Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日の講座

2016年09月02日 22時55分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 明日は久しぶりに講座。13時から14時半まで。
 「沖縄を知る-歴史・文化・社会」の5回連続講座の第5回目。「「島」という日本語がまたまた海を超える!」という題で、アメリカの詩人、アーサー・ビナード氏が沖縄を語る。
 アーサー・ビナード氏については知らないが、講師紹介によると1990年に来日し日本語での詩作を始め、2001年には中原中也賞を受賞している。

 その後は南区内で集会があり、カメラをもって集会の後半から参加することになっている。

 月曜から2泊3日で紀伊半島の熊野古道をバス旅行で訪れることになっている。台風12号の進路が気になる。週間天気予報では台風通過後も雨が続く予報である。台風以外に雨が降り続く根拠は何なのだろう。今のところ解説を聞いていてもよくわからない。ヤキモキが続く。

 台風10号の爪跡はとても深い。人的被害も拡大しており、農業被害、建物・施設の被害、漁業被害と被害の深刻さが明らかとなっている。台風12号は九州から日本海に抜けた後、日本海側の北東北、北海道に影響をもたらしそうな気配である。

 本日の読書は「図書9月号」と「現代の眼619」。横浜駅地下街の喫茶店で読書タイム。学校が始まっているので割と空いていた。往復を少しだけ遠回りしてウォーキングに近いスピードで約1万3千歩。昨日と同じ位であった。明日はもう少し長めに、2万歩は歩きたいのだが‥。


「現代の眼 619」(東京国立近代美術館)

2016年09月02日 20時05分02秒 | 読書
 津田青楓という画家については、漱石の本の装丁をしたことと、「ブルジョワ議会と民衆の生活」という作品だけは知っていた。



 今回この「現代の眼 619」で修復家の山領まり氏のインタヴュー「修復家と作品の関わり」の中で津田青楓に言及されていた。意外なところで名前が出て来て少々驚いた。
「父の若い頃からの友人として存じ上げていた歴史家の羽仁五郎氏から修復を依頼された津田青楓の「犠牲者」です。私が一人で仕事を始めようとしていた時の最初の依頼でしたし、晩年羽仁氏の希望通りに、現在は陶器用国立近代美術館に収蔵されています。津田青楓は経済学者の河上肇との交友があり、当時の特高警察に目をつけられていました。ですから、この作品を描いている時も、特高が来るっていうと、キャンパスを巻いては箱に入れて、別の作品を描いているふりをする、というのを何遍も繰り返しながら描き上げたと聞いたことがあります。モデルが画家のオノサト・トシノブさんだということは知られていますよね。(何度も巻いたために)絵具の厚いところに亀裂があって、隠しきれないです。だけど亀裂もまた、時代の証人だと私は思うんです。(奇しくもこの作品が描かれた1933年に羽仁五郎は治安維持法で検束された)」
という記述があった。
 津田青楓という画家の経歴の一端を知り、すぐにネットでとりあえずウィキペディアの記述を要約してみた。
「津田青楓(1880年-1978年)は京都府出身の画家、書家、随筆家、歌人。良寛研究家。
1880年、華道家で去風流家元西川一葉の子として京都市に生まれる。1897年京都市立染織学校に入学。傍ら日本画を学ぶ。1899年関西美術院に入学し、浅井忠と鹿子木孟郎に日本画と洋画を師事。1904年兄の西川一草亭らと共に小美術会を結成。1907年から安井曾太郎と2年間パリ留学。アールヌーヴォーの影響を受ける。1914年二科会創立に参加。のち河上肇の影響でプロレタリア運動に加わる。1933年、小林多喜二への虐殺を主題に油絵「犠牲者」を描いていたところを警察に検挙、処分保留で釈放。のち転向して二科会から脱退、洋画から日本画に転じる。親友に夏目漱石がおり、漱石に油絵を教え、漱石の「道草」「明暗」などの装丁を手がけた。」
 これを読むと作品をじっくりと見る機会が欲しくなった。再来年没後40年、何らかの回顧展でも企画されることを期待したい。
 なお、笛吹市に「 笛吹市青楓美術館」があることも初めて知った。以下のような解説を見つけた。
「津田青楓は、京都府出身の画家、書家、随筆家、歌人で良寛の研究家としても知られています。笛吹市青楓美術館は、青楓と親交のあった小池唯則氏によって昭和49(1974)年に開館しました。昭和59(1984)年に当時の一宮町に寄贈され、現在に至っています。二科会創立に尽力した青楓の自由な南画風の作品や、思うがままの筆致の書など500点以上が所蔵され、そのうち約60点が展示されています。年に2回、春と秋に展示替えを行って、青楓の世界を多方面から紹介しています」
 是非訪れてみたい。

「図書9月号」(岩波書店)

2016年09月02日 18時22分44秒 | 読書
 本日の読書は「図書9月号」(岩波書店)と「現代の目619」(東京国立近代美術館)。横浜駅の喫茶店では「図書9月号」でホットコーヒー1杯。
 目をとおしたものは、
・表紙と解説「光の混合と色」                    伊知地国夫
・膨らむ言葉                            永田 紅
・僕にとってのThe Winyds of God-林富士夫さんのこと       天田 暦
・この胸のあたたかい何か                      原田宗典
・ニューカレドニア島の棄民たちの運命(フーテン老人世界周遊記2)   色川大吉
・少数派の独り言(作家的覚書)                    高村薫
・心の観月会 -仙厓の指月布袋画賛                 三浦佳世
・恐怖と畏怖(「こころ」論-語られざる「遺言」)           若松英輔

「特攻や戦争を語るとき、「今のこの国の平和は戦った若者たちの犠牲の上にある」という言葉をよく耳にしますが、僕はこの言葉には、まだ共感しません。若者たちは「戦った」のではなく「戦わされた」のです。そして「戦わされた」のは「日本の若者たち」だけではなく「世界中の若者たち」なのです。今も世界は、世界中で続く戦争に加担し、その犠牲の上にあり続けています。僕たちは特攻隊の時代から今の時代に至るまで、真の「平和」を手にしたとはいえない世界に生きているのです。」
(僕にとってのThe Winyds of God-林富士夫さんのこと 天田暦)

 ニューカレドニア島:ここにはパリ・コミューンに参加したパリ市民の流刑者を収容した刑務所と、そして明治時代にニッケル鉱山で働きこの地で亡くなった日本人労働者の墓があり、そこを巡った記憶を記載している。
「歴史は東西を問わず非常である。」
(ニューカレドニア島の棄民たちの運命(フーテン老人世界周遊記2) 色川大吉)



「「とにかく景気対策を!」こう叫ぶ多数派は、この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてはいる。‥一方少数派が信じる民主主義の理念や立憲主義と、幾ばくかの理性や知性はここへきてついに過去の遺物になり、両者の間には乗り越えられない決定的な壁が出現しているのかもしれない。‥それでもわずかばかりの理性ゆえに、少数派はなおもこの国の未来を案じることを止められないし、小説家は人間への眼差しを捨てることも出来ないのだが、筆者は今、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。」
(少数派の独り言(作家的覚書) 高村薫)



「ヒトはあるものに満足できず、欠けているものに注意を払い、それを補おうとして、科学・技術を発展させ、一方で、不満や不幸も引き寄せてきたのだろう。」
(心の観月会-仙厓の指月布袋画賛 三浦佳世)

「私たちは死者を恐れる。死者などいないと大きな声で語る者の姿を見ながら感じるのは、その人物に内在する恐れのように思われることがある。だが、年齢を可塑ね、大切な人を喪う経験に一度ならず遭遇すると、死者の存在は、恐怖の対象ではなくどこか身近なもののように感じられてくる。」
(恐怖と畏怖(「こころ」論-語られざる「遺言」) 若松英輔)