goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

早起きはどうしても苦手

2016年09月04日 23時46分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は朝5時に起きて、横浜駅に6時までにつかなくてはいけない。そろそろ寝なくてはいけない。普段朝8時過ぎに起きてくる身にはとてつもない難しいことである。
 小学生の頃から朝早く起きるのが苦手であった。ギリギリまでどうしても起きることが出来ない。また夜もどうしても深夜にならないと布団に入ることが出来なかった。今でもその日の内にはベッドに行くことすらできないでいる。目覚ましをセットする時間を考えると、本日も多分このままでは24時を回ってしまう気がする。
 現役の頃に時々早出をしなくてはいけない時があり、その日は横浜駅を朝5時に出なくてはいけないことがあった。4時20分に家を出て横浜駅まで歩くのだが、半分寝ながら歩いたことを思い出す。缶コーヒーを飲んでも電車の中で寝てしまい、下車駅で慌てて降りた。それでもその時間に通勤客が乗っていることにいつも驚いていた。
 多分もう死ぬまで、朝は苦手で通すことになるはずだ。

中桐雅夫「Birdie」

2016年09月04日 18時18分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 Birdie     中桐雅夫

ものういどよめきが
森を大きくひろがらす
小鳥の眼は
あおい空を見、枝の下のくろい土を見る
小鳥は落ち
落ちて固くなるまでにすこしの時間があつた

犬は喜んで駆け
狩猟者は悠々と足をはこぶ
太陽はなにごとにも関心を示さぬ様子で
一流の女優のように
にこやかにほほえんでいた
このちいさな死を誰が悲しんでいるか、誰も知らない

そうだ、僕の心に住む小鳥は
いつもこうして死んでゆくのだ
そしてまた、すぐに新しい小鳥が
どこからか翔んできて新しい巣をつくる
だが僕にはまつたく予言できないのだ
いつ、その小鳥が来なくなるかは。



 この詩は「荒地詩集 1955年」に収録されている。「詩三編」と題して他に「New Year Eve」「High Noon」の二つの詩が並んでいる。いづれも題が英語表記である。本文には英語表記はない。
 私は1951年~1954年までは目を通したが、1955年と1956年、詩と詩論1&2、荒地詩選の5冊は購入したものの眼を通してはいない。
 この詩も初めて読んだ。しかしなかなか理解できない。理解できるにはもう少し時間と反復が必要らしい。ことばはやさしい。しかし私がいつも感じるようにこの詩にも色濃く「死の匂い」がする。わたしがいつも感じ取るように、死の匂いのしない詩など詩ではないと云わんばかりのこれまでの中桐雅夫の詩が並ぶ。
 今回気になっているのは最後の二行「だが僕にはまつたく予言できないのだ/いつ、その小鳥が来なくなるかは。」である。普通私が話したり書いたりするときには「いつ、その小鳥が来るかは。」ではないか。
 この一行が妙にひかかって、前に進まなくっている。

 この解釈を宿題にして明日からの旅行に行くことになりそうだ。

旅行の準備

2016年09月04日 10時45分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から2泊3日の熊野古道を巡る旅。といっても退職者会の企画旅行なので歩きたくない人はバスにずっと乗っていることもできる。台風10号をめざすようにバスは進む。天気予報では雨が続くので、足元も悪い。晴れたとしてもあまり歩く距離は設定していない。
 わたしとしては将来それなりの距離を歩くための下見気分でもある。

 本日はこれからその準備。荷造りの予定。写真撮影も私の仕事のひとつであるが、一眼レフは重いので、ミラーレスにする。広角ズームと標準ズーム、接写用フィルター1枚、電池予備2つで十分。着替えのほかに山用のゴアテックスの雨具にするか、コンビニで購入するビニールのカッパにするか、思案中。