Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は久しぶりに外出予定

2018年09月22日 23時47分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も家から外には出なかった。食はかなり進むようになった。本日は秋刀魚の刺身と同じく竜田揚げ、そして潮汁と秋刀魚尽くし。秋刀魚2尾を三枚におろし、竜田揚げとし、骨の部分を潮汁としたのだが、いづれも妻と食べて結局は半分を残した。秋刀魚1尾分で間に合った。刺身は別途スーパーで購入したものだが、これも半分残った。入院前に比べて随分食べられる量が減った。
 実は北海道で購入した昆布巻きがあり、賞味期限が本日までであった。これは明日に食べることにした。

 明日は天気も良くなりそうなので、近くの喫茶店まで昼前に出かけてみることにした。ホットコーヒーと名物の野菜サンドを注文してみるつもり。コーヒーは3週間以上口にしていない。性にサイフォンで淹れたコーヒーを無性に飲みたくなった。
 ふだん歩いて10分ほどの国道沿いにある喫茶店である。用心のために杖を突いて歩いてみる。できればさらに10分ほど歩いたところに私鉄の駅とスーパーもある。そこまで足を伸ばしてみたい。どのくらいの速さで歩ける野であろうか。


入院中の読書2 「高野聖」(泉鏡花)

2018年09月22日 22時10分17秒 | 読書
   

 病院のあるコンビニで揃えている本は小説では文庫本ばかり。そしてほとんどが推理小説。最近の推理小説はまず間違いなく「○○殺人事件」という題名で、どうも私はその命名が気に入らない。センセーショナルに「殺人事件」としてしまって、「小説」としての力点がどこかに飛んでいってしまっているように思う。
 シャーロックホームズのシリーズを書いたコナンドイルや、クリスティやなどの海外の推理小説などは「○○殺人事件」などという表題ではない。
 人が死ぬことばかりであることには、変わりはないといえばないので、表題に関わらず私はあまりにも人が死ぬ場面で溢れかえっている推理小説自体があまり好きではない。人が死なない推理しょせうつというと、「若い人向けの推理小説になってしまう」というが、人が死なないと大人の推理小説にならないのかと逆に私は不思議な気持ちになる。
 そんなこともあり、推理小説ではない文庫本を探したら、浅田次郎とこの泉鏡花の本がかろうじて2冊あった。
 中学生の頃は確か岩波文庫で高野聖を読んだような気がする。確か「眉かくしの霊」と一緒だったような気がするが、今度書店で確かめてみようかと思う。今回角川文庫におさめられているのは5編、「高野聖」と「眉かくしの霊」が共通している。
 私にはこの5編の中では「高野聖」は群を抜いて楽しめた作品であったと感じた。「夜行巡査」などの人物造形・設定などは私にはあまりに荒唐無稽であった。「義血侠血」なども歌川国芳のような凄惨で血がほとばしるような作品で、私の趣味ではなかった。しかし「高野聖」はこれらとは一線を画して、読む楽しみを味わうことができた。人と自然が、怪異を媒介として結びつけられる。自然描写に惹きつけられるし、一見能楽のような構造でもある。
 いつものとおり早読みをしてしまったが、もう一度じっくりと筋を負いながら読みなおしをしてみたいと思わせる作品である。
 「眉かくしの霊」は少しドタバタ敵というか、絵描きの妻と愛人がどうしてこんなことになるのか、話の展開に現代のわれわれからすればあまりに無理がある。
 泉鏡花の他の作品は知らないが、この高野聖は出色なのかと思えた。



ヘンデルのヴァイオリンソナタ(スーク)

2018年09月22日 12時12分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 CDを聴く気分になってきた。入院中はスマホでNHKのFM放送を数回聴いていたが、イヤホンではどんなに音を小さくしても寝ながら聴くと頭が重くなってくる。耳の圧迫感があまり好みではない。個人的には音楽はイヤホンやヘッドホンをしないで直接スピーカーから聴きたい。

 取り出したCDはいつものヘンデルのヴァイオリンソナタ。ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ハープシコードはズザナ・ルージチコヴァーの組み合わせ。スークは大編成の協奏曲などよりもこのような曲の方がその音質によく合っているようだ。

19日ぶりのお風呂

2018年09月22日 01時00分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 19日ぶりに我が家の浴槽に浸かった。入院中はほぼ一日おきにシャワーを浴びた。しかし生まれてこの方、浴槽に浸かるという習慣を身に付けているので、お風呂というのはとてもありがたいものである。
 風の音・虫の音を聞きながら入るお風呂というのはいいものである。約3週間の疲れが取れかかったような気もする。

 自宅での療養も済んだら、せめて2泊ほどの温泉にでも行きたいものである。豪華な旅館やホテルよりも静かでノンビリした、押し付けがましいサービスとは縁遠い地味な旅館がいい。おもてなし、なんていう言葉が似合わないところがいい。豪華で食べ残しを前提としたような料理よりも、味わい深い料理がいい。

 そんなことも考えながら30分ほどもぬるいお風呂に浸かっていた。