Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書10月号」から

2018年09月27日 23時26分57秒 | 読書
 やはり繁華街を歩くととても疲れる。慣れれば何とかなるという思いがあったのだが、人混みの中を歩くのは精神的にも肉体的にも大きなエネルギーを使うようだ。本日も帰宅後寝たにもかかわらず、夕食後再び寝てしまった。足の筋肉も少し痛い。約一カ月で衰えた筋肉も元にはなかなか戻らない。

 「図書10月号」から

・石牟礼道子の能「沖宮」に寄せて      志村ふくみ

「天草を舞台に、戦に散った天草四郎、生き残った乳兄弟・あや、そして人々の死と再生とを、石牟礼さんは命を削って書き切った。しかし今年の二月、能の完成を見ることなく、石牟礼さんは逝ってしまった。能装束の制作を依頼されたのは約七年前のこと。相応しいと思われる色を幾つかお目に掛けると石牟礼さんは直ちに二つの色を選ばれた。‥色の本性を一瞥のもとに見抜く、恐るべき感性であった。‥異常としか思われぬ自然災害が昨今多発している。能「沖宮」には、そうした事態を生んだ近代に対してこれだけは言い置きたい、という石牟礼さんの思いが溢れている。」


ひとりで横浜駅地下街を歩く

2018年09月27日 20時20分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨がほとんど止んだこともあり、本日はストックなしで妻の所用に付き合って、近くの私鉄の駅まで。昼食にはうどんとコーヒータイム。買い物ののち、思い切って一人で横浜駅まで電車で行ってみた。地下街を特に目的もなくゆっくりと一回り。ついでに地上の繁華街も少しだけ歩いてみた。
 帰りはいちばんあるかないで済むバスにて帰宅。やはり随分疲れた。帰宅後1時間半ほど睡眠。バスを待つ間と社内では「尾崎放哉句集」(岩波文庫)の解説と初期の句を少々。

 「時間」というキーワードとして句に目をとおしてみた。放哉の句が自覚的に「時」を繰り込もうとした形跡はないが、その視点から見るのも面白いかと思った。他の俳人の句もそのような視点で見るのもいいのだが、なぜか今回思いついた。それをキーワードに何か私にとっていい視点が確保できるかもしれない。あるいはまったく無駄なことなのかもしれない。

 帰宅して見たら岩波書店の「図書10月号」が届いていた。新書刊行80年記念の「はじめての新書」も同封されていたが、これはパス。「10月号」は早めに目をとおす予定。

読書予定

2018年09月27日 10時05分59秒 | 読書
 横浜市域には昨日からずっと大雨・強風注意報が出ている。深夜にはいったん雨があがり、現在は私の住んでいる地域では1ミリ未満の雨が降っている。当初の予報よりは雨は強くない。

 午前中に妻の所用があり近くの私鉄の駅まで。私も一緒に出掛ける。歩くことと人の多いところに慣れる練習である。頭の回転も入院時の時間の進行速度から現実の時間の流れに合わせるようにしなくてはいけない。退職者会のスケジュールや団地の管理組合の課題を頭の中へ再度インプットしておく必要がある。少し時間はかかるかもしれないが、慌てて齟齬をきたさないようにしたい。

 吉田秀和の「セザンヌ物語」はもう少したってから再開予定。今はあの小さな文字と文章はなかなか読み進めるのが難しい。
 本棚の未読の棚を物色していたら、「迷路」(野上弥生子、岩波文庫)と「背教者ユリアヌス」(辻邦生、中公文庫)、「官能美術史」(池上英洋、ちくま学芸文庫)が目に入ったものの、やはり字が小さすぎて今は無理。「官能美術史」は文庫版だけに字ばかりか図版も小さく、やはり今は無理。

 俳句の棚に「尾崎放哉句集」が岩波文庫と春陽堂放哉文庫の2冊があった。自由律の句はあまり読む機会がないので、これを読んでみることにした。字の大きさが気に入った。