『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.40(通算第90回)(6)

2024-02-15 18:05:43 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.40(通算第90回)(6)


【付属資料】(3)


●原注196

《初版》

 〈(196) 「われわれダンカークの労働者はこう声明する。現在の制度のもとで要求されている労働時間は、長すぎるし、労働者に休息や進歩のための時間を少しものこさず、むしろ、奴隷制度よりもわずかばかりましな隷属状態(“a condition of/ servitude but little better than siavery") に労働者を押さえつけている、と。だから、次のことを決議する。8時間が1労働日としては充分であるし法律上も充分である、と認められるべきだということ、われわれは、強力な挺子である新聞に援助を求め、……そして、この援助を拒む者をすべて、労働の改革と労働者の権利とにたいする敵と見なすということ。」(1886年のニューヨーク州ダンカークにおける労働者の決議、1866年。)〉(江夏訳339-340頁)

《フランス語版》

 〈(164) 「われわれダンカークの労働者は宣言する。現制度のもとで要求されている労働時間の長さは過大であって、休息し勉学するための時間を残すどころか、奴隷制度より余りましでもない隷属状態<a condition of servitude but little better than siavery>に労働者を陥れている。それゆえ、われわれは、8時間が1労働日として充分であり、法律上も充分であると認められるべきこと、われわれはかの強力な挺子である新聞に援助をもとめること、……また、われわれは、この援助を拒否するであろう者をことごとく、労働の改革と労働者の権利との敵とみなすこと、を決議する」(1866年、ニューヨーク州ダンカーク労働者の決議)。〉(江夏・上杉訳311頁)

《イギリス語版》

  〈本文注161: * 「我々、ダンカークの労働者は、現在のシステムが課している労働時間の長さが、長すぎ、休息と教育のための時間が、労働者にはほとんど残されておらず、労働者を苦役に陥しめており、奴隷制度となんら変わらない状態にあると断言する。これが、何故我々が8時間の労働日で充分と決めたのかの理由である。また、充分であると法的にも承認されねばならない。何故我々が我々の助けとして力強き梃子、新聞記者を呼んだのかの理由である。…. そして、我々へのこのような助力を拒む者らを、労働改革と労働者の諸権利の獲得に対する敵と考えるかの理由である。」( ダンカークの労働者達の決議文 ニューヨーク州 1866年)〉(インターネットから)


●第6パラグラフ

《賃金・価格・利潤》

 〈労働日の制限についていえば、ほかのどの国でもそうだが、イギリスでも、法律の介入によらないでそれが決まったことは一度もなかった。その介入も、労働者がたえず外部から圧力をくわえなかったらけっしてなされはしなかったであろう。だがいずれにしても、その成果は、労働者と資本家とのあいだの私的な取決めで得られるはずのものではなかった。このように全般的な政治活動が必要であったということこそ、たんなる経済行動のうえでは資本のほうが強いことを立証するものである。〉(全集第19巻150頁)

《初版》

 〈こうして、大西洋の両岸で生産諸関係そのものから本能的に成長した労働者運動は、イギリスの工場監督官R・J・サーンダーズの次の陳述を確証している。「社会改良のためのさらにつつ込んだ方策は、あらかじめ労働日が制限されて、規定されたその限度が厳格に強制されなければ、けっして、成功を見込んで遂行できるものではない(197)。」〉(江夏訳340頁)

《フランス語版》

 〈こうして、大西洋の両岸で生産関係そのものから自然発生的に生まれた労働者階級の運動は、イギリスの工場監督官R・J・サーンダーズの次の言葉を裏書きしている。「労働日がまず制限され、この規定された限度が厳格に強制的に遵守されなければ、なんらかの成功の望みをもって社会の改革に向かって一歩前進することは不可能である(165)」。〉(江夏・上杉訳311頁)

《イギリス語版》

  〈(8) この様に、大西洋の両側で労働者階級の運動が、生産の状況自体の中から、本能的に成長した。英国工場査察官 R.J. サンダースの次の言葉が、それを認めている。
 (9) 「社会の改革へと向かう更なるステップは、労働時間が制限されること、その規定が厳格に執行されることが、なんらあり得ないということでは、永久に遂行され得ない。」*( 本文注: 162 :*工場査察官報告書 1848年10月)〉(インターネットから)


●原注197

《初版》

 〈(197) 『1848年10月31日の工場監管官報告書』、112ページ。〉(江夏訳340頁)

《フランス語版》

 〈(165) 『1848年10月31日の工場監督官報告書』、112ページ。〉(江夏・上杉訳311頁)

《イギリス語版》 本文に挿入。


●第7パラグラフ

《国際労働者協会創立宣言》(マルクス)1864年9月28日から

  〈イギリスの労働者階級は、30年にわたって最も驚嘆すべきねばりつよさでたたかったのち、土地貴族と貨幣貴族のあいだの一時的な分裂を利用して、10時間法案を通過させることに成功した。このことが工場労働者にもたらした巨大な肉体的・精神的・知的な利益は、工場監督官の報告書に半年ごとに記録されて、いまでは各方面の承認するところとなっている。大陸の大多数の政府も、多少修正した形態でイギリスの工場法を受け入れなければならなかったし、イギリス議会そのものが、工場法の施行範囲を年々拡大しなければならなくなっている。しかし、この労働者の/ための方策の驚くべき成功には、その実際的な意義以外に、この成功の意義をさらに高める別の要因があった。これまで中間階級は、ユア博士、シーニア教授、その他同様の賢人たちのような、彼らの最も悪名高い学術機関の口をつうじて、労働時間をすこしでも法律で制限すれば、イギリス工業の弔鐘を鳴らす結果とならざるをえないこと、この工業は、吸血鬼さながらに、生血を、おまけに子供の生血までも吸わずには生きてゆけないということを予言し、好きなだけそれを論証してきた。その昔、子供殺しはモロクの宗教の秘儀となっていたが、しかしその実施は、若干のきわめて荘厳な儀式の場合に限られていて、たぶん年1回をこえなかった。そのうえ、モロクは、貧民の子供だけをえり好みするようなことはなかった。労働時間の法律的制限をめぐるこの闘争は、貧欲をおびえさせた以外に、じつに、中間階級の経済学である需要供給の法則の盲目的な支配と、労働者階級の経済学である社会的先見によって管理される社会的生産とのあいだの偉大な抗争に影響を及ぼすものであったから、なおさら激しくたたかわれた。こういうわけで、10時間法案は、大きな実践的成功であるだけにとどまらなかった。それは、原理の勝利でもあった。中間階級の経済学があからさまに労働者階級の経済学に屈服したのは、これが最初であった。〉(全集第16巻8-9頁)

《国際労働者協会暫定規約》マルクス(1864年9月28日発表)

  〈労働者階級の解放は、労働者階級自身の手でたたかいとられなければならないこと、労働者階級解放のための闘争は、階級特権と独占をめざす闘争ではなく、平等の権利と義務のため、またあらゆる階級支配の廃止のための闘争を意味すること、
  労働手段すなわち生活源泉の独占者への労働する人間の経済的な隷属が、あらゆる形態の奴隷制、あらゆる社会的悲惨、精神的退廃、政治的従属の根底にあること、
  したがって、労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものであること、
  これまでこの大目的のためにはらわれた努力はすべて、それぞれの国のさまざまな労働部門のあいだに連帯がなく、またさまざまな国々の労働者階級のあいだに兄弟的同盟のきずながなかったために失敗したこと、
  労働の解放は、地方的な問題でも一国的な問題でもなく、近代社会が存在しているあらゆる国々にわたる社会問題であり、その解決は、最も先進的な国々の実践的および理論的な協力にかかっていること、
  現在ヨーロッパの最も工業的な国々にみられる労働者階級の運動の復活は、新しい期待を生みだすとともに、古い誤りをくりかえさないようにという厳粛な警告をあたえるものであり、いまなおばらばらな運動をただちに結合するよう要請していること、
  以上の理由にもとついて、--
  1864年9月28日、ロンドン、セント・マーティンズ・ホールでひらかれた公開集会の決議によって権限をあたえられた委員会のメンバーである下名の者は、国際労働者協会の創立のために必要な措置をとった。
  われわれは宣言する。本国際協会ならびに本協会に加盟するすべての団体および個人は、真理、正義、道徳を、皮膚の色や信条や民族の別にかかわりなく、彼ら相互のあいだの、また万人にたいする彼らの行動の基準と認める。
  われわれは、自分自身のためだけでなく、各自の義務を.果たしているすべての人のために人および市民の権利を要求するのが、人たるものの義務である、と考える。義務を/伴わない権利はなく、権利を伴わない義務もない。
  この精神にたってわれわれは、次の国際労働者協会の暫定規約を起草した。
  第一条  本協会は、同一の目的、すなわち労働者階級の保護、進歩および完全な解放をめざしているさまざまな国々の労働者諸団体の連絡と協力を媒介する中心として創立された。
  第二条  協会の名称は「国際労働者協会」とする。
  第三条  1865年に、国際協会に加盟した労働者諸団体の代表をもって構成される一般労働老大会をベルギーで開催するものとする。大会は、労働者階級の共通の志望をヨーロッパにむかって宣明し、国際協会の規約を最終的に決定し、協会の活動の成功のために必要な方策を審議し、協会の中央評議会を任命すべきものとする。一般大会は年1回開催するものとする。
  第四条  中央評議会の所在地はロンドンとする。中央評議会は、国際協会に代表される諸国に所属する労働者をもって構成するものとする。中央評議会は、議長、会計、書記長、各国担当通信書記など、業務処理に必要な役員を互選するものとする。
  第五条  一般大会は、その年次会議において、中央評議会の1年間の活動について公式の報告をうけるものとする。中央評議会は、毎年大会によって任命されるが、みずから評議員を追加する権限をもつものとする。緊急の場合には、中央評議会は、所定の年次期日以前に一般大会を招集することができる。
  第六条  中央評議会は、さまざまな協力的協会のあいだの国際的仲介機関となって、各国の労働者にたえず他のすべての国々における自階級の運動の事情を知らせ、ヨーロッパのさまざまな国の社会状態の調査を共通の指導のもとに同時におこなわせ、一団体で提起されたものでも、一般的な関心のある問題はすべての団体の討議にかけ、また、たとえば国際紛争の場合のように、実際的な措置を即座にとる必要が生じたときには、加盟各団体が同時に一様の行動をとりうるようにはからうものとする。中央評議会は、適当と思われるときにはいつでも、提案のイニシアチブをとり、さまざまな全国的または地方的団体にそれを提示するものとする。
  第七条  各国の労働運動は一致団結の力によらなければ成功を確保することはできず、他方ではまた、国際中央評議会の有用性は、中央評議会と交渉をもつ相手が少数の労働者協会全国中央部であるか、それとも、多数のばらばらな地方的小団体であるかによって、大部分決定されざるをえないのであるから、国際協会の会員は、各自の国のばら/ばらな労働者諸団体を、全国的な中央機関に代表される全国的団体に結合するために、最大の努力をはらうべきである。ただし、この条項の適用が、各国で施行されている特別法に左右されるのは自明のことであり、また、法律上の障害を別にしても、いかなる独立の地方的団体も、ロンドンの中央評議会と直接に通信してさしつかえないのは、いうまでもない。
  第八条  第1回大会が開催されるまでは、1864年9月28日に選出された委員会が暫定中央評議会として行動し、さまざまな全国的労働者協会との連絡をはかり、連合王国内で会員を獲得し、一般大会の招集を準備する措置をとり、大会に提出されるべき主要な問題について、さまざまな全国的および地方的団体と協議するであろう。
  第九条  国際協会の各会員は、一国から他国へ住所を移す場合、労働者協会会員の兄弟的援助をうける。
  第十条  国際協会に加盟する労働者諸団体は、兄弟的協力の永遠のきずなで結ばれるとともに、その既存の組織をそのまま維持する。〉(全集第16巻12-14頁)

《初版》

 〈わが労働者は、生産過程にはいったときとはちがった様子でそこから出てくる、ということを認めなければならない。市場では、彼は、他の商品所持者には、「労働力」という商品の所持者として、つまり商品所持者にたいする商品所持者として、相対していた。彼が自分の労働力を資本家に売ったときの契約は、売り手と買い手との自由意志によって申し合わされた産物であるかのように見える。取引が終わったあとで発見されるのは、彼が「けっして自由な当事者ではなかった」ということであり、労働力を売ることが彼の自由である時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間だということ(198)であり、じっさい、彼の吸血鬼は、「搾取すべき一片の筋肉、一筋の腱、一滴の血でもあるかぎりは(199)」彼を手放さない、ということである。労働者たちは、自分たちを苦しめる蛇にたいして身を「防衛」するために結集すべきであるし、階級として、国法を、すなわち、資本との自由意志にもとづく契約でもって自分たちや自分たちの世代を死と奴隷状態にいたらせるまで売り渡していることを自分たち自身の手でやめさせるような、強大な社会的障害物(200)を、強要すべきである。「譲渡できない人権」のはでな目録の代わりに、法的に制限された労働日という地味な大憲章が登場し、この大憲章は、「労働者が売り渡す時間がいつ終わるか、また、労働者自身のものである時間がいつ始まるか、をとうとう明らかにしている(201)。」なんと変わり果てたことだろう!〉(江夏訳340-341頁)

《フランス語版》  フランス語版版では最後の部分は別のパラグラフにされ、二つのパラグラフに分けられている。ここでは一緒に掲載。

 〈われわれの労働者は生産の暑い室(ムロ)に入ったときとはちがった様子でそこから出てくる、ということを認めないわけにはいかない。彼は市場では、別の商品の所有者に対する「労働力」商品の所有者として、商人にたいする商人として、現われた。彼が自分の労働力を売ったさいの契約は、売り手と買い手双方の自由意志のあいだの合意から生じているように思われた。取引がいったん完了すると、彼がけっして「自由な当事者」でなかったということ、彼が自分の労働力を売ることを許されている時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であるということ(166)、実際には、彼を吸う吸血鬼は、「搾取すべぎ一片の肉、一筋の腱、一滴の血が彼に残っているかぎり(167)」、けっして彼を手放さないということ、が発見される。労働者たちは、「自分たちの責苦の蛇(168)」にたいして身を守るためには、結集しなければならず、また、彼らやその子孫が「自由契約」によって奴隷状態や死にいたるまで資本に売り渡されることを阻止するような乗り越せない柵、すなわち社会的障害物を、強力な集団的努力によって、階級の圧力によって、うち建てなければならない(169)。
  こうして、「人権」の華麗な目録が一つの慎み深い「大憲章」にとってかわられるが、この「大憲章」は、労働日を法定し、「労働者の売る時間がいつ終わって労働者に属する時間がいつ始まるかを、ついに明瞭に示す(170)」のである。なんと変わりはてたことだろう!〉(江夏・上杉訳311頁)

《イギリス語版》

  〈(10) 我が労働者達が、生産過程に入った時とは違った者としてそこから出て来た と云うことを、ここで、認識せねばならない。市場では、「労働力」商品の持ち主として、他の商品の持ち主達と互いに対面して立っていた。売買する者 対 売買する者として。契約によって、彼の労働力をその資本家に売るということが、言うなれば、白黒明解、彼自身を自由に処分することであると、明らかになった。取引が完結してみれば、彼はなんら「自由な取引業者」ではないことを見出す。彼が自由に彼の労働力を売る時は、なんと彼がそれを売らねばならないと、強要されていた時なのである。*」
  「事実、その時、搾取の余地が、その筋肉、神経、一滴の血に至るも、そこにある限り、吸血鬼は、彼をして離しはしないであろう。」*(本文注164: *フリードリッヒ エンゲルス の著書 「イギリスの10時間法案」)
  労働者達に「激しい苦痛をもたらす悪魔のごとき蛇」に対抗する 「保護」のために、労働者達は、彼等の頭を一つにせねばならない。そして、階級としても。法の議会通過を推進するためにも。我が労働者の売り処分を防ぐであろう社会的な固い防塁が法なのだから。各自が個々に資本と交渉することでは、自分達も自分達の家族も奴隷制度とその死に至らしめる売り処分で終わる。*
  大げさな「手離すことができない人間の権利」の大きな目録に代わって、飾りも何にもない労働日の法的制限というマグナカルタがそこにやって来た。実に、それが、いつ労働者の売りが終了するかを明確にし、いつ彼の時間が始まるかを明確にする。」なんと偉大なる変化がここに始まったことか ! * ( ラテン語 ローマの詩人 ウェルギリウス )〉(インターネットから)


●原注198

《初版》

 〈(198) 「その上、これらのやり方(たとえば1848-50年の資本の術策)は、あれほどしばしば提示された主張が誤りであることの争う余地のない証拠を、提供してくれた。その主張というのは、労働者たちはなんらの保護も必要でなく、彼らは、自分たちが所有する唯一の財産、すなわち自分たちの手の労働と自分たちの額の汗とを、処分する点で自由な当事者であると見なされてかまわない、という主張である。」(『1850年4月30日の工場監督官報告書』、45ページ)。「そう呼ぶことが許される自由な労働とは、自由な国においてさえ、こういった労働を保護すべき法律という力強い腕を必要とするものである。」(『1864年10月31日の工場監督官報告書』、34ページ。)「……食事つきまたは食事ぬきで1日に14時間、労働するのを許すことこのことは強制するのと同じことである、云々。」(『1863年4月30日の工場監督官報告書』、40ページ。)〉(江夏訳341頁)

《フランス語版》

 〈(166) 「これらのやり方(たとえば、1848年から1850年までの資本の術策)は、労働者たちは保護を必要とせず、自分たちがもっている唯一の財産、すなわち自分たちの手の労働と自分たちの額の汗とを自由に処分する点では自由な当事者と見なされてよい、という非常にしばしば行なわれた主張が、虚偽であることを、争う余地なく証拠だてた」(『1850年4月30日の工場監督官報告書』、45ページ)。「そう呼んでもよいなら自由な労働は、自由な国でさえ、これを保護するための法律の強力な腕を必要とする」(『1864年10月31日の工場監督官報告善』、34ぺージ)。「食事つきまたは食事ぬきで1日に14時間労働するのを許すことは、それを強制するのと同じことである……」(『1863年4月30日の工場監督官報告書』、40ページ)。〉(江夏・上杉訳312頁)

《イギリス語版》

  〈本文注163: *「そもそもの、その取引の数々 (1848年から1850年にかけての、資本の策動というべきもの) が、労働者達は保護を必要とはしていない、それどころか彼等が所有する彼等自身の唯一の財産- 彼等の手の労働そして彼等の額の汗 の処分については、自由な商売人と考えるべきと、何回となく繰り返し前提として叫ばれてきた主張の欺瞞性に、論争の余地がない証拠を、なによりもはっきりと提供したのである。」( 工場査察官報告書 1850年4月30日) 「自由な労働 ( もしその通りなら、そうも云えるかもしれないが) は、自由な国においてすら、それを保護するための法の強い腕を要求する。」( 工場査察官報告書 1864年10月31日) 「食事時間があろうとなかろうと、日14時間働かせることは、…. それを許容することは、強制労働となんら変わらない。等々」( 工場査察官報告書 1863年4月30日)〉(インターネットから)


●原注199

《イギリスの10時間労働法》 (エンゲルス)

 〈人々は、大工業の出現にともなって、工場主による、まったく新しい、限りなく破廉恥な労働者階級の搾取が生じたことを知っている。新しい機械は、成年男子の労働を過剰なものとした。そして、その監視のため、成年男子よりも、はるかにこの仕事に適し、しかも、いっそう安価に雇いうる婦人と児童を必要とした。工業における搾取は、したがって、ただちに労働者家族全体をとらえ、これを工場にとじこめた。婦人や児童は、極度に疲労しきって倒れるまで、日夜を分かたず働かねばならなかった。貧民労役所に収容された貧児たちは、児童にたいする需要の増大にともなって、完全な商品となった。4歳、いな3歳から、これらの児童は、ひとまとめにして、徒弟契約という形式で、いちばん高い値をつける工場主にせりおとされていった。当時の児童や婦人にたいする恥知らずの残忍な搾取、筋肉や腱の一片まで、血の最後の一滴まで、しぼりあげずにはやまない搾取にたいする思い出は、現在なおイギリスの旧世代の労働者たちのあいだにまざまざと生きている。背骨が曲がったり、手足を切断して片輪になったりして、この思い出を身にとどめているものも少なくない。しかし、そのような搾取のなごりとして、だれもかれもが、完全に身体をこわしている。アメリカのいちばんみじめな栽植農場の奴隷の運命でも、当時のイギリスの労働者のそれとくらべれば、なおすぼらしい。〉(全集第7巻239頁)

《初版》

 〈(199) フリードリッヒ・エンゲルス、前掲書〔『イギリスの10時間労働法案』〕、5ページ。〉(江夏訳341頁)

《フランス語版》 フランス語版には初版や全集版にはない原注168があるので一緒に紹介しておく。

 〈(167) フリードリヒ・エンゲルス『イギリスの10時間法案』(『新ライン新聞』、1850年4月号に所収、5ページ)。
      (168) ハインリヒ・ハイネの言葉。〉(江夏・上杉訳312頁)

《イギリス語版》  本文に挿入。


●原注200

《61-63草稿》

  〈労働時間の自然的限界を狂暴に踏み越えるのは、ただ資本の恥知らずで傍若無人な無節制であり、--そのさい、労働は、生産諸力の発展とともに、内密のうちに濃度を高め緊張を強めるのであるが、これが、資本主義的生産にもとづく社会にさえ、標準労働日を確固とした限界に強力によって制限することを余儀なくさせた(もちろんそのさいの主動力は、労働者階級自身の反杭である)ものなのである。この制限が最初に現われたのは、資本主義的生産がその組野な時代、根棒の時代をぬけて、みずからに固有の物質的土台をつくったすぐあとのことであった。労働時間のこの強制的制限にたいして、資本は労働をより強く濃縮することをもって応じたが、それはそれでまた、一定点までくると、ふたたび絶対的な労働時間の短縮をまねいた。延長に強度でとって替わるこの傾向は、生産の比較的高い発展段側階ではじめて現われる。この代替は、社会的進歩の一定の条件である。そうして、労働者にも自由な時間が生み出される。だから、ある一定の労働における強度は他の方向での活動、すなわち労働にたいして反対に休息として現われうる、休息の機能をはたしうる活動の可能性を廃棄するのではない。〔労働日の短縮の〕⑤この過程が、イギリスの労働者階級の肉体的、道徳的、知的な改善に及ぼした非常な好影響--〔これについては〕統計が立証している--は、ここから生まれるのである。
  ⑤〔注解〕 マルクスがこうした評価に到達したのは、イギリスの工場監督官の半年ごとの報告〔の研究〕によってである。とくに、『工場監督官報告書……1859年10月31日にいたる半年間」、ロンドン、1860年、47-48および52ページを見よ。--[カール・マルクス]「国際労働者協会創立宣言および暫定規約』(1864年9月28日、セント・マーティンズ・ホール、ロンドン、ロ/ング・エイカーで開催された公開集会で創立)ロンドン、1864年(『創立宣言--』、『マルクス・エンゲルス全集』、第16巻、所収)をも見よ。〉(草稿集⑨32-33頁)

《初版》

 〈(200) 10時間法案は、それが適用されている産業諸部門では、「労働者を全面的な衰退から救い、彼らの肉体状態を保護してきた。」(『1859年10月31日の工場監督官報告書』、47-52ページ。)「資本(工場における)は、就業労働者たちの健康や道徳をそこなわずには、あるかぎられた時限を越えて機械の運転を続けることができない。しかも労働者たちは自分たち自身を保護する状態におかれていない。」(同上、8ページ。)〉(江夏訳341頁)

《フランス語版》

 〈(169) 10時間法案は、それが適用される産業部門では、「労働者たちを全面的な退化から救い、彼らの肉体状態にかんするあらゆるものを保護した」(『1859年10月31日の工場監督官報告書』、47ページ)。「資本(工場における) は、労働者の健康と徳性を侵すことなしにはけっしてきまった時間以上に機械の運転を続けることができず、しかも労働者はけっして自分自身を保護することができない」(同上、8ページ)。〉(江夏・上杉訳312頁)

《イギリス語版》

  〈本文注165: *10時間法は、その法律の適用下に入った製造業の各部門において、「過去の長時間労働をする労働者達の早すぎる老衰を終結した。」( 工場査察官報告書 1859年10月31日) 資本は、(工場においては) 雇用者の健康やモラルに障害を与えることが無い様にするため、また彼等を、彼等自身を保護できない状態に置くことが無いようにするため、制限時間を超えて、機械類を運転し続けることが金輪際出来ない。」( 同上)〉(インターネットから)


●原注201

《61-63草稿》

 〈工場諸法は、「かつての長時間労働者たちの早老を終わらせた。それらは、労働者たちを彼ら自身の時間の主人とすることによって彼らにある精神的エネルギーを与えたのであって、このエネルギーは彼らを、最終的には政治権力を握ることに向けつつある」(『工場監督官報告書。185/9年1O月31にいたる半年間』、ロンドン、1860年、47ページ)。〉(草稿集④355-356頁)
 〈「もっと大きい利益は、労働者自身の時間と彼の雇主の時間とが、ついにはっきりと区別されたことである。労働者はいまでは彼の売る時間聞はいつ終わっているのか、また彼自身の時間はいつ始まるのかということを知っている。そしてこのことをまえもって確実に知ることによって、彼自身の時間を彼自身の諸目的のためにまえもって予定しておくことができるようになる!」(『工場監督官報告書。1859年1O月31にいたる半年間』、ロンドン、1860年、52ページ。)このことは、標準日の制定に関連してきわめて重要である。〉(草稿集④356頁)

《初版》

 〈(201) 「もっと大きな利益は、労働者自身の時間と彼の雇主の時間との区別がとうとう明らかにされたということである。労働者は、いまでは、自分の売った時間がいつ終わるかまた自分自身の時間がいつ始まるか、を知っており、そして、このことについての確実な予備知識をもっているので、自分自身の目的のための自分自身の時間を、あらかじめきめておくことができる。」(同前、52ページ。)「それら(工場法)は、労働者たちを彼ら自身の時間の主人公とすることによって、彼らに精神的なエネルギーを与え、このエネルギーが彼らを導いて政治権力を握らせるようになることもある。」(同上、47ページ。)工場監督官たちは、皮肉を抑え、非常に用心深い表現を用いて、現在の10時間法が、資本家をも、資本の単なる化身としての彼の本性的な野蛮性からある程度解放して、彼にある程度の「教養」のための時間を与えてくれた、とほのめかしている。以前は、「雇主は、金銭のため以外にはまるっきり時間をもっていなかったし、雇われ者は、労働のため以外にはまるっきり時/間をもっていなかった。」(同上、48ページ。)〉(江夏訳341-342頁)

《フランス語版》 フランス語版ではこの注は全集版のパラグラフが分割された第8パラグラフに付けられている。

 〈(170) 「さらにいっそう大きな恩恵は、労働者自身の時間と彼の雇主の時間とのあいだの区別が、ついに明瞭にきめられたことである。いまでは労働者は、自分の売った時間がいつ終わり自分に属する時間がいつ始まるかを知っている。そして、これを知ることによって自分自身の時間を自分の意図と計画にしたがって、あらかじめ手配することができるようになる」(同前、52ページ)。「労働者たちを彼ら自身の時間の主人公に仕立てることによって、工場立法は彼らに精神的なエネルギーを与えたが、このエネルギーは彼らをいつかは政治権力の掌握に導くであろう」(同前、47ページ)。工場監督官は、控え目な皮肉と非常に慎重な用語を用いて、現行の10時間法は資本家にとって利点がないわけではなかった、と仄(ホノ)めかしている。それは、資本家が単なる資本の擬人化にほかならなかったことから生じた、かの生来の残忍性から、資本家をある程度解放し、彼自身の教養のための幾らかの余暇を彼に与えた。以前には、「雇主は金銭のためにしか時間をもたず、奉公人は労働のためにしか時間をもっていなかった」(同前、48ページ)。〉(江夏・上杉訳頁)

《イギリス語版》 イギリス語版には訳者の長い余談があるが省略する。

  〈本文注166: *「さらなる特典の一つは、労働者自身の時間と、彼の雇用主の時間とを、明瞭に区別したことである。労働者は、今では、彼の売り時間がいつ終わったか、そして彼自身の時間がいつ始まるかを知っている。このことの確かな予知を有することで、彼自身の目的のために彼自身の時間を予め準備することができる。」(フリードリッヒ エンゲルス の著書 p52)「このことをして、彼等自身の時間の主人とすることで、( 諸工場法は) 彼等に意欲のエネルギーを与え、その意欲こそが、彼等を結果として、政治的な力を持つ事へと導いたのである。(同上 p47) 強烈なる皮肉と際立つ適切なる言葉で、工場査察官達は、こう云う。現実の法が、また、資本家からある種の野獣性を取り除き、単なる資本家への道に向かわせたと。そして、彼に少しばかり「文化」のための時間を与えたと。「以前は、工場主は金の事以外の時間を持たず、その使用人は労働以外の時間を持たなかった。」(同上 p48)〉(インターネットから)


  (第7節終わり)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『資本論』学習資料No.39(通... | トップ | 『資本論』学習資料No.40(通... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

『資本論』」カテゴリの最新記事