明日は終日雨の予報になっている。外に出かけるのは億劫である。最近は傘をさして歩くことが億劫になった。面倒くさそう、という言葉が先に出てきてしまう。
これも歳の所為なのだろうか。「よっこらしょ」という掛け声と、「面倒くさい」は歳を取った証拠かと思った次第である。
だが、私が高校生の頃は「かったるい」という言葉が流行った。私も使った覚えはある。今でも使う人はいるのだろうか。10代後半のときと同じような言葉を使っていたということは、「面倒くさい」という意識は、年寄り特有の言葉とはいえない、とも思える。
ひょっとしたら、意識と実際の体がバランスを喪っているときの状態から発せられる言葉かもしれない。年寄固有の言葉として片づけるのではなく、何か心的な負担がのしかかっているときに発せられるSOSに近い悲鳴のような言葉、というか身体的な反応なのかもしれない。
さてその心的なストレスとは何なのだろうか。これもまた回答のできない問題である。
そんな迷路の中に紛れ込んでも仕方ない。明日は、外出はせずとも、読みたい本を読んで過ごしたい。
友人とも語ることも少なくなり、ストレスも溜まってます。
若い人はなおさらなのかな。私たち70歳超えの年寄りがイライラしているのだから。でもいつかは出口も見つかるでしょう。
「面倒くさい」の意識の差はあっても、貴方の仰るとおり「心的なストレスが発するSOS」だとしたら理解できる。
だからといってコロナ禍対策の指示・お願いを「ちぇッ、面倒くせえ!」とは言ってられない緊急事態だ、ということを面倒くさがらずやってもらいたいものだ。
夜を徘徊する若者が職場や家庭内にバラまいている事だけが確かなんだから・・・。
このことの理解が進んでいないような気がします。
退職者会ではいつも会議終了後に軽く一杯会を行い、ざっくばらんに意見交換・自己主張する場を設けていました(むろんどこぞの政治家や問題官僚とは違い、自分のお金で割り勘。会議室の場合は500円会費)が、この一年、会議後はすぐに解散しています。
すると会議での言葉が刺々しくなる人も出てきています。
高齢者ですらストレスが溜まっているようですので、まして若者は‥。
群れることで人間関係・社会関係をおのずと体得するのは若者ならではの行為ですが、群れたがらない他者への配慮も、感染症に対する客観的で正しい理解も、若者には学んでほしい、と思います。