地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

ファミリーヒストリー 3

2012-11-13 | Weblog
神社や寺は氏子や檀家など、主に信者によって護持されています
つまりは寄進・・・
そこでは、あらゆるものに寄付者の名前を見つけることができます

以前、仙台を訪れた折に立ち寄った戸隠そば店でのこと
壁にかかった油絵が戸隠連山に似てるんですね 

戸隠との関わりを尋ねてみると出身ではありませんでしたが、先代が戸隠神社の信仰に厚く、中社の狛犬も寄贈されているそうです
後日の折に拝見したら、立派な対の狛犬にはその名が刻まれていました

       
       
       (狛犬の下には寄付者の氏名や屋号が・・・)

多分先代は
生業とする戸隠蕎麦の里、戸隠神社への感謝を込められたのでしょう

近くにある神社・・・
周りを囲む石柵の一つひとつにも寄付者の名前が刻まれています

       

わが家の先祖の名前もありました
石柵は昭和12年(1937)の建立です
まあ
いつの世も神社や寺の護持は大変ですが、寄付者というカタチでルーツを確認することができます

昭和12年というと、昭和生まれには身近な気もしますが、もう75年も前
当時のわが家は曾祖父、祖父母、父とその姉の3世代5人家族でした
ここからは
10月23日の 《ファミリーヒストリーがオボロゲニ・・・》 の続きです

曾祖父は明治元年(1868)に生まれ、結婚して何人ものこどもをもうけましたが、不幸にも成人したのは僅か2人だけ・・・
長女が婿養子を迎えて跡を継ぎ、三女は同村の人に嫁いで静岡に新たな地を求めています
その曾祖父が残した書付けの一つが明治19年の『出火見舞帳』
「7月19日夜」とあります

 出火に際し、親戚はじめ近所・知人から頂いた見舞いの内訳がメモされていますが、酒やお金は定番としても、興味を惹いたのは「握飯一飯つぎ」 
何それ?
と思ってネット検索すると 「飯つぎ」は飯櫃、おはちのこと でした
となると 握飯をおはち一つ分 ・・・ということでしょうか?
握飯の見舞いが多いんです
確かに、何よりも腹ごしらえが必要ですから

逆に出費(お礼等)についてもメモされています
方々への挨拶には酒1升ですが
中には  (□は読み取れず)
 ・20日火消人足    握飯外酒□
 ・20日夜村方焼跡夜番    酒
 ・20日午前焼跡片づけ御人足   握飯酒□
 ・20日午後御人足   酒 
・・・というのもあります
当時の後始末の様子が伺えますが、今とあまり変わらないですね

ところで
『出火見舞帳』が残されていても、一番肝心なところが分りません!
それは
わが家からの出火だったのか?
それとも、類焼だったのか?
すでに聞く人もいないのです

ファミリーヒストリーで遡れるのは、せいぜい三代先まででしょうか・・・
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