午後から神奈川県立近代美術館鎌倉へ出かけた。「鎌倉からはじまった。1951-2016 パート3:1951-1965「鎌倉近代美術館」誕生」が開催されており、1月31日までである。普段はチケット売り場に人が並ぶことはなく、鎌倉や鶴岡八幡宮の人混みの中のエアポケットのような場所なのだが、さすがに混んでいた。
パート1は残念ながら見損なったが、パート2は昨年8月18日の暑いさ中に見に行った。今回惹かれた作品は、
萬鉄五郎「裸婦」(1918)、
川上涼花「あざみ」(1914)、
佐伯祐三「門の広告」(1927)、
三岸好太郎「冬(雪の庭)」(1928)、
村山知義「美しき少女に捧ぐ」(1923)、
靉光「鷲と駝鳥」(1938)、
松本俊介「橋(東京駅裏)」(1941)、「自画像」(1941)、「立てる像」(1942)、「少女」(1947)、
麻生三郎「自画像」(1935)、「死者」(1961)、
鶴岡政男「死の静物(松本俊介の死)」(1948)、
野見山暁治「ノルマンディの子供」(1955)。
このうち、
萬鉄五郎「裸婦」は初見。ピカソのキュビズムの影響下に描かれたようだが、それまでの裸婦のように耳目を驚かすような裸婦ではない。鈍い金属質の色調による裸婦の質感が落ち着いた不思議な雰囲気を醸し出している。忘れがたい印象である。
川上涼花の「あざみ」も初めて見た。図録がなくて紹介できないのが残念である。
靉光の「鷲と駝鳥」も初めて見たように思う。
松本俊介の「少女」は戦後すぐの赤を基調とした作品でこれも初めて目にした。戦後の出発らしい色調にとても惹かれた。また「橋(東京駅裏)」の俊輔らしい電柱の縦の並びにリズムをあらためて感じるとともに、橋や舗装の矩形の紋様とあわせて不意に日本画家の中島清之の縦横の黒く強い直行する線との共通項に気がついた。牽強付会か無関係か、分からないがそのうちに言及してみたいと思った。
麻生三郎の自画像も初見だが、とても惹かれた。具象絵画から抽象絵画への第一歩の作品なのかもしれない。
鶴岡政男の作品を見ていて、戦争直前・直後の松本俊介などの周囲に集まった画家たちの熱気と戦後の若々しい胎動のエネルギーの大きさにあらためて驚いた。
なお、ユニークなこの美術館の建物についての解説も置いてあった。美術館の展示スペースとしては決して使いやすい建物ではなかったが、なぜか落ち着く空間であった。蓮池の展望も決して良くはなかったものの、喫茶店からの眺めは落ち着くものであった。少しずつ不満があるが、心に残る建物である。