許さなかった。〉(イギリス語版)となっています。ここで〈社会救済者たち〉というのは何を指しているのかが問題です。新日本新書版では訳者の注だと思いますが丸カッコに入れて〈(工場主たち)〉と書いていますので、それは明らかに工場主たちのことで、マルクスは皮肉を込めて〈社会救済者たち〉と述べていることになります。まあ、このようにここでは解釈しておきましょう。
  要するに工場主たちのやっていることは、1848年の法律に違反していると勅撰弁護士たちは宣告しましたが、工場主たちはまったく意に介せず、自分たちの我を通したということです。

  (ロ)(ハ) レナード・ホーナーは次のように報告しています。
  「私は、別々の7つの裁判所管区で10回の告発によってこの法律を励行しようとして、ただ一度しか治安判事に支持されず……それからは、法律違反のかどでこれ以上告発してもむだだと思っている。この法律のうち、労働時間の画一を実現するために制定された部分は……もはやランカシャには存在しない。私も私の部下も、いわゆるリレー制度が行なわれている工場が少年や婦人を10時間より長くは働かせないということを確かめるための手段を全然もっていない。……1849年4月末にはすでに私の管区の118工場がこの方式で作業していた。そして、そのような工場の数は近ごろは急激に増加している。一般に、これらの工場は今では朝の6時から晩の7時半まで13時間半作業しており、いくつかの場合には朝の5時半から8時半まで15時間作業している。」

  ここではホーナーの報告がそのまま引用されています。結局、偽リレー制度が容認されれば、10時間労働法などはあって無なきがごとくだということです。なぜなら、偽リレー制度で労働者がバラバラに組み合わされて、頻繁に交替させられていたら、果たしてある特定の労働者の労働時間が何時に始まって何時に終わっているのかを調べる手だては工場監督官にはなくなるからです。だからそれが少年や婦人労働者が10時間よりも長く働かせないということを確かめる手段がまったくないのだと述べています。そしてホーナーの管轄区域でも工場は13時間半から15時間作業しており、そこで労働者は偽リレー制度で組み合わされて働かされているということです。

  『歴史』でも混乱した状況が次のように紹介されています。

  〈治安判事の矛盾した判決と監督官がとった異なった態度の結果、工場立法は完全に混乱状態におちいった。使用者たちはつぎのように不平を訴えた。「まったく異常かつ無政府的な状態が支配的である。ヨークシァでは或る条例が行なわれているが、ランカシァでは他の条例が行なわれており、ランカシァの一教区では或る条例が行なわれているが、そのすぐ近所では他の条例が行なわれている。」〉(105頁)

  (ニ) すでに1848年12月には、レナード・ホーナーがもっていた名簿のなかの65人の工場主と29人の工場管理人とが、一様に、どんな監督制度でもこのリレー制度のもとでは極度の過度労働を防止することはできない、と明言していました。

  こうして1848年12月にホーナーが持っていた名簿のなかの工場主と工場管理人たちは、一様に、どんな監督官制度でもこうしたリレー制度のもとでは過度労働を防止するすべはないと明言したということです。

  (ホ)(ヘ) 同じ児童や少年が、ある時は紡績室から織布室などに、ある時は15時間のあいだに一つの工場から別の工場に移されました(shifted)。いったいどうすればこんな制度のもとで10時間労働法に違反すると取り締まることができるのでしょうか!

  偽リレー制度では、児童や少年が、バラバラに組み合わされて、15時間の労働日のあいだに、ある時は紡績室から織布室に移されて、あるいは一つの工場から別の工場へと移されて仕事をさせられているのです。だからある特定の児童や少年が、果たして10時間労働の範囲内で仕事をしているのかどうかなど取り調べることなどできないのです。

  『歴史』から紹介しておきます。

  〈マンチェスターにおける最大規模の工場の一つである工場の経営者は、ホーナー氏に対して、「たとえ監督官が20人いるとしても、リレー制度による作業が許されているならば、わたくしたちはかれらの目を逃れることができるであろう」とのべた。長年の経験と広範囲にわたる調査をつみかさねてきた結果、ホーナー氏はつぎのような結論に達した。すなわち、リレー制度が認められるならば、「どんな実際的な監督制度も、広範囲に行なわれている不正な残業を取り締まることができないであろう。」〉(108頁)
                                     
  (ト) 「その制度は、交替という言葉を乱用して、職工たちをカルタのように限りなくさまざまに混ぜ合わせ、また、労働時間と休息時間とを毎日個人個人によって別々にずらせて、同じ完全な1組の職工が同じ時間に同じ場所でいっしょに働くことはけっしてないようにするのである。」

  これは工場監督官報告書からの引用ですが、偽リレー制度の内容がよく分かります。

  『歴史』からも引用しておきます。

   〈リレー制度の害悪を理解するために、わたくしたちがハウェル氏の「報告書」を引用すれば、つぎのようである--「リレーという形でかれらが導入しようとしている制度は、多種多様な仕事に職工たちを混ぜあわせて配置し、各職工のあいだで終日、労働時間と休憩時間を交替させるための多くの計画の一つであり、そのようにして、同じ時間に、同じ部屋で、職工たちが一緒に働くことがまったくできないようにすることを目的にしたものである。」〉(102頁)


◎原注161~164

【原注161~164】
  〈『工場監督官報告書。1849年4月30日』、5ページ。
    『工場監督官報告書。1849年10月31日』、6ページ。
    『工場監督官報告書。1849年4月30日』、21ページ。/
    『工場監督官報告書。1848年10月31日』、95ページ。〉(全集第23a巻381-382頁)

  これらは本文で引用されています工場監督官報告書の典拠を示すものです。


◎第29パラグラフ(リレー制度によって10時間法はまったく骨抜きにされた)

【29】〈(イ)しかし、現実の過度労働のことはまったく別として、このいわゆるリレー制度は、フリエの「短時間交替」〔“courtes séances"〕〔94〕のユーモラスな素描もそれにはかなわなかったほどの資本幻想の所産だったのであって、ただ労働の魅力が資本の魅力に変えられた点が違っているだけだった。(ロ)りっぱな新聞が「適度の注意と方法とが完成しうるもの」(“What a reasonable degree of care and method can accompish")の見本としてほめあげたあの工場方式を見てみよう。(ハ)労働者全員が多くの場合に12から15の部類に分けられ、これらの部類そのものもまた絶えずその構成部分を取り替えた。(ニ)1工場日の15時間のあいだ資本は労働者をときには30分、ときには1時間、引き寄せては突き放し、またあらためて工場に引き入れては工場から突き出し、そのさい、10時間の労働が完了するまではいつでも彼を見失うことなく、時間をこまかくちぎって彼をあちこちに追い回すのだった。(ホ)舞台の上でのように、同じ人物が次々に違った幕の違った場面に登場しなければならなかった。(ヘ)そして、俳優が劇の上演時間中は舞台のものであるように、労働者は今では工場への往復時間を計算に入れないで15時間は工場のものだった。(ト)こうして、休息の時間は、強制された怠惰の時間に変わってしまい、それは若い男工を酒場に追いやり、若い女工を娼家に追いやった。(チ)資本家が、労働者人員をふやさないで自分の機械を12時間か15時間動かしておくために、毎日のように新案を考え出せば、そのつど労働者はあるいはこの、あるいはあの切れ端(ハシ)の時間で彼の食事をまるのみにしなければならなかった。(リ)10時間運動の当時、工場主たちは、労働者のやつらは10時間の労働で12時間分の労賃がもらえることをあてにして請願するのだ、と叫んだ。(ヌ)彼らは、今度はメダルを裏返しにしていた。(ル)彼らは、労働力を12時間も15時間も自由に使うことと引き換えに10時間分の労賃を支払ったのだ!(165) (ヲ)これがむく犬の正体だったのだ、これが10時間法の工場主版だったのだ! (ワ)この感動に満ち人類愛にあふれた自由貿易論者こそは、穀物法反対運動のまる10年間、労働者に向かって、穀物の輸入が自由ならばイギリス産業の資力/をもってすれば資本家を富ますには10時間労働でまったく十分だということを1銭1厘まで計算して見せたその人だったのである(166)。〉(全集第23a巻382-383頁)

  (イ) しかし、現実の過度労働のことはまったく別にしますと、このいわゆるリレー制度は、フリエの「短時間交替」〔“courtes séances"〕のユーモラスな素描もそれにはかなわなかったほどの資本幻想の所産だったのです。ただ労働の魅力が資本の魅力に変えられた点が違っているだけだったのです。

 この部分のフランス語版をまず紹介しておきましょう。

  〈この上述のリレー制度は、それが設定した過度労働とは別に、フーリエが「短い参加時間」というこの上なくユーモラスなスケッチのなかでも及びえなかったような資本家の幻想の一産物であった。だが、この制度は労働の魅力を資本の魅力で置き換えた、と言わなければならない。〉(江夏・上杉訳298頁)

  偽リレー制度のもとで過度労働が行われていたことは別にしますと、リレー制度というものは、フリエの「短時間交替」を彷彿とさせますが、フリエの場合は労働の魅力を引き立てるためのものでしたが、資本のリレー制度は労働者を過度に搾取するための方策であり、それは資本の飽くなき搾取欲の所産だったのです。だからそこでは労働の魅力ではなく資本の魅力に置き換わっているのです。

  〈フリエの「短時間交替」〔“courtes séances"〕〔94〕〉の注釈94は次のようなものです。

  〈(94) 短時間交替(“courtes séances")--フリエは一つの未来社会の姿を描いたが、その社会では人間は1労働日のあいだに何種類もの労働に従事する、というのは、1労働日はいくつかの短時間交替(courtes séances)から成っており、そのうちのどれも1時間半ないし2時間より長くは続けられないことになっているからである。フリエの考えでは、これによって労働の生産性は非常に高くなり、どんなに貧しい労働者でも自分の欲望のすべてを以前の時代のどの資本家よりも十分にみたすことができるようになるというのである。〔平凡社『社会思想全集』版、石川訳『フーリエ社会科学』、501-504ページ。〕〉(全集第23a巻17頁)

  初版とフランス語版にば何の訳者注もありませんが、新日本新書版には次のような訳者注が付いています。

  〈フリエ『産業および組合的新世界』第3版、パリ、1948年、67-68ページ。フリエは、ここで、彼の理想社会では各人が2時間以内の各種の希望の仕事につぎつぎに参加したりそこから離脱したりできるように配置され、労働は楽しみそのものになると述べている〉(505頁)

  イギリス語版には訳者注が挿入されていますので、この部分全体を紹介しておきましょう。

  〈とはいえ、現実の超過労働のことを度外視したとしても、このいわゆるリレーシステムは、資本主義的な幻想である。かのチャールス フーリエ (訳者注: フランスのユートピア社会主義者 1772-1837 マルクスやエンゲルスは科学的社会主義の視点から批判してはいるものの、歴史的な流れにおいては、それなりに評価している。) が、ユーモアを添えて描写した「様々な労働の選択」なるものが、実現したわけではない。「労働の魅力」(訳者注: これが彼の論文の一節のタイトルなのである。) が、資本の魅力に換えられた云う点を受け入れるかぎりでは、実現したとも云える。〉

  最後に付属資料にエンゲルスのフーリエの理論の説明を紹介しておきましたので、参考にして下さい。

  (ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト) りっぱな新聞が「適度の注意と方法とが完成しうるもの」(“What a reasonable degree of care and method can accompish")の見本としてほめあげたあの工場方式を見てみましょう。それは労働者全員を多くの場合に12から15の部類に分けて、これらの部類そのものもまた絶えずその構成部分を取り替えました。1工場日の15時間のあいだ資本は労働者をときには30分、ときには1時間、引き寄せては突き放し、またあらためて工場に引き入れては工場から突き出し、そのさい、10時間の労働が完了するまではいつでも彼を工場主の管理のもとにおいておいて、時間をこまかくちぎっては彼をあちこちに追い回すのでした。それはまるで、舞台の上でのように、同じ人物が次々に違った幕の違った場面に登場しなければならないようなものです。そして、俳優が劇の上演時間中は舞台のものでありますように、労働者は今では工場への往復時間は除外して15時間は工場に拘束されたままなのです。こうして、休息の時間は、強制された怠惰の時間に変わってしまいます。それは若い男工を酒場に追いやり、若い女工を娼家に追いやったのです。

  この部分もまずフランス語版を紹介しておきます。

  〈このことを確かめるためには、工場主が提供した案を、すなわち、公正で穏健な新聞が「適度の注意と方法とが達成しうるもの<What a reasonable degree of care and method can accompish>」の模範として称賛した次の編成を、一見するだけで充分である。労働者の人員は、時として12および14の部類に分けられ、この部類の構成部分も絶えず新たに変更された。工場の1日を形成する15時間のあいだに、資本は労働者をいまは30分、次には1時間呼び寄せ、それから休みを与えて、10時間労働が完了するまでけっして彼を見失うことも手放すこともなく、ちりぢりばらばらの時間時間に彼をあちこちと追い立てながら、再び呼び寄せたりまたも休みを与えたりした。舞台の上と同じように、同じ端役がかわるがわるいろいろの幕のいろいろの場面に登場しなければならなかった。だが、俳優が劇の続いている全期間中は舞台に所属しているのと同様に、労働者も、工場に往復する時間を算入せずに15時間中、工場に所属していた。こうして、休憩時間が、若い男工を酒場に、若い女工を/娼家に誘惑する強制的怠惰の時間に変わった。〉(江夏・上杉訳298-299頁)

 こうした偽リレー制度をあるりっぱな新聞は「程度の注意と方法とが完成しうるもの」の見本だとほめあげたそうですが、それは次のようなものなのです。その具体的な内容はフランス語版の方が分かりやすいように思えます。
  要するに15時間という1労働日のあいだ労働者は工場に拘束されて、あるときは30分、別のあるときには1時間というふうに、工場主の意のままに、あちこちに配属されて仕事をさせられ、そのあいまあいまの休憩時間も、彼は工場にほぼ縛りつけられているというような状態だったというのです。そしてそれらの労働の端くれの合計が10時間だったらよいというのです。もっともそれが正確に10時間になるということは例え工場に強制的に入って調査のできる監督官でも確かめるすべはないのですが。こうした細切れの労働と強制的な休憩のモザイクが「適度の注意と方法とが達成しうるもの」だと褒めたたえられているというわけです。強制的な休憩時間に男子の工員は酒場に入り浸り、若い女工は売春のために娼家に入り浸るというのです。ようするに道徳的な退廃を生みだしたということでしょうか。

  〈労働者全員が多くの場合に12から15の部類に分けられ〉という部分は初版やフランス語版では〈12ないし14の部類〉となっています(イギリス語版も同じ)。

  (チ) 資本家が、労働者人員をふやさないで自分の機械を12時間か15時間動かしておくために、毎日のように偽リレー制度の新案を考え出しますと、そのつど労働者はあるいはこの、あるいはあの切れ端(ハシ)の時間で彼の食事をまるのみにしなければならなかったのです。

  フランス語版です。

  〈資本家が、人員をふやさないで自分の機械を12時間ないし15時間運転するために、なにか新たなものを考案する--それは毎日行なわれていたが--たびごとに、労働者は、食事をうのみにするために、あるときは自分の時間を無駄にし、あるときは急いで自分の時間を利用せざるをえなかった。〉(江夏・上杉訳299頁)

  このように偽リレー制度が毎日のように変えられると、労働者はそのたびごとに、仕事が変わり、労働時間もバラバラになるために、自分の食事時間をまともにとることもできもできず、ただ自分の時間を無駄にして、急いで食事をまるのみすることしかできない状態だったということです。

  (リ)(ヌ)(ル)(ヲ) 10時間運動の当時、工場主たちは、労働者のやつらは10時間の労働で12時間分の労賃がもらえることをあてにして請願するのだ、と叫びましたが、今度は、工場主たちこそが、そのメダルを裏返しにしているのです。なぜなら彼らは、労働力を12時間も15時間も自由に使うことと引き換えに10時間分の労賃を支払ったのですから。 これがむく犬の正体だったのです。これが10時間法の工場主版だったのだのです。

  フランス語版です。

  〈10時間運動の当時、工場主たちはいたるところで、労働者の輩が請願してもそれは10時間労働と引き換えに12時間分の賃金を手に入れることを希望してのことなんだ、と叫んだ、彼らは今度は、メダルを裏返しにしてしまった。彼らは12時間や15時間の搾取と引き換えに10時間分の賃金を支払ったのだ(132)! 10時間法が工場主によってどう解釈されたかと言えば、まさに以上のとおりである! 〉(江夏・上杉訳299頁)

  〈これがむく犬の正体だったのだ〉という部分には、新日本新書版では次のような訳者注が付いています。

  〈ゲーテ『ファウスト』、第1部、「書斎」のファウストの独白参照。手塚訳、中公文庫、第1部、97ページ〉(505頁)

  第1部でヴァーグナーとファウストとのやりとりのなかで、メフィスト(悪魔)がむく犬に化けて登場しますが、ファウストはその正体を見破ったということです。そこから「むく犬の正体」というのは「事の本質・真相」という意味のようです。つまり10時間法は実際には12時間や15時間労働をさせながら、10時間労働だけの賃金しか支払わないという法律になったということです。フランス語版ではこうした表現は避けられています。
  要するに10時間労働運動に対して、工場主たちは彼らは10時間で12時間分の労賃をせしめることが狙いなのだと叫んでいましたが、10時間労働法の下でも偽リレー制度が横行すると、まさに今度は工場主たちこそが10時間分の賃金で12時間も15時間も働かせているのだということです。これが10時間労働法が工場主たちによって歪められた現実の真相なのです。

  (ワ) この感動に満ちて人類愛にあふれた自由貿易論者たちこそは、穀物法反対運動のまる10年間のあいだ、労働者に向かって、穀物の輸入が自由化されればイギリス産業の資力をもってすれば資本家を富ますには10時間労働でまったく十分だということを細かく計算して証明して見せたその人だったのです。

  フランス語版です。

  〈自由な穀物輸入によって新しい飛躍的発展がイギリスの工業に与えられれば、資本家を富ますには毎日の10時間労働でたっぷり充分であることを、穀物法反対運動が続いた10年間、労働者に1銭1厘の末まで倦むことなく説明したのは、それでもやはり、宗教的情熱にこりかたまった、毛穴という毛穴から人類愛が発汗する当の人間、当の自由貿易論者であったのだ(133)。〉(江夏・上杉訳299頁)

  偽リレー制度で10時間労働法を骨抜きにして、労働者を12時間も15時間もこき使っている工場主たちは、以前、自由貿易論者として穀物法に反対していた10年間というものは、労働者たちに向かって、自由な穀物輸入が行われるならイギリス工業の飛躍的な発展によって、資本家たちを富ますためには10時間労働で十分だと10時間労働法の成立に手を貸した連中なのです。宗教的情熱に凝り固まり、人類愛に満ちたその連中が、しかし実際にやっていることいえば、彼らの約束を反故にして裏切り、ただ有頂天になって労働者を苛酷に搾取することに狂奔しているのです。


  ((4)に続く。)

 

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