『香君』(上・下)
上橋菜穂子、2022、『香君』(上・下)、文藝春秋
ネタバレは申し訳ないが、物語のセッティングぐらい書いておかないと、後で書くこととつながらないのでご容赦いただきたい。
本書は植物活性の強い「オアレ稲」をめぐる世界を描く。「あとがき」で著者は植物と動物(この物語の場合、昆虫)の物語が生まれた経緯を述べている。移動することのできない植物は化学物質(分泌物だけでなく、様々な匂いとなって放出される)によって、環境との相互作用関係を構築している。たとえば、花は甘い香りを漂わせて昆虫を誘って受粉に協力をさせる。様々な栄養を吸収するための競合する植物との相互作用関係もあるだろう。このような、植物の諸機構をふまえてこの物語が企図された。物語の主役の「オアレ稲」はそうした植物の機能を意識して創作された植物だ。
さて、神郷からもたらされたという「オアレ稲」を携え、帝国を築いたという「神話」をもつウマール帝国の皇帝家とそれを支えるカシュガ家、皇祖とカシュガ家の始祖が神郷から連れ帰ったという初代香君(植物の出す香りを嗅ぎ分ける能力をもち、「オアレ稲」の植物としての活性を制御しようとする。その後は、活神=先代の生まれ代わりとして、見いだされるが、初代のような能力を持つわけではない)の神聖性の神話体系を構築し、この神聖性を背景として「オアレ稲」の豊穣性を背景にした経済システムによって帝国は版図を拡大していく。当代の香君オリエもまた、藩王国の小貴族の娘であったが、見いだされて香君となったにすぎないのだが、いわば、皇帝の政治の具としての神聖王として振る舞っていた。
帝国の別の藩王国のケルアーン王を祖父に持つ主人公アイシャは母譲りの能力、植物などの発する香りを嗅ぎ分けることができる。ところが、祖父は反乱軍により殺され、父母弟とともに、母の生まれ故郷という大崩渓谷に逃れ住み育まれる。しかし、先王一族を根絶やしにしようとする新王によって捉えられ、毒殺されようとするが、アイシャほどではないが植物の発する香りを嗅ぎ分けることができるカシュガ家の分家で帝国の藩王国にたいする視察官のマシュウにより救われる。マシュウはこの物語の狂言回しとなる。
著者の意図はわからないが、私には途中から、この物語が天皇制の近代史と重なり合う(あるいは、仮想的なありえなかった天皇制の近代史)ように読めてきてならなかった。
天皇は歴代の政権、摂関政治や武家政治にあっても、中国の各王朝のように易姓革命によって次世代の王朝によって消滅させられることなく、ひっそりとではあるが、京都で公家たちとともに祭礼(年中行事)や有職故実を代々伝えていた。神の子孫という神話を持ちつつも、長い歴史の中では決して君臨することなく、時の政権に権威を与える(征夷大将軍に任ずるなど)役割に甘んじてきた。というよりも、そのような役割と地位を知らず識らず見出し、生き延びの道をたどってきたといえるだろう。
ところが、江戸期に中国から儒学が、ヨーロッパから王権のシステムが伝えられ、それらに刺激された下級武士や下級公家(いずれも、わずかな権威はもつが、権力を持たない)によって新たな局面が生まれる。天皇を神聖王として復活させれば(ヨーロッパの王権神授を思い起こさせる)それを新たな権力の、そして権威の源泉として利用できることが見いだされたのである。結果として天皇は歴史の表舞台に引きずり出され、もともと伝えてきた祭礼(年中行事)や有職故実をすてて、「近代化」された新たな天皇(明治天皇以降)として新たな儀礼を構築していくことになる。ところが、全く新しいものを作り出されるわけにはいかない。そこで、再発見されたものが、稲と蚕であった。
最近に限らず、春のニュースで天皇が田植えをするとか、皇后が養蚕を始めたと行った皇室行事が取り上げられることがある。稲は、大嘗祭で天皇が即位する際に稲魂が関連し、また、蚕と天皇家との関連は奈良時代まで遡るようで、いずれも天皇家との縁が深いように見える。また、伝統的な儀礼のように見える。しかし、天皇が田植えをするようになったのは昭和に入ってからであるし、養蚕も明治天皇の昭憲皇后が始めたものであるという。これは、明治に入って近代天皇制を作り上げる際、古代中国の皇帝行事にならって、稲と蚕にハイライトが当てられたことがきっかけとなったことによっているという。
「オアレ稲」本位経済(江戸時代の「米本位経済」を思い起こさせる)は蝗害によって危機をむかえる。物語はこれまでに様々な伏線を張っていて、すでに昆虫による食害に強いタイプの「オアレ稲」が栽培されるようになっていた。しかし、食害にあった「オアレ稲」は、救いを求める強い香りを出し続ける。ところが、呼ばれているはずの救世主に代わって神郷からやってきたのは「オアレ稲」だけではなく牧草や野菜をも食べつくすイナゴであった。このイナゴの世代交代の間を利用して退治するためには藩王国を含む帝国で栽培される「オアレ稲」をすべて焼き尽くすしかないという方策がたてられる。本来であれば、皇帝の命令によって当期の「オアレ稲」を焼き払う勅令が出されるべきではあったが、政権に傷をつけることがないように、香君の権威をかりてその託宣として出させるべく策略がねられた。
ところが、世俗と神聖の境界を犯すことなく、新たなイメージの香君として登場したのが香りを嗅ぎ分けることのできるアイシャであった。
本書は著者からご恵贈いただきました。いつも覚えていただいてありがとうございます。今回は一気に読みすすめることができました。