ただの備忘記録

忘れないように記録を残します。忘れるから記録に残してます。そして、その記録が役立つといいかな。

サウンドドロップ赤い彗星編

2007年05月31日 | 日記
最近のガチャガチャでは、サウンドドロップ赤い彗星編をやってる。
初日にゲットしたのは「ズゥダダダダダダッ!」「ビコーン!」の2つ。判る人にだけ判れば良い(笑)
2日目は「冗談ではない!!」×2個
そして、昨日は5回やってみた。
まず、「ズゥダダダダダダッ!」×2。あまりにも運がない。続けて「私にも見える!」×2。
なんでこんなに続くんだ。最後のリベンジは「冗談ではない!!」ってもうがっくりですよ。

ガンダムカードビルダー

2007年05月30日 | 日記
一昨日、娘と行く約束をした。
昨日は、がんばって今日の分のピアノの練習もしておいたからと娘に言われた。
学校から帰ってきて、早速カードの選定。
車でもテンション最高潮。
さあ、やるか、と卓についたが、肝心のプレイICカード忘れてきた。
自分用のは持ってなかったので、旧カードから更新してそのICカードを使った。
対戦もできたし楽しく遊べた。

子どもは忙しい

2007年05月29日 | 日記
小学生となった我が娘を見て。本当に忙しくて遊ぶ時間なんてないなと思う。
帰ってくる時間は若干遅くなって、寝る時間を若干早めたのもあるけど、宿題と日課のピアノと絵日記が時間を食う。もちろん、風呂も長い。
15時半に帰ってくるとしてタイムスケジュールを見るとこうだ。

15:30 宿題
16:00 自由時間
17:00 ピアノ
18:00 風呂
19:00 夕食
20:00 絵日記
20:30 就寝

これが基本スケジュールとなる。自由時間は1時間しかないが、宿題が遅くなるとこともあるだろう。
また、風呂が長いし、風呂入るまでにダラダラしてることも多い。夕食も時間がかかることが多いが、なんとか20時までには終わっている。最大の難関が絵日記。1時間かかって1行しか書いていない日もある。
毎日こんな調子で、いつ友達と遊ぶのか不思議でならない。
朝はたまに早く起きているが、そういうときは大抵本を読んでいるか工作している。
土日に思い切り遊べたら良いんだけどね。
友達と遊ぶにも、そちらのスケジュールともかみ合わないと難しい。

現代の子どもたちはコミュニケーション下手だと良く言われる。
コミュニケーションは友達同士の遊びの中で覚えていくものではないだろうか。
言いたいことを言い。オモチャを貸し合ったり、喧嘩をしたりして、他人との付き合い方を学んでいくはずなのに、友達と遊ぶ時間がほとんどない。
また、地域での交友関係は同級生だけではなく、少し上の子どもと遊ぶことで、上下関係を学ぶ。
頭で物事を理解する前に、体で覚えるという経験が少なくなっているのだろうと、つくづく思うところだ。

ネットと友達

2007年05月28日 | 日記
ネット上だけの知り合いというのはどういうものか考えてみた。
ほぼ毎日、FinalFantasyXIというオンラインゲームで遊んでいます。
http://www.playonline.com/ff11/index.shtml
このゲームはMMO(多人数同時参加型)という種類のもので、1つの仮想世界を舞台にしていますが、そこには世界中の多くのプレイヤーが集い、同時に活動をしています。時間帯によって異なりますが、平均2000~4000人が常時その仮想世界に存在し、お互いに協力し合って遊びます。
そんな中で毎日遊ぶ人、ときどき遊ぶ人、定期的に目標を定めて遊ぶ人などがいます。
そんな仲間たちとともに、目標となる活動をして、その成果を分配して遊ぶのです。もちろん、その間にチャット(文字による会話)を使って様々な言葉を交わします。同じ時間を共有し、目的を共有し、喜びも悔しさも共有するのです。

そんな仮想世界の住人たちにも、もちろん現実世界(リアル)の姿があります。TVの画面に映し出されたキャラクター一人一人にリアルな人々が存在している訳です。
その友達とも言うべき仲間が一人、自殺という形でこの世を去りました。今日は彼女の葬儀の日です。残念ながら彼女の住んでいたところは遠く、葬儀には立ち会うことはできませんでした。

普通、毎日逢う人や、週に一度逢うとなると、これは友達と言えるでしょう。少なくとも顔見知りという間柄です。
しかし、オンラインゲームでは顔を合わせることはありません。しかし、画面の分身となるキャラクターを通じて、心を通わせ、言葉を交わし、お互いに協力して遊んでいるという関係があります。
これは友達とどう違うのか。ただ一点、逢ったことはないということです。
もし、私が彼女の家を訪れ、家族にその関係を説明しようとしても、理解されないかもしれません。逢ったこともない人が果たして世間一般に友人として受け入れられるものでしょうか?
ところが、面白いことに、ネット上で人と人が話し合うときは、リアルのしがらみがなく、非常に純粋な気持ちで言葉を交わすことができます。もちろん、言葉の裏に秘めた物がある場合もありますが、本当の自分をさらけ出して会話をすることもあるのです。そういう裸の自分を言葉でぶつけ合うのです。それは友達と言っても良いと思います。

でも、悲しさよりも虚しい気持ちが沸き上がります。
それは、これまでも仮想世界での出会いと別れを経験していますが、単にゲームを辞めていく人が大勢います。もちろん、その理由は様々ですが、死という特別な理由があっても、ただ消えていく人の一人となんら同じに見えてしまいます。
そう考えると、仮想世界の人間関係というのは、あくまでそこでしか影響を及ぼしていないのだと思ってしまいます。まるで、人の命が、電子のデータの消失と同じように感じてしまうのは、とても虚しいと思ったのです。

残された私たちには、リアルの彼女を感じる術はありません。仮想世界において彼女の存在を、その痕跡を感じることはできるのでしょうか?
悲しみや後悔を引きずっても彼女はもういません。私たちは残された思い出を大切にするしかないのです。
笑顔の彼女を想像し、彼女が残して行った思い出を語ることが、その存在を確かにするのではないでしょうか。

ヴァナ・ディールはとても広いのです。きっと今日もまた彼女は走り回っていることでしょう。そう思うのも悪くはないというものです。

山城運動公園

2007年05月27日 | 娘小1
家族で宇治の山城運動公園へ行った。
木製のアスレチック用遊具や滑り台でたっぷりと遊んだ。
トンネル型の滑り台では、中の声が良く聞こえる。
娘が中で歌っている。
娘「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートはめいじ~♪こわいよ~~ぉぉ!」
歌は楽しそうだったんだが、叫びながら降りてきた。

石つぶ

2007年05月26日 | 娘小1
紙の上に小さな石つぶがちらばっていた。
娘に訳を聞くと。のりを塗って、そこに粒をばらまいたらしい。
芸術とまでは行かないが発想は面白い。
しかし、家の中でやるもんじゃないなぁ。

ひこにゃん

2007年05月17日 | 娘小1
娘が絵を描いていた。
娘「ひこにゃんかけた」
私「なんだそれ」
娘「ひこにゃんだよ」
良く見るとごちゃごちゃして見えたのは顔じゃなくて兜だった。
私「ああ、ほんまやひこにゃんや」
娘「かぶとないとただのねこだけどね」
言われちゃったよひこにゃん・・・

顔の傷

2007年05月10日 | 娘小1
昨日、本気で怒って娘の頬に傷を付けてしまった。袖のボタンが当たって、赤い筋が残っている。
当然、担任の先生に尋ねられたそうだ。
娘「違うこと言っちゃった」
娘「うちわ使ってたら、パパが取ろうとして、パッとやったら当たったって言った」
とっさにそういう風に言ったようだ。
私「ちゃんと正直に言っとけ」
私が悪い面もあるが、娘も自分のやったことに反省しているからということだろうか?
やはり、単に私をかばっているのだろうか。
ともかく、私が一番反省しなければならない。