生態学者の著者は、これまで、生態学は外の世界を見てきたという。人類は含まれるものの、人類を取り巻く「自然」における多様な生物からなる生態系及び生態系サービスを見てきたという。だから、家の中にどれぐらい新生物がいるかをしらなかったという。それに対して、本書が取り上げるのは一軒の家にいる生き物すべてを総ざらえしようというのである。そして、その生き物たちが生態系をなしていて、微妙なバランスで成り立っているというのである。なお、本書ではウィルスは登場せず、細菌や原生動物といった微生物、昆虫、ペット、そして、人間が登場する。
たとえば、花粉症などのアレルギーは、多様な環境に暴露されなかったから、身体の免疫システムが反乱を起こして、自己を攻撃するようになったという。これは、子供が育つ家の内外の生態系が、人間の干渉、たとえば、農薬や殺虫剤、さらには、抗生物質などによる干渉受けた結果、多様性を失いそのことが引き金となって、免疫システムの異常を引き起こしてしまうからだ。我々は人類の一員としての遺伝子を引き継いでいて、この遺伝子のセットは、長い進化の歴史の中で環境の中に暴露されてきた結果、構築されてきたものだ。ところが、人類は生態系に多大な干渉を加えて現代文明を構築してきた。たとえば、火を使うことによって、口に入れる微生物の種類は減ったことだろう。せっかく、多様な生き物からなる精緻な生態系が作り上げられていたのに、生態学的ニッチェに空きができてしまい、体内の微生物の間の競合関係を乱してしまう。さらには、衛生環境をととのえ、抗生物質を手に入れる。また、農薬をつくり、殺虫剤をつくる。おかげで平均余命はのびたには違いないが、さらに、人間を取り巻く生き物の種類をへらす。ところが、生き物の側でも進化戦略によって、薬物耐性を身に着け、おかげで、抗生物質が効かなくなり、生き物との間の際限のない軍拡競争に落ち込む。
そうした状況にあっても、家の中をくまなく探ると20万種もの生き物がいることを(ウィルスを入れれば、おそらくその数はもっと膨大になるはずだ)、本書は教えてくれる。しかし、読者は、それなら、もっと清潔にして、これらの生き物を撲滅しなければ、と考えてはならない。そうではなく、こうした多様な世界をせめて維持すること、なんなら、もっと増やしていくことが望ましいと考えること、これが重要なのではないだろうか。