『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.37(通算第87回)(6)

2023-10-20 16:27:01 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.37(通算第87回) (6)



◎原注121

【原注121】〈121 (イ)労働者を非難する人々のうちで最もひどく怒っているのは、本文にあげた『産業および商業に関する一論、租税の考察を含む』(ロンドン、1770年)の匿名の著者である。(ロ)すでにそれ以前から、彼の著書『租税に関する考察』(ロンドン、1765年)のなかでもそうだった。(ハ)ポロニアス・アーサー・ヤング〔ポロニアスは『ハムレット』のなかのおしゃべりな宮内官〕、これはなんとも言いようのないおしゃべりの統計屋であるが、このヤングも同じ方向について行く。(ニ)労働者を擁護する人々のうちで先頭に立つのは、『貨幣万能論』(ロンドン、1734年)のなかでのジェーコブ・ヴァンダリント、『現時の食糧価格高騰原因の究明』(ロンドン、1767年)のなかでの神学博士ナサニエル・フォースター師、ドクター・プライスであり、またことにポスルスウェートは、その『商工業大辞典』への付録のなかでも、『グレート・ブリテンの商業的利益の解明と改善』、第2版(ロンドン、1759年)のなかでも、そうである。(ホ)事実そのものは、そのほか多くの同時代の著述家たち、ことにジョサイア・タッカーによって確認されているのが見いだされる。〉 (全集第23a巻359頁)

  これは〈たとえば、当時その商業辞典が今日マカロックやマクグレガーの同種の著述が博しているのと同じ好評を博したポスルスウェートと、前に引用した『産業および商業に関する一論』の著者との論戦を聞いてみよう(121)。〉という本文に付けられた原注ですが、文節に分けて検討しおきましょう。

  (イ)(ロ)(ハ) 労働者を非難する人々のうちで最もひどく怒っているのは、本文にあげた『産業および商業に関する一論、租税の考察を含む』(ロンドン、1770年)の匿名の著者です。すでにそれ以前から、彼の著書『租税に関する考察』(ロンドン、1765年)のなかでもそうでした。ポロニアス・アーサー・ヤング〔ポロニアスは『ハムレット』のなかのおしゃべりな宮内官〕、これはなんとも言いようのないおしゃべりの統計屋ですが、このヤングも同じ方向について行っています。

  まず労働者たちは4日分の賃金で1週間くらせたから、残り2日間は働かなかったことについて、もっとも非難し怒っているのは『産業と商業に関する一論』の著者だということです。ここでもマルクスは〈匿名の著者〉と述べていますが、実際はすでに言いましたように、カミンガムことです。この著書の内容は第11パラグラフで問題になります。
  次に〈ポロニアス・アーサー・ヤング〉というのですが、〈ポロニアス〉というのは挿入されている説明文では〈ポロニアスは『ハムレット』のなかのおしゃべりな宮内官〉というのですからヤングを揶揄するための枕詞として付けているのでしょう。「おしゃべりなアーサー・ヤング」というぐらいの意味でしょうか。ヤングもカミンガムと同じ方向に、つまり労働者たちを批判する立場に立っているということです。ヤングについては『資本論辞典』の説明の概要を紹介しておきます。

  ヤング Arthur Young (1741-1820)イギリスの農学者.イングランドのサファタ州出身で,農業にかんする著作家としてもっとも著名な人の一人.彼ははじめ実際の農業家になろうとしたが,これに失敗したため研究家あるいは著述家に転じた.…….封建的農業経営の非合理を打破するものとして,従来は休閑地とされていたところに蕪を植栽することによって,近代的輪作による経営の合理化をはかるものであった.ヤングはこの方法こそイギリス農業の近代化をもたらすものであり,そしてこの経営は大農場においてこそもっとも合理的に行ないうるものとして,大農場経営を強調した.その結果.いままで小農経営の基盤であった開放耕地を徹底的に排除し,大規模の図込みをなすべきであるとした.……/このようにヤングはもっぱら資本家的農業家の立場に立って,イギリス農業近代化の方向を主張L. 余剰の人口は臨海軍に用いて国力を増進L. またこれを商工業に転じて国の富を増大すべきであるとした.……/マルクスはヤングを‘饒舌で無批判的な著述述家で,その名声は功績に逆比例している' とか,‘話にならない統計的饒舌家たるポロニアス' とか,'皮相な思索家ではあったが,精密な観察者,とか評している……労働者は4日分の賃銀で1週間生活しえたので,資本家のため他の2日を労働にあてないといって.労働者を非難した人々のうちに.ヤングが挙げられている。〉 (571-572頁)

  (ニ) 労働者を擁護する人々のうちで先頭に立つのは、『貨幣万能論』(ロンドン、1734年)のなかでのジェーコブ・ヴァンダリント、『現時の食糧価格高騰原因の究明』(ロンドン、1767年)のなかでの神学博士ナサニエル・フォースター師、ドクター・プライスであり、またことにポスルスウェートは、その『商工業大辞典』への付録のなかでも、『グレート・ブリテンの商業的利益の解明と改善』、第2版(ロンドン、1759年)のなかでも、そうでした。

  今度は労働者を擁護する人々については、4人挙げられています。最後のボルスウェートについては、すぐ次の第10パラグラフで取り上げられますので、ここではそれ以外の人については見ていくことにしましょう。
  まずその先頭に立つと言われている、『貨幣万能論』の著者ジェーコブ・ヴァンダリントについてです。カミンガムに反対する論者としてヴァンダリントの名前はしばしば出てきますが、具体的にその主張が引用されているものとしては、貨幣の諸機能に関連したものはいくつかありましたが、労働者を擁護する主張のようなものは見当たりませんでした。そこで『資本論辞典』からその説明を紹介しておくことにします。

  ヴァンダーリント Jacob Vanderlint (!1740)イギリスに帰化したオランダ商人.唯一の著書《Money answers all Things》(1734)によって知られている.貿易差額脱を批判して自由貿易論へ道を開き,下層・中間階級の地位の引上げを目標とし.高賃銀を要求し.土地にたいする不生産的地主の独占を攻撃した.マルクスはアダム・スミスにいたるまでの経済学が,哲学者ホッブズ,ロック.ヒューム.実業家あるいは政治家トマス・モア,サー・W・テンプル,シュリー,デ・ゲイツト,ノース,ロー.カンティヨン.フランクリンにより,また理論的にはとくに医者ペティ,バーボン. マンドヴィル,ケネーにより研究されたとしているが,ヴァンダリントもこれら先人のなかに加えられており,とくにつぎの三つの点でとりあげられている.第一に,流通手段の量は,貨幣流通の平均速度が与えられているばあいには,諸商品の価格総頬によって決定されるのであるが,その逆に,商品価格は流通手段の量により,またこの後者は一国にある貨幣材料の量によって決定されるという見解(初期の貨幣数量説)があり,ヴァンダリントはその最初の代表者の一人である.この見解は,商品が価格なしに,貨幣が価値なしに流通に入り込み,そこでこの両者のそれぞれの可除部分が相互に交換されるという誤った仮設にもとづく'幻想'である,と批判されている.またこの諭点に関連して,ヴァンダリントにおける,貨幣の退蔵が諸商品の価格を安くする,という見解が批判的に,産源地から世界市場への金銀の流れについての叙述が傍証的に引用されている.第二に,ヴァンダリントはまた,低賃銀にたいする労働者の擁護者としてしばしば引用され,関説されている.第三に,マニュフアクチュア時代が,商品生産のために必要な労働時間の短絡を意識的原則として宣言するにいたる事情が,ペティその他からとともにヴァンダリントからもうかがい知ることができるとされている.上述の批判にもかかわらず.《Money answers all Things》は,‘その他の点ではすぐれた著述'であると評価され,とくにヒュームの《Political Discourses》(初版1752)が,これを利用したことが指摘されている.《反デューリング論》の(《批判的学史》から)の章ではこの両者の関係が詳細に確認され, ヒュームはヴァンダリントにまったく迫随しつつ,しかもそれに劣るものであると断ぜられている(その他の点でも《反デュリング論》の参照が必要).〉 (472頁)

  その次に挙げられているのは〈『現時の食糧価格高騰原因の究明』(ロンドン、1767年)のなかでの神学博士ナサニエル・フォースター師〉です。フォースターについては、『資本論辞典』にも記載がありませんが、全集版の人名索引では〈イギリスの牧師.経済問題に関する二,三の著作の著者.労働者の利益を擁護した〉とだけあります。ただ『61-63草稿』には、この著書からの引用もいろいろとありますが、一つだけ紹介しておきます。

  〈「また、国民の大多数にとって、生活手段や食料のための諸生産物が大部分自然生的な{すなわち、労働の結果、でもなく、人間活動の発展にたいする刺激の結果、でもない}ものであり、また気候は衣服や住居の心配の必要がほとんどないか、またはその余地がほとんどないといった一片の土地に追いやられることほど、ひどい禍いを私は想像することができない。……その反対の極端もある、であろう。労働による生産ができない土地は、労働しなくても豊富に産出する土地とまったく同様に、悪いものである。」(〔ナサニエル・フォースタ〕『現在の食糧品高価格の諸原因に関する研究』、ロンドン、1767年、10ページ。)〉 (草稿集⑨456頁)

  次は〈ドクター・プライス〉ですが、第24章の本源的蓄積のところで、農村の囲い込み運動に反対する論者としてプライスの名が取り上げられています。一つだけ紹介しておきます。

  〈「ここでは開放地と既耕地との囲い込みについて述べよう。囲い込みを弁護する薯述家たちでさえも、囲い込/みが大借地農場の独占を増進し、生活手段の価格を高め、人口減少をひき起こすということは認めている。……そして、現在行なわれているような荒れ地の囲い込みでさえも、貧民からはその生活維持手段の一部を奪い、また、すでに大きすぎる借地農場をいっそう膨張させるのである。」ドクター・プライスは次のように言っている。「もし土地がわずかばかりの大借地農業者の手にはいってしまうならば、小借地農業者」(前には彼はこれを「自分の耕す土地の生産物により、また自分が共同地に放牧する羊や家禽や豚などによって自分と家族を養い、したがって生活手段を買う機会をほとんどもたない一群の小土地所有者と小借地農業者」と呼んでいる)「は、他人のための労働によって生計の資を得なければならないような、そして、自分に必要なすべてのものを市場に求めざるをえないような人々に変えられてしまう。……おそらくより多くの労働がなされるであろう。というのは、そのための強制がより多く行なわれるからである。……都市も工場も大きくなるであろう。というのは、そこには仕事を求める人々がますます多く追い立てられてくるからである。これが、借地農場の集中が自然的に作用する仕方なのであり、また、何年も前からこの王国で実際に作用してきた仕方なのである。」
  彼は囲い込みの総結果を次のように要約する。
  「全体として下層人民階級の状態はほとんどどの点から見ても悪化しており、比較的小さい土地所有者や借地農業者は、日雇い人や常雇い人の地位まで押し下げられている。また、それと同時に、このような状態で生活を維持することはますます困難になってきたのである。」(原注209〈ドクター・R ・プライス『生残年金の考察』、第2巻、155、156ぺージ。フォースター、アディントン、ケント、プライス、ジェームズ・アンダソンを読んで、それらを、マカロックの目録、『経済学文献』、ロンドン、1845年、のなかの彼の哀れな追従的多弁と比較せよ。〉〉 (全集第23b巻948-949頁)

  また『61-63草稿』でも言及は多いですが、一つだけ紹介しておきます。

 〈「以上のような政策は」、とドクター・プライスは言う、「一時代昔のものである。近代の政策はもっと上層階級の人々を利するものである、というのが実際のところである。その行き着くところはじきに明らかとなろう。すなわち、王国の住民はすべて、ジエントリ乞食だけに、あるいは貴族奴隷だけになってしまうだろう。(『生残年金についての考察』158ページ。)
  昔は土地占有者の数も多く、彼らはみな、自分自身のために労働する機会を今より多くもっていたのであるから、みずからすすんで他人のために働くような人の数はずっと少なかったし、日雇い労働の価格も高かったにちがいない、と結論してもなんらさしっかえないだろう。〉 (草稿集⑨627頁)

  最後に『資本論辞典』の説明も紹介しておきます。

  プライス Richard Price(1723-1791)イギリスの分離派の宗教家.1767年神学博士となったが,急進主義の思想家で,フランクリンやプリーストリの友人であった.…… 1776年《0bservations on the Nature of Civil Liberty》を著し.イギリスの植民地支配を批判してしてアメリカ独立運動に大きな役割を演じたが,1789年には非国教徒集会所で《Onthe Love Our Country》と題する有名な説教を行ない,当時勃発したフランス革命の正当怯とイギリスにおける議会改革の必要性を脱き,バークのフランス革命論執筆に動機を与えた. さらに《Observations on Reversionary Payments》(1769:3rd ed..1773)を箸わし,そのなかで. 1760年代以降大規模に展開された綜画連動が生み出した社会問題をとりよげて論評を加え,名誉革命以後の政策が商工業偏重で論家でり,綜画を法的に認めたため,耕地は大農に独占されて小農民が土地を収奪され,農梁生産力が破壊され.その結果,農産物価格が騰貴し,下層階級の生活維持が困難になり.かくて,一世紀以前にくらべてイギリスの国富と人口はいちじるしく減少したと主張した.このプライスの主張にたいしては多くの人々が反対したが.とくにヤングは,綜画と大農経営の擁護論を展開してもっとも精力的にプライス批判を行なった.これは人口論争と呼ばれるが,マルクスは『資本論』第l巻第24章で,プライスの主張が当時の農民と労働者の利益を代表し.素朴ながらも,資本の本源的蓄積過程の矛盾を鋭く摘出したものであるとして高く評価している。しかし,プラスの社会批判はこれに止まらず,重商主義の財政政策を批判し,《An Appeal to the PubIic on the Subject of the National Debt》(1762) において.減償基金制度の設置を提唱し,これは後にピットの財政改革に大きな影響を与えた. しかし. 『資本論』第3巻第24章では,このプライスの議論は,資本があたかもその生得の属性によって永遠に存続し. みずからを増殖する価値であるかのような表象にとらわれているものにすぎないと批判されている. 〉 (538頁)

  (ホ) 事実そのものは、そのほか多くの同時代の著述家たち、ことにジョサイア・タッカーによって確認されているのが見いだされる。

 ここで〈事実そのものは〉というのは、労働者が4日の賃金で1週間まるまる生活できるという事情などのことではないかと思います。タッカーについては、『資本論』ではやはり第24章の本源的蓄積のところに二度ほど出てきますが、具体的にその主張について詳しく論じたり引用されているものは見あたりませんでした。ただ『61-63草稿』には次のような一文がありました。MEGAの注解とともに紹介しておきます。

 〈{(1)ジョサイア・タッカーの諸著作
(1)〔注解〕ジョサイア・タツカー「貿易に附して、フランスと大ブリテンそれぞれにひきおこす有利と不利に関する小論』、第3版、ロンドン、1753年。序論、Ⅵページ。    「すべての商人によってめざされる主要な考え、または主眼は、物事の本位からして、またあらゆる国において、彼自身に有利な差額であるに違いない。しかし必ずしも、この差額が同じく国民に有利なものである、ということになるわけではない。」
  重商主義の貿易差額論に反対するけつこうな機知。(サブノートC、27ページ。)
  まず第一に、一般的過剰生産の可能性にたいする反対論。(同上。)
  人口〔は〕富。より多くの人間はより多〈の労働に等しい、そして労働は「一国の富」〔である〕。同上。
  より富裕な国は貨幣の流入等のゆえに、生産するものがより高くならざるをえない、というヒュームの理論にたいする反対論。(同上、28ページ。)}{国の価値。それを高くすることが、あらゆる交易の目的〔である〕。〉 (草稿集⑨657-658頁)

  また『資本論辞典』には次のような説明がありました。

  タッカー Josiah Tucker (1713-1799)イギリス国教教会の僧としてプリストルとグロースターとに居住.多くの経済・政治論説を執筆し,この活動によって著名であった.……『資本論』によれば,タッカーは'有能な経済学者'であり.とくに実践的感覚に鋭く,現状の把握のうえでも,たとえばイギリスの賃銀の実状について明確であった.しかし彼の自由貿易論には世界市場におけるイギリス産業資本の利己主義があらわれており,値民地放棄論もアメリカ人民の立場からのものではなく,政治的には頑固な保守派(その意味で'トーリー')として一貫した.これらがスミスと一線を画するところである.マルクスはしかし,アメリカ革命にたいしては自由主義者,フランス革命にたいしてはロマン主義者だったバークのような変節者にたいしては.その論敵タッカーの方を,'態度が正しい' (anständig) として尊重している.〉 (512-513頁)


◎第10パラグラフ(労働者を擁護するポスルスェートの主張)

【10】〈ボスルスウェートはなかんずく次のように言う。
  「私がこの簡単な所見を結ぶにあたって一言しないわけにはゆかないのは、もし労働者(industrious poor) が生活するために十分なだけを5日で受け取れるものならば彼はまる6日も労働しようとはしないだろう、という/あまりにも多くの人が口にするありふれた言いぐさについてである。このことから、彼らは、手工業者やマニュファクチュア労働者に絶えまない1週6日の労働を強制するためには、租税やその他なにかの手段によって生活必需品を高価にすることさえ必要だということを結論する。失礼ながら、私はこの王国の労働する人民の永久的な奴隷状態(the perpetual slavery of the working people) のために槍(ヤリ)を構えるこれらの偉い政治家たちとは違う意見をもっている。彼らは“all work and no play"(働くだけで遊ばないとばかになる) ということわざを忘れている。イギリス人は、これまでイギリス商品に一般的な信用と名声とを与えてきた彼らの手工業者やマニュファクチェア労働者の独創と熟練とを自慢するではないか? それはどういう事情のおかげだったか? おそらく、われわれの労働民衆が彼らの特有のやり方で気晴らしをするということ以外のなにのおかげでもないだろう。もしも彼らが1週にまる6日絶えず同じ仕事を繰り返しながら1年じゅう働きとおすことを強いられるならば、それは彼らの独創力を鈍らせて、彼らを元気にし敏活にするよりもむしろ愚鈍にするのではないだろうか? そして、このような永久的な奴隷状態によっては、われわれの労働者はその名声を維持するどころかそれを失ってしまうのではないだろうか?……そんなにひどくこき使われる動物(hard driven animals) からは、われわれはどんな種類の技能を期待できようか?……彼らの多くは、フランス人なら5日か6日かかる労働を4日でやる。しかし、もしイギリス人が永遠の苦役労働者でなければならないなら、彼らはフランス人よりもっと退化する(degenerate) おそれがある。わが国昆が戦場の武勇で名をあげるとき、われわれは、それは一面では国民の腹のなかにあるイギリスの上等なローストビーフとプディングとのおかげであり、他面ではそれに劣らずわれわれの立憲的な自由の精神のおかげである、と言うではないか? それならば、われわれの手工業者やマニュフアクチュア労働者のすぐれた独創力やエネルギーや熟練は、なぜ、彼らが彼らの特有のやり方で気晴らしをする自由のおかげであってはならないのか? 私は希望する、彼らがけっしてこれらの特権を失わないであろう/ことを、また彼らの技能の源(ミナモト)であると同時に彼らの元気の源でもある良い生活をも失わないであろうことを!(122) 」〉 (全集第23a巻359-361頁)

  このパラグラフは全体がほぼポスルスェートの著書からの引用だけで、しかも読めば分かるような内容なので、文節に分けて平易に書き直して考察する必要はないでしょう。
  ポスルスェートは1週間の生活費を5日の労働で受け取れるなら、6日目も働く必要ない、それどころかその与えられた余暇は労働者の創造力を豊かにして、むしろイギリスの商品の一般的な名声と信用を与えているのだと述べています。奴隷状態からは労働者の独創性や熟練は生まれないのだ、等々。

  〈“all work and no play"(働くだけで遊ばないとばかになる) ということわざ〉という部分には、新日本新書版には次のような訳者注がついています。

  〈17世紀のJ・レイの『イギリス格言集』に収められた有名な諺〉 (475頁)

  なおポスルウェイトについては原注122を参照してください。


◎原注122

【原注122】〈122 ポスルスウェート、同前、『第一序論』、14ページ。〉 (全集第23a巻361頁)

  これは第10パラグラフで引用されているポスルスェートの引用文の典拠を示すものです。
『資本論』ではこれ以外にポスルスェートへの言及は見あたりません。『61-63草稿』の草稿集⑨の文献目録ではポスルスェートの著書として〈『商工業大辞典.大きな追加と改善を付す』,ロンドン, 1774年 〉と〈『大ブリテンの商業的利益の解明と改善....』,第2版,ロンドン,1759年〉の二つが紹介されています。そして後者の一文が次のように引用されています。

  ポスルスウエイトは、『大ブリテンの商業的利益の解明と改善……』、第2版、ロンドン、1759年、という一つの著書において、次のように述べている。「重税は必需品の価格を上昇させるに違いないし、必需品の高価格は労働の価格を上昇させるに違いないし、さらに労働の高価格は諸商品の価値を上昇させるに違いない。だから、労働が最も安価な国は、つねに他の諸国よりも安い値で売ることができ、またそれらの国々との取引で儲けることができるのである。」〉 (草稿集⑨686頁)

  これは労働者の生活必需品の価格を引き上げて、労働者が1週間生活するためには1週間まるまる労働に縛りつけられねばならないようにするために、生活必需品への課税を主張したカミンガムに対する反論として書かれているものです。


◎第11パラグラフ(『産業および商業に関する一論』の著者〔カミンガム〕の主張)

【11】〈(イ)これにたいして、『産業および商業に関する一論』の著者は次のように答える。
(ロ)「もし週の7日めを休みにすることが神のおきてとみなされるならば、それには、他の週日が労働に」(というのは、すぐ次にわかるように、資本にということである)「属するということが含まれているのであって、この神の命令を強行することが、残酷だと言って叱られるわけはない。……およそ人類は生来安楽と怠惰とに傾くということ、このことを、われわれは、不幸にも、われわれのマニュファクチュア細民の行動から経験するのであって、この細民は、生活手段が騰貴する場合のほかは、平均して週に4日より多くは労働しないのである。……1ブッシェルの小麦が労働者の全生活手段を代表し、それが5シリングで、労働者は自分の労働によって毎日1シリングかせぐものと仮定しよう。その場合には、彼は1週に5日だけ労働すればよい。もし1ブッシェルが4シリングなら、4日だけでよい。……ところが、労賃はこの国では生活手段の価格に比べてもっとずっと高いのだから、4日労働するマニュファクチュア労働者は余分なかねをもっていて、そのかねで週の残りは遊んで暮らすのである。……週に6日の適度な労働がけっして奴隷状態ではないということを明らかにするためには、私の述べたことで十分だと思う。われわれの農業労働者はこれを実行しているが、どこから見ても彼らは労働者(labouring poor)のうちで最も幸福な人々である(123) 。しかし、オランダ人はこれをマニュファクチュアで行なっていて、非常に幸福な国民のように見える。フランス人は、多くの休日があいだにはさまらないかぎり、それを行なっている(124)。……ところが、わが国の庶民は、自分にはイギリス人として生得の権利によって、ヨーロッパのどこかほかの国における」(労働者民衆) 「よりももっと自由で独立であるという特権がある、という固定観念を自分の頭に植えつけた。ところで、この観念は、それがわれわれの兵士の勇気に影響を及ぼすかぎりでは、多少/は有益であるかもしれない。しかし、マニュファクチュア労働者は、そのような観念をもつことが少なければ少ないほど、彼ら自身のためにも国家のためにもよいのである。労働者はけっして自分たちが自分たちの上長から独立している(independent of their superiors) と考えてはならないであろう。……おそらく総人口の8分の7が財産をほとんどかまたはまったくもっていないわが国のような商業国では、民衆を勇気づけることは格別危険である(125)。……わが国の工業貧民が、いま彼らが4日でかせぐのと同じ金額で6日働くことに甘んずるようになるまでは、救済は完全ではないであろう(126)。」
(ハ)この目的のためにも、また「怠惰や気ままやロマンティックな自由の夢想の根絶」のためにも、同じくまた「救貧税の軽減や勤勉精神の助長やマニュファクチュアにおける労働価格の引き下げのためにも」、資本に忠実なわがエッカルト〔ドイツの英雄詩のなかの忠義者〕は、公の慈善に頼っているこのような労働者を、一口に言えば、受救貧民〔paupers〕を、一つの「理想的な救貧院」(an ideal Workhouse〕に閉じ込めるというきわめつきの方策を提案する。(ニ)「このような家は恐怖の家(House of Terror) にされなければならない(127)。」(ホ)この「恐怖の家」、この「救貧院の典型」では、「毎日14時間、といっても適当な食事時間がはいるので、まる12労働時間が残るように」労働が行なわれなければならない(128)。〉 (全集第23a巻361-362頁)

  このパラグラフの大部分は『産業および商業に関する一論』からの引用ですが、最後にマルクス自身の文章として関連したものが書かれていますので、文節に分けて(ただし引用はそのままに)検討しておきます。なおマルクスはこの著書が匿名で書かれていることもあり、その著者の名前は伏せたまましていますが、『61-63草稿』では明確に著者はカミンガムだと述べており、以下、カミンガムとして論じていきます。

  (イ)(ロ) これにたいして、『産業および商業に関する一論』の著者は次のように答えます。
  「もし週の7日めを休みにすることが神のおきてとみなされるならば、それには、他の週日が労働に」(というのは、すぐ次にわかるように、資本にということである)「属するということが含まれているのであって、この神の命令を強行することが、残酷だと言って叱られるわけはない。……およそ人類は生来安楽と怠惰とに傾くということ、このことを、われわれは、不幸にも、われわれのマニュファクチュア細民の行動から経験するのであって、この細民は、生活手段が騰貴する場合のほかは、平均して週に4日より多くは労働しないのである。……1ブッシェルの小麦が労働者の全生活手段を代表し、それが5シリングで、労働者は自分の労働によって毎日1シリングかせぐものと仮定しよう。その場合には、彼は1週に5日だけ労働すればよい。もし1ブッシェルが4シリングなら、4日だけでよい。……ところが、労賃はこの国では生活手段の価格に比べてもっとずっと高いのだから、4日労働するマニュファクチュア労働者は余分なかねをもっていて、そのかねで週の残りは遊んで暮らすのである。……週に6日の適度な労働がけっして奴隷状態ではないということを明らかにするためには、私の述べたことで十分だと思う。われわれの農業労働者はこれを実行しているが、どこから見ても彼らは労働者(labouring poor) のうちで最も幸福な人々である。しかし、オランダ人はこれをマニュファクチュアで行なっていて、非常に幸福な国民のように見える。フランス人は、多くの休日があいだにはさまらないかぎり、それを行なっている。……ところが、わが国の庶民は、自分にはイギリス人として生得の権利によって、ヨーロッパのどこかほかの国における」(労働者民衆) 「よりももっと自由で独立であるという特権がある、という固定観念を自分の頭に植えつけた。ところで、この観念は、それがわれわれの兵士の勇気に影響を及ぼすかぎりでは、多少/は有益であるかもしれない。しかし、マニュファクチュア労働者は、そのような観念をもつことが少なければ少ないほど、彼ら自身のためにも国家のためにもよいのである。労働者はけっして自分たちが自分たちの上長から独立している(independent of their superiors) と考えてはならないであろう。……おそらく総人口の8分の7が財産をほとんどかまたはまったくもっていないわが国のような商業国では、民衆を勇気づけることは格別危険である(125)。……わが国の工業貧民が、いま彼らが4日でかせぐのと同じ金額で6日働くことに甘んずるようになるまでは、救済は完全ではないであろう。」

  これはカミンガムの著書から直接引用されたものというより、部分的に引用しながら、マルクスによって彼の主張を要約してまとめているもののように思えます。
 カミンガムは週7日目を休日と神が定めたのなら、あとの6日は労働すべきだというのも神の思し召しだと述べ、だから週6日を資本に捧げることは神の意志であって、残酷だなどいうことはないだなどと勝手な解釈を述べています。これは『61-63草稿』の抜粋を見ると、次のように述べています。

  〈「7日ごとに1日休日とすることが神聖な制度と考えられているのであれば、それは、他の6日を労働にあてることを意味するのであるから、労働を強制することは、当然にも、無慈悲なこととは考えられない、であろう。」(41ページ。)〉 (草稿集⑨頁)

  〈およそ人類は生来安楽と怠惰とに傾く〉というとらえ方は、カミンガムの立場を象徴しています。先のポスルスェートが余暇は労働者の独創性や、精力、熟練をもたらすという考えと対照的です。
  こうしたカミンガムの考えですから、だから4日分の賃金で1週間生活できるなら、残り2日間を労働者は働こうとしないのだ、だから賃金を低く抑えるか、あるいは生活必需品の価格を引き上げて、労働者が6日間目一杯働かないと生活できないようにすべきだ、というのが彼の考えなのです。
  そしてオランダ人やフランス人はそれをやっているではないか、それなのにイギリス人はなぜか自分たちはもっと自由で独立しているという固定観念にとらわれている。しかし労働者が自分は自分たちの上位の者から独立しているなどという観念は危険極まりないものだ、等々と述べています。
  マルクスはこのカミンガムの著書を重要視し、あちこちで引用していますが、『61-63草稿』でもかなりのスペースを割いて抜粋しています(付属資料参照)。その最初のところでこの著書の意義について次のように述べています。

 〈{〔カニンガム〕『貿易と商業に関する一論。わが国の製造業における労働の価格に影響を及ぼすと考えられている諸税に関する考察を含み、云々』、ロンドン、177O年。(この著作の本質的な中味は、同じ著者によってすでに、『……諸税に関する考察』、ロンドン、1765年〔、に述べられている〕。)この男は、当時農業労働者たちが置かれていたのと同じ「幸福な状態」に復帰するに違いない製造業労働者にたいして、非常に憤激している。彼の著作は非常に重要である。その著作からは、大工業が採用される直前でもなお、製造業においては規律が欠如していたこと、人手の供給がまだまったく需要に照応していなかったこと、労働者はまだけっして彼の全時間を資本に属するものと見なしていなかったことがわかる。(当然にも、当時はまだ労働者たちは粗野であった。だがそれも、彼らの生まれつきの上位者たちほどではなかった。)こうした弊害を除去するために、この著者は、生活必需品にたいする重税で、凶作の場合と同様に労働者に労働を強制すること、労働者のあいだの競争を強化するための一般的な帰化、そしてまた鋳貨の偽造(貨幣の引上げ)等々を推奨する。この勇ましい男が要求したことは、機械(マシネリー)をのぞいてすべて、まもなく実際に出現した。すなわち、食糧品の高価格、莫大な課税、通貨の減価、そして、賃金水準の引下げへ向かって作用し、また「イギリスのたくましい貧農」が体現していた「貧窮」と並んでようやく1815年に工場〔労働者〕のルンペン化をもたらした諸事情そのものが出現したのである。以下の諸章句はさしあたり、部分的には、製造業労働者が当時実際に働いていた労働時間の問題として、また部分的には、製造業労働者に彼らの力の許すかぎり労働することを強制しようとする(また製造業労働者に勤勉の習慣、労働の恒常性を身につけさせようとする)資本の性向の問題として重要である。〉 (草稿集⑨684頁)

  なお〈もし週の7日めを休みにすることが神のおきてとみなされるならば〉という部分には、新日本新書版では〈〔創世記、2・1-3、出エジプト記、23・12など〕〉(475頁)という説明文が挿入されています。

  (ハ)(ニ)(ホ) この目的のためにも、また「怠惰や気ままやロマンティックな自由の夢想の根絶」のためにも、同じくまた「救貧税の軽減や勤勉精神の助長やマニュファクチュアにおける労働価格の引き下げのためにも」、資本に忠実なわがエッカルト〔ドイツの英雄詩のなかの忠義者〕は、公の慈善に頼っているこのような労働者を、一口に言えば、受救貧民〔paupers〕を、一つの「理想的な救貧院」(an ideal Workhouse〕に閉じ込めるというきわめつきの方策を提案しています。「このような家は恐怖の家(House of Terror) にされなければならない(127)。」この「恐怖の家」、この「救貧院の典型」では、「毎日14時間、といっても適当な食事時間がはいるので、まる12労働時間が残るように」労働が行なわれなければならないというのです。

  このカミンガムという男は、どうしょうもないほど悪辣な根性の持ち主ですが、救貧院のようなところに収容されざるを得ない人たちに対しても、それに投ずる税の軽減のためにも、また〈「怠惰や気ままやロマンティックな自由の夢想の根絶」のためにも〉〈「理想的な救貧院」〉に閉じ込め、強制労働をさせることを提案しているというのです。しかもこの労役場は〈「恐怖の家」〉にならなければならないなどとも述べているようです。この問題についても『61-63草稿』で次のように抜粋・紹介されています。

  労役場〔workhouse〕が機能しなければならないとすれば、それは恐怖の家〔hous of terror〕にならなければならない。
  「労役場の計画が……怠惰、放蕩および不節制を根絶すること、勤勉の精神を鼓舞すること、わが国の製造業における労働の価格を低下させること……にかんして、なにかよい目的をかなえるべきであるならば、労役場は、ひとつの恐怖の家にされるべきであり、貧民のための避難所となってはならないのである。」(242[1243]ぺージ。)そうした「労役場」を、彼は「理想的な労役場」と呼び、そうした点において次のような提案をしている。「食事のために独自な時聞を与え12時間のきちんとした労働を残すようなかたちで、彼(貧民)に1日14時間働かせる。」(260ページ。)
 彼(同様にポスルスウエイトも見ること)が一方で、1週間に6日の労働は製造業で働く労働者にとってけっして「奴隷制」ではないということを証明し、オランダでは製造業において貧民が〔週に〕6日労働するということを特記すべきこととして挙げているのを見るならば、また、彼が他方で、彼のいう「恐怖の家」、「理想的な労役場」において12時間の労働を提案する場合にも、さらには、工場における、児童、婦人、若年層の労働時間を12時間に制限すること(1833年?)がひとつの恐るべき暗殺計画であるとしてユアや彼に同調する雇い主たち〔Brodgeber〕によって反対されたことと、フランスの労働者が労働時間を12時間に短縮したことを2月革命のたぐいまれなる功績と考えたこと(『工場監督官報告書』を見よ)とを対照するならば、資本主義的生産様式によって強制された労働時間(労働日)の延長が手にとるようにわかるのである。〉 (草稿集⑨689頁)

  なお〈資本に忠実なわがエッカルト〔ドイツの英雄詩のなかの忠義者〕〉の部分は、全集版ではこのように説明文が挿入されていますが、新日本新書版では〈エッカルト〉に次のような訳者注が付いています。

  〈ドイツの伝説に出てくる長いひげの老人で、危険などを警告する人物。格言やゲーテの物語詩で著名。〉 (477-478頁)

  ただフランス語版では〈資本に忠実なわが戦士は〉(江夏・上杉訳281頁)とあるだけです。


◎原注123

【原注123】〈123 (イ)『産業および商業に関する一論』。(ロ)彼自身が、その96ページでは、すでに1770年にはイギリスの農業労働者の「幸福」がなんであったか、を語っている。(ハ)「彼らの労働力(their working powers)は、いっでも極度の緊張状態に(on the stetch)ある。彼らは彼らがやっているよりもそまつな暮らしをすることはできないし(they cannot live cheaper than they do)、またそれより激しく労働することもできない(nor work harder)。」〉 (全集第23a巻362頁)

  (イ)(ロ)(ハ) 産業および商業に関する一論』。彼自身が、その96ページでは、すでに1770年にはイギリスの農業労働者の「幸福」がなんであったか、を語っています。「彼らの労働力(their working powers)は、いっでも極度の緊張状態に(on the stetch)ある。彼らは彼らがやっているよりもそまつな暮らしをすることはできないし(they cannot live cheaper than they do)、またそれより激しく労働することもできない(nor work harder)。」

  これは〈われわれの農業労働者はこれを実行しているが、どこから見ても彼らは労働者(labouring poor)のうちで最も幸福な人々である(123) 。〉という本文に付けられた原注です。
  つまり1週間に6日働くことは、イギリスでも農業労働者はそれをやっているのだ、しかも彼らは〈最も幸福な人々〉だというのに対して、マルクスは彼がいう農業労働者の「幸福」というのもがどういうものかは、彼自身がそれについて語っているのだ、とその著書からの引用をしめしているわけです。
  そこでは当時の農業労働者が極度の緊張状態におかれ、これ以上は無理だというほど粗末なくらしをやり、それ以上に激しく労働することは不可能だというほどの労働にこき使われているのだと彼自身が語っているということです。
  『61-63草稿』から関連する部分を紹介しておきましょう。

  〈「農業に雇用されているわが国の労働する人々は、それ〔1週間に6日の中位の労働〕をしているのであり、また彼らは、どこから見ても、わが国の労働するすぺての貧民中で最も幸福である。(この男は、まさにこの同じ著書のあとのほうで、こうした『幸福な』者たちが、すでにほぼ肉体的最低限に到達しており、彼らは少なくとも、賃金の引上げなしに必需品にたいする課税のそれ以上の増大にけっして耐えられない、ということを認めている。)〉 (草稿集⑨687頁)
  〈労働者は、より多く働いてもより多くのものを得てはならない。というのは、必要が、相変わらず彼らの労働の刺激剤であり続けなければならないからである。すなわち、彼らは貧しいままでなければならないが、しかしまた、「商業国家」--これはすなわち、彼らのブルジョアジーの言い換えなのだが--のを生み出さねばならないのである。「節度ある生活と恒常的な雇用こそ、貧民にとっては理性的な幸福に、国家にとっては富裕と権勢とに直結する途なのである。」(54ページ。)
  彼が貧民の「理性的な幸福」という言葉てどのようなことを理解しているにせよ、以上からわかることは、彼が農業「労働者」を「最も幸福な人々」として描いたということである。彼の著書の別の簡所で、彼自身次のように語っている。
  「農業労働者……は、ところが、……食糧品が最も安値の状態にあるまさにそのときに、生活が落ち込むのである。彼らはつねに全力を出しているのであって、彼らは、今以上に安く生活することもできないしよりきびしい労働をすることもできない。……しかし、これは、製造業労働者の場合とはまったく違っている。」(96ページ。}したがって、これこそが、貧民の「理性的な幸福」なのである。〉 (草稿集⑨690頁)


◎原注124

【原注124】〈124 (イ)プロテスタントは、伝統的な休日をほとんどすべて仕事日にしたことによっても、すでに資本の発生史の上で一つ重要な役割を演じている。〉 (全集第23a巻362頁)

  (イ) プロテスタントは、伝統的な休日をほとんどすべて仕事日にしたことによっても、すでに資本の発生史の上で一つ重要な役割を演じています。

  これは〈フランス人は、多くの休日があいだにはさまらないかぎり、それを行なっている(124)。〉という一文に付けられた原注です。つまりフランスはカソリックが支配的だったので、キリスト教にもとづく伝統的な休日がまだあったということのようです。それに比べればイギリスはプロテスタントになって、それらの休日をすべて労働日にすることによって、それだけ資本の発生史の上で重要な役割を果たしているということです。
  マルクスは『61-63草稿』のなかで、カンティヨンの著書から次のような見出しを付けて引用しています。

  プロテスタンテイズムは剰余労働を増大させるためのひとつの手段でもあった
  「……プロテスタンテイズムを採用したこれらの国々は、……ローマ・カトリック諸国では人々が休息をとる祭日、住民の労働をほとんど1年の8分の1だけ減少させる祭日/を、多数廃止したことによる利益を享受している。」(カンティヨン、『商業一般の性質に関する小論』、231ページ。)〉(草稿集⑨700-701頁)

  またマルクスは『資本論』の他のところでもプロテスタントとカトリックとを対比して、次のように述べています。

  〈重金主義は本質的にカトリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。「スコットランド人は金をきらう。」〔“The Scotch hate gold"〕紙幣としては、諸商品の貨幣定在は一つの単に社会的な定在をもっている。救済するものは信仰である。商品の内在的精霊としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自分自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての個々の生産当事者にたいする信仰。しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義も重金主義の基礎から解放されないのである。〉 (全集第25b巻765頁)


  ((7)へ続く。)

 

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