見知らぬ人からメールが届く。ふと気になってメールを開く。友人の友人と名乗る人からのメールで「友人は3年前に死んだ」と言う。突然メールが途絶えた理由は、それだったのか。
私自身の年齢とも関係するのだろうけれど、近年、訃報に接する機会が増えた。友人、友人の家族、あるいは愛犬。
死は、ほんとうに不思議だ。私は、「一元論者」である。ただし、「一元論」の定義は、ふつうに言われているものとは違うかもしれない。私は、私の意識が及んだところまでが世界であると考えている。私の意識が「世界」という「一元論」。そういう私にとって、死とは何か。
「世界」が突然、そこで終わるのだ。
ある人と一緒に見ていた世界から、その人が消えると、その向こう側がなくる。父が死んだとき、はっきり、それを感じた。「世界」の見え方がぱっと変わった。父が隠していたもの、父だけが知っているかもしれないことが存在しなくなり、目の前に突然「壁」ができた感じなのである。
私の家の前の道から、碁石が峰という山が見える。いちばん高い山だ。父が死んだあと、姉が「父が死ぬ前、碁石が峰を見ていた」と言った。父が立っていただろう道から碁石が峰を見てみた。巨大な大きさで山が迫ってきて、そのあとぱっと消えた。元の位置にある。だが、その山の向こうに何があるか、それが一瞬、思い描けなくなったのである。山の向こうには、何もない。碁石が峰が世界の果だ、という感じ。もちろん、私はその向こうに何があるか知っているし、その向こう側を歩いたこともある。向こう側の海まで泳ぎに行ったこともある。それなのに、あの瞬間、それはすべて消えた。そのあとにあらわれてのは、父が見ていた碁石が峰と父が知っていた碁石が峰ではなく、私が別の人といっしょに(たとえば友だちといっしょに)知っている「別の世界」なのだ。ひとつの「世界=父の世界」は存在しなくなったのだ。
この衝撃は大きい。ある詩人が死んだとき、私は、私の書いてきた詩が消えてしまったと感じた。ある翻訳家が死んだとき、やはり、そのことばの世界が消えてしまったと感じた。この「消えた」は、ほんとうは正しくない。「動かなくなった」と言い直せばいいだろう。
しかし、まだ「ことば」が残されているときは、いい。
「ことば」を読み返すとき、何かが動く。動き始める。まだ、いっしょに歩き始めることができる。まだ「世界」を広げていくことができる。
それを頼りに、私はまた動き始める。つまり「世界」を少しずつ広げることができる。
とはいうものの、「ことば」があれば、それでいいというものでもない。三島由紀夫が死んだとき、私はやりは「三島の世界が動かなくなった」と感じたが、それをもう一度動かして、私が見ることができな何か(三島だけが知っている何か)を見てみたいという気持ちは起きなかった。三島の死後、何冊か本を読んだが、やはり、その「世界」は動かなかった。そこに存在するが、それは存在とは言えないような何かだった。
なぜ、こんなことを書いているのだろうか。書く気になったのか。よくわからない。友人の死を知ったことがきっかけであるには違いないのだが。死が近いのかなあ、死の準備をして始めているのかなあ、と感じる。
私には何か「離人症」のようなものがある。(「離人症」を誤解しているかもしれない。)「死んだかもしれない体験」を私は二度している。一度は15メートルほどの高さから、下の田んぼに落ちたとき。落ちながら、このままでは頭をぶつける。体を回転させれば尻から落ちる。田んぼだから、やわらかくて助かるかもしれない。小学5年のときだ。そして、実際にそのとおりにして、私はケガをしなかった。もう一度は、中学1年のとき。雨の日、傘を差して自転車で学校へ向かった。風が吹いてきた。あおられて5メートルほど下の川に転落した。私は泳げない。(病弱だったので、泳ぐことは禁じられていた。)川は増水している。どうするか。川底に着いたら、川底を蹴ればいい。そうすれば浮き上がるだろう。そして、実際にそうした。その結果、助かった。後ろを走っていた上級生が、大慌てで近くの家に「(私が)川に落ちた」と知らせに言った。だから、人もやってきた。私は、そのときの自分の動きを、まるで「映画」でも見ているように、「外」から見ていた。
最近、いろいろな訃報を聞くためだと思うが、「死ぬまであと〇年あるなあ、その間に、この本とこの本は読むことができるなあ」と思い、実際に、読み始めている。まるで崖から落ちたとき、増水した川に落ちたときのように。今度は、はたして助かるのかどうかわからない。「こうすれば助かる」ではなくて、「ここまでは読める(だろう)」という「予感」だけだから。