Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日からの読書「「海の民」の日本神話」

2022年09月18日 21時56分55秒 | 読書

   

 本日は以前から本棚に積んであった「「海の民」の日本神話」(三浦佑之、新潮選書)に眼を通した。読んだのは、序章「古代ヤポネシア[表通り]、第1章「海に生きる 筑紫の海の神と海の民」、ならびに第2章「海の道を歩く 出雲・伯伎・稲羽」。なかなか読む踏ん切りがつかなくてそのままになっていた。

「日本」という単一の世界に収斂されてゆく歩みを肯定的に後追いするのではなく、「日本」という呪縛から解き放たれたそれぞれの場所へと飛翔し、そこから飛翔しようとする試みでありたいと願っている‥」(序章)

「古代出雲地方と新羅とのあいだに交通または交渉があったからだという説が多」い理由なのである。そうした多くの意見を否定して、「国引き」詞章に限定していえば、結果的には国家や権力の側からしか表現と歴史をみようとしなかったところに石母田正の誤りはあった。左にしろ右にしろ、政治的な立場が鮮明であればあるほど、国家や権力を対象とする学説の寿命は短いというのがよくわかる。自戒もこめていえば、国家や権力を相対化する視座がなかったということに尽きると思う。」(第1章の「大和中心主義の限界」)

出雲西部地域に起源をもつ四隅突出型墳丘墓は、出雲西部から対馬暖流と共に出雲東部へ、鳥取、福井をはじめ、遠くは富山湾沿岸まで点在することになった。そこでは、人と文化が西から東へと移っていることが確認できるわけだが、一方でストーン・サークル状に巨木を建てる文化は東から西へと動き、出雲(杵築)大社を支える三本柱へと綱刈っていることも指摘されている。」(第2章の「外につながる出雲」)


テレビを見ながら

2022年09月18日 17時45分05秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 大雨・洪水警報が発令されたが、いったん解除され、先ほど再び大雨(浸水害)警報が出された。さらに先島諸島に津波注意報まで出た。さいわい津波注意報は解除されたが、津波が実際に被害をもたらすとなると、台風と津波、これは厳しい自然災害である。

 本日、読書していると、妻から「「呑み鉄本線 日本旅」が15時から放映される」、と5分前に突然教わり、慌ててテレビを見た。
 本日は、日高本線と室蘭本線の旅であった。六角精児と壇蜜の語りの魅力を堪能していたが、ショックだったのは、日高本線の大半が2015年の「高波」の被害で復興できずに廃線となったことであった。
 学生時代に「様似」まで鉄道で行って、襟裳岬を訪れたいと思ったものの、日程の都合がつかずやめてしまったのが悔やまれた。その時は、釧路に居た叔父を尋ね、根室本線を夜行で往復した。
 「津波」ではなく「高波」の影響で、グニャグニャに曲がって赤くさびたレールと線路敷が写され、波の力のすごさにあらためて驚いた。
 今の日本の過疎と第一次産業の衰退という事態で、復旧する国力はもうないという証なのかもしれないと感じた。衰退する日本の象徴ともいえる。
 今でも、アポイ岳、日高山脈の南端、襟裳岬などの景観はこの眼で見たいと思っている。

 今回は対象外の景色であるが、私は函館本線の長万部を過ぎてから八雲駅近辺から南に見える駒ヶ岳の山容が好きである。内浦湾に突き出るような山の姿にはいつもほれぼれとする。
 北海道に出向いて横浜に戻るときは、千歳から羽田に飛行機で飛ぶよりは、函館本線で函館に行き、函館空港から羽田に向かうようにしている。50歳以降、すでに5回ほどその景色を堪能した。


強い雨と雷

2022年09月18日 10時10分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝7時過ぎに強い雨の音が聞こえ始めた。同時に雷が鳴り始めた。昨日から出ている雷注意報に加えて先ほど横浜市域に「大雨・洪水注意報」が配信された。
 ときどき強く降る雨、時間換算雨量80ミリの雨の区域が早いスピードで相模湾から山梨県に向かって移動している。ほぼ南から北の方角。地上の風の強さはさほどではない。ベランダに出るとじっとりと湿度の高い風がガラス戸に吹き付けてくる。
 遠雷の音が先ほどまで通奏低音のように聞こえていたが、近づいてくることなく、聞こえなくなった。

 横浜市の南部では早くも河川の一部で避難判断水位を超えた、というメールが配信されていることに驚いている。

 本日はやはり一日閉じこもり生活をしなくてはいけないようだ。