Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ミラーレスカメラの広角ズームレンズ修理

2016年09月25日 21時41分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 家電量販店の店員と相談の上、結局広角レンズのみメーカーに修理に出すことにした。見積もりは一週間以内位にわかるらしい。もしも修理ということならばさらに一週間位とのこと。本体とこれまで使っていたズームの仕様には問題はないので、とりあえずの使用には耐えられる。しかし屋内の広い会場での撮影が来週あるので困っている。軽い機種とはいえオーロラ撮影に使った一眼レフカメラに広角レンズを装着して持って行くしかないようだ。
 しかしいくら修理にかかるのであろうか。それが心配である。このレンズは購入してまだ半年経っていない。財布には厳しい。

曼珠沙華

2016年09月25日 20時14分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日はヒガンバナ、彼岸花と記載し、引用した俳句は曼珠沙華であった。私は昔から曼珠沙華と彼岸花が同居している。どちらに思い入れがあるわけでもなく、等価に同居している。初めに知った言葉はどちらであったろうか。父親は彼岸花と呼んでいたように思う。しかし小学生の頃にはどちらも意識の中に納まっていた。
 当時住んでいた地域の畑の縁、農家の敷地を囲む築地の切れ目、放置された造成地等々にさく赤い花を見て不思議な花だと感じた。普通の花とどこが違うのかなどということは特に考えたことはないが、何となく変わった花だと感じていた。父親が彼岸花と呼んでいたとすると、多分当時住んでいた横浜の西部の地域では曼珠沙華と地の人が言っていたのかもしれない。
 中学1年生の時に国語の時間に
★つきぬけて天上の紺曼珠沙華    山口誓子
を知った。紺と曼珠沙華の赤が補色関係にあることを教わった。しかしすぐには紺色の秋の空がどうしても想像できなかった。秋の空の色はもっと明るくなくてはいけないと思っていた。紺という言葉が明るい青に近い色から濃い紫色までにまたがるということを理解したのは、もう少し時間がかかった。
 物事を知るということと、理解することと、頭の中で合点がいくということとはなかなか同時にはあり得ないということを知ったのはこの頃ではないだろうか。

 俳句に興味を持ってから、昨日掲載した
★転移てふかなしき語あり曼珠沙華     石田波郷
という句を偶然知った。わたしの好きな句の一つである。
 そして同じく昨日記載した
★曼珠沙華落暉を兵のよぎりつつ      加藤楸邨
は昨日初めて知った。

★曼朱沙華落暉も蘂をひろげけり      中村草田男
という有名な句を知ったのはつい最近。
★人来ればこの世の色に曼珠沙華      小杉優子
の句は先ほど知った。確かに曼珠沙華は一人でじっと見る花である。


カメラ本体は異常はなさそう

2016年09月25日 13時03分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりの秋晴れ。
 昨日の集会とデモの写真(結局カメラから3枚、スマホの写真3枚)を整理してホームページ用の写真に加工。発言内容以外の文章は出来上がった。22日と24日の発言内容が主催者のホームページに掲載された段階で、それを引用して仕上げる。
 カメラの具合はどうも広角ズームのピントを合わせるリングの不具合のようである。自動でも手動でもピントを合わせることが出来なくなった。集会の途中まではうまく映っていたが、デモに出た段階でシャッターが作動しなくなった。この時点でピントを合わせる機構がダメになった可能性がある。常用のレンズではちゃんと作動するので、カメラ本体の不具合では無いようだ。常用のレンズと不具合の広角ズームと本体を持って修理依頼をしてくることにした。27日・28日とカメラが必要だが、重い一眼レフを持参しなくてはいけないかもしれない。