Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「面倒くさい」とは‥

2021年04月12日 22時34分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は終日雨の予報になっている。外に出かけるのは億劫である。最近は傘をさして歩くことが億劫になった。面倒くさそう、という言葉が先に出てきてしまう。
 これも歳の所為なのだろうか。「よっこらしょ」という掛け声と、「面倒くさい」は歳を取った証拠かと思った次第である。

 だが、私が高校生の頃は「かったるい」という言葉が流行った。私も使った覚えはある。今でも使う人はいるのだろうか。10代後半のときと同じような言葉を使っていたということは、「面倒くさい」という意識は、年寄り特有の言葉とはいえない、とも思える。

 ひょっとしたら、意識と実際の体がバランスを喪っているときの状態から発せられる言葉かもしれない。年寄固有の言葉として片づけるのではなく、何か心的な負担がのしかかっているときに発せられるSOSに近い悲鳴のような言葉、というか身体的な反応なのかもしれない。
 さてその心的なストレスとは何なのだろうか。これもまた回答のできない問題である。

 そんな迷路の中に紛れ込んでも仕方ない。明日は、外出はせずとも、読みたい本を読んで過ごしたい。


「どくとるマンボウ」シリーズを探してみた

2021年04月12日 21時55分30秒 | 読書

 有隣堂にて、本を探してみた。

 「まん延防止等重点措置」という新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく措置である。「まん防」と略して政府関係者が国会でしゃべっていたが、私は法律用語を無造作に国会で略して使うことに強い違和感を覚えていた。しかもできたばかりの法律上の措置である。

 私が「マンボウ」という発言を聞いて思い出したのが、北杜夫のエッセイ集「どくとるマンボウ」シリーズである。1958年の刊行で大人気となったというが、私が中学生になった1964年ころも大人気で、伊勢佐木町にいまでもある有隣堂本店で立ち読みで「航海記」「昆虫記」を読んだ。
 立ち読みをしながら声を出して笑うものだから、横に立っていた他の客が馬鹿にしたように私を見ていたのに気が付いて、恥ずかしくなったことを覚えている。それでもやめられず、他の日に、やはり声を出して笑ってしまった。一緒に行った同級生が私の足を踏んで「恥ずかしいからやめろ」と注意してくれたことも覚えている。もう57年も昔の話である。
 だが、笑いこけたことは覚えているが、肝心な内容についての記憶がまったくない。著者の北杜夫にはとても失礼だとは思うのだが、こればかりは致し方ない。

 その「どくとるマンボウ」シリーズを本日探してみたのである。
 残念ながら書棚にはなかった。もう品切れなのだろうか。特に在庫を調べるほどの熱意はなかったが、もしもあれば読んでみたい。しかしまた立ち読みで笑いだしたら、今度は70歳間近の白髪のおじいさんとしては、とても恥ずかしい。

 図書館で借りて家で読んだほうが無難かもしれない。
 


「口からでまかせ」のツケ

2021年04月12日 18時23分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の会議は思ったよりも時間がかかってしまった。10時から11時から、続けて二つの会議。片付けも含めて終了したのは12時30分頃になってしまった。
 喫茶店でハンバーガーを久しぶりに食べてみたが、空腹感は満たされなかった。会議では現役のころよりも疲労がたまる。やはり歳の所為だろうか。

 本日の会議で決まった日程をスケジュール帳に書き込んだり、来週の会議のための資料をどのように作成するか、など頭の整理がようやく終了。

 この3週間近く、退職者会の業務がひと段落しててたけれども、例年に戻ってきた。

 さて、本日も会議終了後に雑談の中で話題になったのが、ワクチンが行きわたるのはいつになるのだろうか、ということ。高齢者の組織としては実に切実な話題である。
 前政権時に「確保した」と前首相が言明した供給がいかにいい加減なものだったか、ということが明らかになってきている。人気維持のために何事につけて、なりふり構わず、金と利権で人を操り、「口からでまかせ」を乱発して、とうとう袋小路のようなどん詰まりに行きついてしまった。そうして政権を放り出した。
 それを支えた行政マンも実はあまりに世の中の常識とはかけ離れた者ばかりが集まっていた。人事権の掌握というものは恐ろしいものである。無能なものほど、人事権を掌握したがる、ということと、それに群がる者は本当は役に立たない者達ばかりなのだということが同時に証明された。
 しかしその責任を追求しようとする声が、議会の「多数」によっていつの間にか、免罪されてしまっていないか。マスコミの政治に対する監視能力もまた劣化が著しいようだ。ゴシップばかりを追ってきたツケではないのか、と八つ当たりもしたくなる。
 あえて言わせてもらうと、国民は「コロナ禍」という免罪符で命の危険にさらされてしまったのだ。