現実世界では、この4月にファランシスコ教皇が亡くなり、コンクラーベ(教皇選挙)が行われ、奇しくも今年1月に封切られ場液気管とも重なった本作品に大きくハイライトがあたり、アカデミー賞にノミネートされ脚本賞を受賞したり、上映館の売上に大きく貢献したりした。
わたし自身は、もちろんカトリックでもないが、生まれてこの方これまで261代から267代のコンクラーベの結果を知っていることになる。特には先代の改革派でヨーロッパ以外から初のフランシスコ教皇の誕生には関心を持っていた。世界に広がるカトリック信者が存在してもヨーロッパ生まれでない教皇の誕生は当代のレオ14世にも引き継がれたことは望ましいとも言えるが、この作品でも当初有力だったナイジェリアの枢機卿が隠し子スキャンダルが暴露されて力を失うというストーリーがえがかれていて、多様性をうたうカトリックであるならば、アフリカやアジアから、白人系以外の教皇がいつ誕生するのか、といったことが、注目点なのだろう。
さらに、この作品では、様々な政争の挙げ句に選ばれたのは、教皇が最後に選んだ「秘密の」枢機卿でインターセックスであったが、前教皇から女性器官の摘出手術を条件とされていたにも関わらず「神から与えられた身体」を傷つけることなくコンクラーベに参加していたメキシコ人のカブール教区(アフガニスタン)の枢機卿だった。主人公のローレンス首席枢機卿は、それを知りつつも、受け入れたのだった。
家父長的な男性社会の教皇庁(バチカン)の最後の砦は、女性排除であり、ましてやインターセックス排除であるはずだが、くわえて、非婚(だけでなく性交も教義上はないはず)の聖職者たちの「性的非行」問題は、単なるコンプライアンスの問題にとどまるものではなく、キリスト教の教義にかかわる大問題でもある。