中華風ローストビーフ(ひれ肉をたこ糸で縛り、塩コショウしておく。肉を中華なべで焦げ目をつける。にんにく、しょうが、ねぎをいため、紹興酒、醤油、砂糖で味を調え、八角と丁字を少々加えたところに肉を戻して、約30分ほど肉を反しながら煮て味をつける。中華なべのふたはアルミホイルで代用。できあがった肉をアルミホイルで包んでさらにとりおいて、中まで火を入れる。ほうっておくと肉汁が出てくるので、中華なべの残り汁と合わせて煮詰め、溶き片栗粉でとろみを付ける。グレービーソース様のものになるのだが、入れている材料とくらべて、思ったほど中華風にはならない。青梗菜をゆでておいて、添える)
皮蛋(ピータンとさらし白髪ねぎ、ごま油)
きゅうりとくらげの酢の物(米酢、ごま油、ラー油、紹興酒、砂糖、唐辛子をあわせておく。塩くらげを水で戻して、湯通しし、適当にきる。きゅうりをビンでたたく。塩をしておく。これらをあわせて約一時間ほど冷蔵庫に入れておく)
サザエのつぼ焼き(ガスレンジに網をのせてサザエを焼く。沸いてきたところで醤油を少々たらす)
今夜は秋田からきりたんぽ鍋を取り寄せてメインディッシュとする予定であったが、この雪で到着遅れで、前菜のみで、メインまで突入。一家7人。結構、満腹となった。
雪は、奈良でも午前中降り続いた。ただ水分の多い雪だったので、雪がやむと同時に、道に積もった雪が解け始めたようだ
今日から奈良の実家に来ている。今夜の夕食当番は、父。
あじのフライ
ポテトサラダ
コーンポタージュ
天気予報は明日から天候が崩れ、雪になるといっている。
豚鍋(これはあり合わせの料理なので、名前を付けるほどもない。白ネギと白菜、豆腐、三枚肉。干し椎茸。柚子があったので前日、醤油につけてポン酢にしていたのでそれを使った。仕上げに、雑炊。カツオ節粉をいれた)
12月26日に起きた西スマトラ沖の地震、地震や津波ばかりは人ごとではないが、どうしようもない。スリランカの国立公園では野獣の死骸が見あたらないという。予知能力があったというべきなのかそれとも、別の理由か。
知人がタイに年末年始を過ごしに行くと言っていたのだが、どこに行ったのか詳しく聞かなかったので、ちょっと、やきもきしている。無事であればいいのだが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041229-00000998-reu-int
石毛直道・森枝卓士、2004、『考える胃袋:食文化探検紀行』、集英社新書
食の文化人類学者の石毛と食に関する著作がたくさんあるフォト・ジャーナリストの森枝が、それぞれのうんちくを語り合った。同時に森枝が聞き役になって石毛の食生活研究の履歴をレビューする構成となっている。
第一章は石毛が食の文化人類学者になったその経緯が語られる。続いて第二章では、石毛のライフワークのひとつ、魚醤文化について東アジア・東南アジアの食文化の広がりの中で語られる。第三章は、旅と食事の関わりについて、二人のそれぞれの経歴とポリシーが語られる。第四章は本書のメイントピックのひとつである「麺」について、東西の様々な麺について語られる。石毛には「文化麺類学ことはじめ」(講談社文庫)の著書もある。第五章は人類の起源を食と家族の成立に関連して語り合う。最終章では、食の現状について語られ、食と環境の問題にまで言及する。
本書は二人の個性と経歴が十分に生かされ、食に関わる現在および食の歴史の見取り図がコンパクトに描かれている。
2004-12-29 11:25:46 |
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アサリと菜の花のパスタ(ガーリックとアンチョビをオリーブオイルで炒め、アサリを殻のまま入れて炒める。白ワインを注ぎ、菜の花を入れ、さらに炒める。胡椒を入れる。塩味は、パスタのゆで汁で調節する。アルデンテのところで、湯を切ったパスタを入れ、仕上げにバージン・オイルをかけ、パスタのゆで汁で塩味を整える)
白菜と生トマトのスープ(鶏の皮でだしをとり、塩胡椒。白菜の葉先の部分を千に切り、トマトを皮を剥き種を取ってさいの目に切る。仕上げにバージン・オイルを少々と言うところを忘れた)
白菜の焼き野菜(白菜の肉厚の部分をグリルで焼く。食べやすいサイズに切って、バルサミコ、オリーブオイルのマリネ液でマリネし、あり合わせの生ハムをあえる)
ルッコラのサラダ(ルッコラ、ドレッシング、ピコリノチーズスライス)
一週間以上も立ったが、おばあちゃんの畑の野菜をほとんど食べきった。ルッコラもしなびてきたが、氷水にしたしてしばらく置くと、しゃっきりする。
麻婆豆腐(ネギを小口切りに用意しておく。豆板醤、豆鼓醤、甜麺醤と蝦醤、日本酒=本当は、紹興酒だが、買い忘れた、これらをよく混ぜ合わせておく。花椒をすっておく。ニンニク、しょうがを炒めたところに豚挽肉を入れ炒め、ネギを入れてさらに炒める。火が通ったところで、用意した調味料を入れる。適当なサイズに切っておいた豆腐を入れ、できるだけ豆腐を壊さないように混ぜる。仕上げに溶いた片栗粉を入れさっと混ぜ、鍋肌にごま油を回しかける。今夜は、小松菜を塩ゆでして、水にとって絞っておいたものを皿にしき、その上に、麻婆豆腐をのせた)
白いご飯がよく進んだ。
中沢新一、2004、『僕の叔父さん網野善彦』、集英社(集英社新書)
中沢新一が叔父の網野善彦に捧げた追悼文である。網野は中沢にとって父の妹の配偶者にあたり、小学校に上がる前に出会って、中沢の研究活動にとって通奏低音のようにあるいは、縦糸にとっての横糸のようになくてはならない網野善彦の思い出をつづっている。また、山梨の風土や藍屋であった中沢家の気風や家の歴史(中沢はこれらのことを精神的DNAと表現する)を元に、戦後から現代にいたる日本の精神史、また、日本文化論や日本社会論、日本の歴史、日本文化の源流にまで思いをはせている。
本書の中で、こころ撃たれ特に感激したのは、三点である。その一つは、名古屋の相生山の団地近くで林の中で見いだした鳥刺しの営む「生駒庵」という焼鳥屋における非農民かつ性的な豊潤性との出会い。二つ目は、中沢父子と網野がかわす「つぶて」に関する問題点の発見である。佐世保エンプラ闘争の報道を見ていた中沢父が子どもの頃笛吹川を挟んで子ども達がつぶて合戦を行っていたことを思い出す。これは日本各地や世界の模擬戦との共通基盤の発見であった。そして、中沢の祖父の毅一による戦中の著作『神・人・動物』の読み解きから、天皇制の基盤がきわめて強固な理由が、稲霊をまつる祭主として農民の頂点に立ついっぽう、非農民の象徴でもあって、天皇制と日本との関連が、日本を透徹してある種の普遍性にまで立ち至っている点を中沢は網野とともに見いだしてゆくという点である。
本書は、網野の追悼文の名を借りつつも、歴史学、人類学、社会思想史、あるいは、社会哲学、民俗学など多くの研究領域を架橋しつつ、将来にわたる日本を考察するための見取り図を提示する役割を果たしているように思う。個人的な追悼には終わらず、また、網野の死は、終わりではないという意味でも、非常に価値のある一書であった。
2004-12-26 12:23:15 |
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浅田次郎、2000、『鉄道員』、集英社(集英社文庫)
直木賞を取り映画化もされた表題作「鉄道員(ぽっぽや)」を含む短編集である。
この短編集には、いくつもの作品で幽霊が出てきた。「鉄道員」「角筈にて」「うらぼんえ」である。「ラブ・レター」は死者からの手紙(死後に主人公が読む)、「伽羅」では主要登場人物であるブティックのオーナーの女性の存在が幽霊ではないが、現実感がない。「悪魔」では、主人公がおびえるのは、ちょっと並はずれたサイズの化け物が重要な役割を果たす。
巧者である浅田が仕組んだ仕掛けはどれもおもしろいのだが、どうも、幽霊などの設定がおもしろくない。それで、この短編集でのお薦めは、「ろくでなしのサンタ」と「オリヲン座からの招待状」であるか。これらは、ちょっといい話として、しかし、ほろりとさせられ心に残る仕掛けになっている。
わたしは、気に入ると同じ作者を読み続けるのだけれど、この前読んだ『壬生義士伝』に続いてこの二冊目でもういいかという気分。
2004-12-26 12:08:32 |
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日本のレストランには珍しく、時間をかけていただきました。ワインの進んだこと・・・。
カワハギのカナッペ:カワハギの刺身に肝をベースのパテ。
フォワグラとイベリコ豚のパロティーヌ:ラム酒でふくらませた乾燥イチジクを中心にフォワグラとイベリコ豚を巻き付け固めたもの。フレッシュ洋梨とサラダとともに。
キノコのポタージュ:ジャガイモのポタージュにキノコのペーストが入れられていて、それを溶いて。
アンコウのフリット冬野菜添え:アンコウの切り身のフリッターと温野菜。トマトソースが添えられている。
牛フィレ肉のステーキペリグー風:黒トリフの入ったソースで。
デザート盛り合わせ:豆乳と大徳寺納豆入りシフォンケーキと焼きリンゴとチョコレートのタルト、アイスクリーム添え。(ケーキとタルトについて修正しました。12月28日)
2004-12-25 14:21:14 |
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2004-12-25 12:31:42 |
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トリの水炊き(鶏肉、水菜、白菜、春菊、豆腐)
最近行く店では、鶏の骨をたたき割ったような部位を売っていない。骨のついているものは、手羽元、手羽先、もも肉で、骨からの出汁がとれるようなものは少ない。なぜ?この店だけ?
ずいぶん前にシンガポールの屋台で粥を食べて、それ以後、中華風の粥を作ることにはまっていた時期がある。もちろん本格的なものかどうか解らないが、それらしく作るというものである。最も簡単なレシピは次のようなものだ。
1:米をとがずに大量の水とともに炊く(量は適当で、足りなくなってきたら湯を足せばよい)。このときに、ごま油をけっこう多めに垂らして一緒に炊くと香りがよい。その他、あり合わせで、鶏肉や豚肉、ホタテ貝柱など、出汁になるものと一緒に炊くのは好みである。わたしはどちらかというと、ホタテ貝柱にくわえて、せいぜいクコと松の実を加えたぐらいのシンプルなものが好みである。
2:トッピングになるものを用意する。ザーサイとショウガを千切りにしたもの、香菜、腐乳があればなお良い。
3:粥がごま油と混ざり合ってとろとろになってくる頃がよい。米の形がなくなるくらいになる方がそれらしいのだが、これは、米の種類にも関係している。
さて、米である。日本で通常売っている米で上記の粥を作ると、まさに、糊になってしまう。つまり、日本の米は日本式の粥を作ったり雑炊には良いのだが、つまりは、ほどほどの水の量と炊きあがりの時間は短めというのが決め手である。実のところ、中華風の粥を日本の米で作ろうと思うと、どうも、妥協が必要である。つまり、日本の粥のように米粒の形が残っているところで、あとは、ごま油などの風味と、トッピングでそれらしくするのである。これは、これで、実は美味しい。わたしもたいていは日本の米を使っている。
米が決め手だと思ったので、スーパーで見つけたのが、タイ米、香米(あるいは、ジャスミンライス)といったものである。これらで上記の粥を作るとさらさらのものができあがる。それなりにちかい。しかし、まだ違う。それで、とりあえず妥協したのは、日本の米と半量を混ぜて使うということである。これで、だいぶ近づいた。米の香り(日本人はいわゆる外米臭をきらうが、わたしは、悪くないと思う)もそれらしい。
2004-12-24 17:18:59 |
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リゾット続きだけれど、今日は、作り方を教えろと言うので、昨夜と同じものを造ることにしたのだが、どういう訳か三越栄店の地下食品売り場で夕方5時には売り切れていた。今夜は皆さん、牡蠣を食べたかったらしい。というわけで・・・
ホタテ貝のリゾット(作り方の基本は昨夜と同じだが、米のアルデンテの具合はパートナーに選んでもらった。ホタテのひもの部分を出汁として早めに投入。貝柱の部分はあとにした)
小松菜と里芋のスープ(オリーブオイルでベーコンを炒め、ネギ、里芋=5ミリほどの厚みに切った、を入れて炒め、水を注ぎ、火をとおす。浮いてきたアクをすくい取り、塩胡椒を入れて味を整える。仕上げに小松菜とサヤエンドウを入れる)
ルッコラのサラダ(ペコリノチーズをスライスしてのせた)
前菜に昨夜のチーズの残り。今夜は栄地下街の八百屋で買ったドライ・フィグも一緒にチーズを食べた。