Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

敬老の日

2022年09月15日 22時56分47秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 もとは9月15日が「敬老の日」だったが、現在は9月第三月曜日になった。戦後の1951年、社会福祉協議会が9月15日を「としよりの日」とし、21日までの一週間を啓発週間とした。1963年、老人福祉法で「老人の日」「老人週間」となったとのこと。さらに1966年に「国民の祝日」となった。
 9月15日の由来であるが、当初兵庫県野間谷村で敬老会が発足し、拡大したという。農事歴による農閑期であり、さらに元正天皇の「養老の滝」伝承に基づくという。旧暦の9月15日は現在の暦では10月下旬に当たる。
 日本という国の祝日はどうしても天皇伝承と無縁になれないのが余りに悲しいと私は思う。

 敬老の日の制定のころは、私も何となく覚えているが「押しつけがましい敬老など迷惑」という風潮が新聞の論調にもあった。「定着」ということなのか、次第にその論調は薄れ、あまり抵抗感なく使われているようだ。
 それは「定着」というよりも、社会全体の高齢化、高齢者の「蔓延」とも重なっていると思う。「老人」の定義がどうなっているか、議論もされていない。いつも間にか医療制度で「後期高齢者」が75歳以上となり、老人とは75歳以上というのが流通している。
 最近は老人自身が、自らの社会的存在意義、塊・層としての社会的影響力の大きさを踏まえ、社会保障やさまざまな社会の仕組みの中に自らの存在を主張し始めている。
 「老人パワー」などとおだてられて、カツカツで青息吐息で働かされている高齢者の存在もまた注目してもらいたいもの。「敬老」ではなく、酷使されで使い捨てられてはたまったものではない。

★反逆す敬老の日を出歩きて         大川俊江
★老人の日といふ嫌な一日過ぐ        右城暮石
★老人の日や路高く蝗飛び          飯田龍太

 敬老の日に対する違和感や、「老人」と言われても飛躍を目指す力を示そうという気持ちや、さまざまな句が歳時記に現れている。

 私も「敬老パス」を手にし、杖を突いて、どのように70代を過ごそうか。模索の日々である。別に祝ってもらわなくて良い。自分なりに社会に声を出し続けたい。 


無事帰宅

2022年09月15日 21時37分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど無事帰宅。屋内集会が16時過ぎに終了したのち、参加者の過半数の8名で、神保町界隈で居酒屋を探した。しかし17時前ということと、大人数ということで、入ることが出来る店がなかった。16時半から開店という中華料理店に入ることが出来た。
 この店、実は3回目である。過去2回とも退職者会の集会やデモの終了後に入店している。2時間以上十分に飲み食いしたとしては実に安い支払いであった。

 帰路は帰宅時間に重なり混雑していたが、さいわいにも座ることが出来、横浜駅まで気持ちよく寝ていた。通勤時間帯の混雑している電車に乗ったのは久しぶりである。

 文庫本を1冊リュックに入れて行ったものの、1ページも読まずに帰宅。

 


混雑する場所

2022年09月15日 09時49分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は午後から晴れるとの予報通り、朝のうちは曇で湿度が高い。間もなく家を出て、集合場所へ。いつもながら混雑する場所での待ち合わせ、どういう経過で混雑する場所が集合場所になったのか、不明。

 もっと人通りも少なく広い集合場所もあるのだが、以前はそこはまだ無かった。横浜駅は少しずつ変化してきた。さらに集合場所を変えると間違える人も出て来て、混乱しそう。ということで、場所はなかなか変えられない。

 組織というものは、定例化したものを変えるというのがなかなか難しいものである。いったん思い切って変えれば、あとはすんなりと定着するものであるが、不思議である。人というのは基本的に変えるということは好まないのか、と諦観している。
 さらに人通りの多いところで待ち合わせをするということが、あまり気にならないらしい。多くの人が、通行人の邪魔になるような混雑する場所で待ち合わせをし、そしてたむろしているのを見るたびにそう思う。私個人としては、それがどうも気に入らないのだ。

 混雑する場所に人が集まりやすいのか、人が集まるから混雑するのか、「鶏と卵」と行ったところである。