詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

真作と模作

2005-05-06 15:24:29 | 詩集
 ラトゥール展(上野・国立西洋美術館)を見た。ラトゥールの真作と同時にラトゥールの弟子、工房職人が描いた模作も同時に展示されている。ふたつの違いがおもしろい。
 ラトゥールは蝋燭の光を巧みに描いている。「夜の情景」といわれる作品群である。この作品群に真作と模作の違いが鮮明に出る。蝋燭の光というよりも、影、闇の描き方に違いが大きい。
 「煙草を吸う男」。真作は、背中が闇に溶け込んでいる。闇の波が存在を漂わせ、夜のなかへ人をさらっていく。手に持った明かりの同心円が人間をこの世界に引き留めている。光は人間をこの世界に引き留めるものなのだということがわかる。一方、模作は人間(存在)と闇の境界がくっきりしている。
 なぜこんなに違いが出るのか。ラトゥールが実際の情景を見て絵を描いているのに対して模作が絵しか見ていないからである。技法しか見ていないからである。光と影はどのような技法で描けるか。――そうした意識に支配されているためだろう。その結果、存在と闇の関係がなおざりになってしまう。
 ラトゥールは単に夜の情景を描いたのではなく、夜と人間の関係をこそ描いた。「書物のあるマグダラのマリア」はその傑作である。暗闇に飲み込まれていく人間と光に引き留められる人間。その精神性が弟子や職人には伝わらなかったということだろう。真作と模作はさまざまな分野で見受けられることだが、その違いを考えることができるおもしろい企画だと思った。 
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