ただの備忘記録

忘れないように記録を残します。忘れるから記録に残してます。そして、その記録が役立つといいかな。

ネットと友達

2007年05月28日 | 日記
ネット上だけの知り合いというのはどういうものか考えてみた。
ほぼ毎日、FinalFantasyXIというオンラインゲームで遊んでいます。
http://www.playonline.com/ff11/index.shtml
このゲームはMMO(多人数同時参加型)という種類のもので、1つの仮想世界を舞台にしていますが、そこには世界中の多くのプレイヤーが集い、同時に活動をしています。時間帯によって異なりますが、平均2000~4000人が常時その仮想世界に存在し、お互いに協力し合って遊びます。
そんな中で毎日遊ぶ人、ときどき遊ぶ人、定期的に目標を定めて遊ぶ人などがいます。
そんな仲間たちとともに、目標となる活動をして、その成果を分配して遊ぶのです。もちろん、その間にチャット(文字による会話)を使って様々な言葉を交わします。同じ時間を共有し、目的を共有し、喜びも悔しさも共有するのです。

そんな仮想世界の住人たちにも、もちろん現実世界(リアル)の姿があります。TVの画面に映し出されたキャラクター一人一人にリアルな人々が存在している訳です。
その友達とも言うべき仲間が一人、自殺という形でこの世を去りました。今日は彼女の葬儀の日です。残念ながら彼女の住んでいたところは遠く、葬儀には立ち会うことはできませんでした。

普通、毎日逢う人や、週に一度逢うとなると、これは友達と言えるでしょう。少なくとも顔見知りという間柄です。
しかし、オンラインゲームでは顔を合わせることはありません。しかし、画面の分身となるキャラクターを通じて、心を通わせ、言葉を交わし、お互いに協力して遊んでいるという関係があります。
これは友達とどう違うのか。ただ一点、逢ったことはないということです。
もし、私が彼女の家を訪れ、家族にその関係を説明しようとしても、理解されないかもしれません。逢ったこともない人が果たして世間一般に友人として受け入れられるものでしょうか?
ところが、面白いことに、ネット上で人と人が話し合うときは、リアルのしがらみがなく、非常に純粋な気持ちで言葉を交わすことができます。もちろん、言葉の裏に秘めた物がある場合もありますが、本当の自分をさらけ出して会話をすることもあるのです。そういう裸の自分を言葉でぶつけ合うのです。それは友達と言っても良いと思います。

でも、悲しさよりも虚しい気持ちが沸き上がります。
それは、これまでも仮想世界での出会いと別れを経験していますが、単にゲームを辞めていく人が大勢います。もちろん、その理由は様々ですが、死という特別な理由があっても、ただ消えていく人の一人となんら同じに見えてしまいます。
そう考えると、仮想世界の人間関係というのは、あくまでそこでしか影響を及ぼしていないのだと思ってしまいます。まるで、人の命が、電子のデータの消失と同じように感じてしまうのは、とても虚しいと思ったのです。

残された私たちには、リアルの彼女を感じる術はありません。仮想世界において彼女の存在を、その痕跡を感じることはできるのでしょうか?
悲しみや後悔を引きずっても彼女はもういません。私たちは残された思い出を大切にするしかないのです。
笑顔の彼女を想像し、彼女が残して行った思い出を語ることが、その存在を確かにするのではないでしょうか。

ヴァナ・ディールはとても広いのです。きっと今日もまた彼女は走り回っていることでしょう。そう思うのも悪くはないというものです。