Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「衝動」を大切にする

2021年04月21日 22時08分21秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 まだこなれていないが、メモとして記載。思い付きを連ねただけなので、論理破綻もあるが、ご容赦を。



 先日神奈川大学の生協に出向いたとき。振り向くと太陽が眩しかったので、だいそれた写真ではないが1枚撮影してみた。
 人はふと理由などないまま、何かをしたくなる。若い10代の頃ならば、その自分の行為が何なのか、気になっていつまでも引きずることもある。しかし70歳に近くなって、それを否定的に引きずって考えることはしなくなった。肯定的に咀嚼をして、自分の体験の中に組み込むことをするようになった。
 衝動に素直に従って行動に移す場合もある。自重する場合もある。そんな時でも、歳を重ねると自分の頭の中で抵抗や摩擦や軋轢などなくごく自然に自己決定する。決定した後は、それを引きずることはない。自己決定したことに対する自己嫌悪も、自己合理化もしないで、自然に時間が過ぎていく。
 それが大人の行為だ、というふうに達観する。だが、10代のころのこだわりを「若気の至り」「若い証拠」といってしまうことは私はしたくない。
 私が周りの同じような年齢の方たちと違うと思うのは、最初の衝動で「何かをする」という行為の割合が高いのではないかと思う。「何もしない」という選択は少ない。多くの人はそのような自己決定をしたこともすぐに忘れるらしい。気に留めないようだ。
 今回、ふと振り向いて太陽が眩しかった。それでたまたまスマホで撮影してみた。俳句にしてみることもできたかもしれない。立ち尽くしたかもしれない。何らかの行為に及ぶ選択が多い、それを誇りに思うことにしている。ふと振り向いて、太陽がまぶしかったが、どうしてそんなことをしたのか、ということにはこだわらない。その眩しさを自己のうちに自然にうまく取り込めるように無意識に処理をしている。
 私は、小さな衝動的な行為の結果を大切にしたいと思う。しかしこれが昂じてこだわるようになると、少し危ういことになるのかもしれない。そういう感覚があるうちは、「正常」と思っていい。
 


ウーロン茶

2021年04月21日 20時29分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は退職者会での「宿題」の一つに着手。これはまだ終わらない。午後はもう一つの「宿題」を片づけるための資料集めと、出来上がった「宿題」を届けるために組合の会館へ出かけた。
 帰りがけに、残り少なくなったウーロン茶葉を購入するために近くにある中華街へ。200gで税込み604円だったものが、税込み590円に値下がりとなっていた。消費税表示の変更に伴う処置なのか、この間のコロナ感染症対策での客足の落ち込みによる対応なのか、判断はできないが購入する立場からすれば、たった14円でもうれしいことはうれしい。しかし一番安い茶葉である。末端の小さな商店にとってはつらい決断だと思われる。
 中華街は平日の16時前後にしては私の思っていた以上に人出はあった。

 私は、ウーロン茶ばかりを毎日飲んでいる。1合入る湯呑に一つまみ半ほどの茶葉を入れ、熱い湯をそのまま注いで、3煎ほど飲む。それを一日に3回は繰り返している。21時過ぎると茶葉を入れ替えるのも面倒になり、4~5煎も入れてしまう。そのときは色も着かないが、それでもウーロン茶の味はする。白湯を飲むよりも喉は喜ぶ。

 妻は原則煎茶、時々ほうじ茶。好みは違う。最近はウーロン茶が自販機でもあまり見かけなくなってしまった。一時は自販機には必ずウーロン茶があった。それが懐かしい。


シューマン「クライスレリアーナ・幻想曲」

2021年04月21日 14時24分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 午前中の作業の合間に聴いていた曲は、シューマンの「クライスレリアーナ Op.16」と「幻想曲 Op.17」。アルトゥール・ルービンシュタインの演奏による1964年と65年の録音。クライスレリアーナは、はじめ伊藤恵のシューマンの全曲録音で初めて聴いた。ルービンシュタイならばどのように聴こえるのか、と思い2000年に購入してみた。
 クライスレリアーナという曲は、第1曲目の初めの出だしがあまり好みではないのだが、1分過ぎからの私の好みの曲に変わる。第2曲以降は、作業のするときにはうってつけの曲想である。

 最初はすんなりとは好きになれなかったのが、夜更けに音を絞って静かに、そして幾度も聴いているうちにいつの間にか、気に入ってしまった曲である。

 ルービンシュタインは1900年の13歳のデビューから76年後に引退するまで長い演奏活動で有名である。この録音時の1964年でも77歳ということである。若々しいというのであろうか、私には年齢相応の乱れというものを感じない。旋律が浮きたつように聴こえてくるのが魅力である。