Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

重かった単一の電池

2022年09月20日 22時04分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の午前中は「「海の民」の日本神話」(三浦佑之、新潮選書)の第4章を半分ほど読んだ。15時過ぎにバスにて横浜駅まで。頼まれた食料品、ならびに急に電池切れとなった瞬間湯沸かし器の単一の電池などを購入。
 単一の電池は我が家ではこの湯沸し器でしか使用していない。めったに購入しないものである。そしてとても重い。4つも購入して、カバンがとても重く感じた。
 小学生の頃は理科の実験で使う電池も、懐中電灯も単一しか使わなかったと思うが、そんなにも重かっただろうか。あるいは私の力が衰えたのか。

 今週末もまた三連休だそうだが、天気はやはり悪いらしい。明日は神奈川大学の生協で注文した本の残りを受け取りに行く予定。雨は降らないでほしい。


曼殊沙華

2022年09月20日 21時43分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★ありふれし明日来るならひ曼珠沙華     斎藤玄
★いつまで生きる曼珠沙華咲きだした     種田山頭火
★つきぬけて天上の紺曼珠沙華        山口誓子

 曼殊沙華、彼岸花という季語は不思議な季語である。別名死人花と言われるだけあって、さらに色合いから、また秋の彼岸の頃に咲くということもあり、死や往生を類奏する句も多い。
 一方で、その鮮烈な色から逆に鮮烈な生への指向を思わせる句もある。
 第3句など、後者の見本のように思っている。思いこみだけかもしれないが‥。
 一年の中で、春・秋の彼岸はありふれた365日の中でも、感慨深い何らかの節目になる日と捉えることもできる。節目の日はいくつもあるが、強烈な色彩と、生と死を思い出させることでは特別なのかもしれない。
 


ヒガンバナが開花

2022年09月20日 20時19分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 既に開花しているところもあるが、我が家の目の前のヒガンバナが台風一過とともに開花。この場所のヒガンバナはいつも秋の彼岸の前後2日くらいの間に毎年咲く。暦の彼岸とほとんど同時なのが不思議である。
 群落もいいが、10本前後の小さな固まりもおおいに惹かれる。

 現在は大雨・洪水注意報だけが残っているが、警報や他の注意報は解除になっている。雨も15時以降降っていない。
 気温は現在は20℃を下回っているようだ。涼しいを通り越してひんやりと寒いくらいである。

★仏より痩せて哀れや曼殊沙華        夏目漱石
★曼珠沙華落暉も蘂(しべ)をひろげけり   中村草田男
★九十九里の一天曇り曼珠沙華        加藤楸邨

 第3句、1945年の秋の句。「野哭」所収。句集の冒頭には「火の中に死なざりしかば野分満つ」という痛切な句。「今は亡き友に献げる」という詞書が添えてある。敗戦直後、多くの死を痛む句集である。多くの戦死者を飲み込んだ広大な太平洋を望む九十九里の海岸。「一天曇り」であるから、秋の空ながら全体が曇り空、視界に赤い曼殊沙華が強い印象で眼に止まったのだと思う。亡くなった戦争に伴う死者の彷徨のように。曼殊沙華、彼岸花は別名死人花。