白珠だより

札幌にて美人画と武者絵を扱っております白珠画廊のブログです。

余寒は予感?

2010-02-25 | 画廊の様子
      立春を過ぎても尚、寒さが続きます。
心の底から春を待ち続けてお日様や風の動きに一喜一憂の毎日です。
明るい朝の光にはもうすぐ春よと希望が湧き、またふうっと日が影って粉雪が舞ってくると
まだまだよと気持ちがしぼんでしまいます。
冬の真ん中でも五感を張って春を探してみるのはきっと誰でも同じでしょう。

寒の余波は桜の開花時期に影響するそうです。
今年の花芽は元気に育っていて開花は早めと数日前に予報がありました。

雪に埋まった庭へ目をやるとあらっ!なにかの気配がありました。
真っ赤なほっぺのお顔がにっこりとこちらを見つめています。
「あなたはだぁれ?」とたずねてみました。
真綿のような雪に包まったその子は余寒の厳しさに震えているようにも見えました。
何も答えてはくれません。ただ透き通った光のように微笑んでいるのです。
空から雪の粒粒と一緒に舞い降りて来たのかしらなどといろいろ思いを巡らせました。

そして、こんなふうに考えました。
もしかして余寒は予感?この子は春を告げるエンジェル?
私の庭に春の近いことを教えに来てくれたのだわ・・・と。

                     s・y

はるのきつばき

2010-02-19 | 画廊の様子
遥か昔、大きなリュックいっぱいに荷物を積めて九州一周の「汽車」の旅に出かけました。
春休みが始まった大雪の日に出発、平戸島にたどり着いたのは何日後だったでしょうか。
春一番の大風が吹いて島の石畳の道に深紅の椿の花びらが降り積もっていました。
それまでに見たこともない情熱的な景色でした。

「椿」は和字つまり日本でつくられた文字です。ですから、椿は和花といえましょう。
白玉椿、紅椿、黒椿それから侘助などと美しい名前を付けられてその数は二千種にも及ぶとか。花の時期はとても長くて白玉から咲き始めて最後に侘助が散る頃はとっくに桜は終わっているそうです。
北海道にはない夢の花です。 

鶸(ひわ)色に染めた椿の花の手ぬぐいとその横に竹久夢二の「黒船屋」を飾ってみました。

     花弁に昔ながらの恋燃えて   漱石

                            s・y
              

わつぷる。

2010-02-11 | つれづれ
「その手の甲は わつぷるのふくらみ」
萩原朔太郎の詩『その手は菓子である』の一節です。

恋人の手をうたったこの詩の“わつぷる”とは、何のことだと思いますか?



 そう、ワッフルです。

きっと朔太郎の恋人は、小さくてふっくらとした優しいかわいらしい
手をしていたのでしょう。
女性の瞳や唇を美しくうたった詩は数知れずあります。しかし、これほどに
手を愛らしくうたった詩は他にはないように思います。

ふわっふわのアメリカンワッフルを焼きながら、ふとこの詩を思い出し
ました。

詩ではありませんが、東郷青児画伯の絵はどれも細かな手の仕草が
丹念に美しく描かれているように思います。
東郷画伯の絵は唇や睫毛がとても愛らしいのも特徴のひとつですが、
手もとても美しく優雅なのです。


今日は東郷画伯の絵を眺めながら、わつぷるで珈琲タイムを楽しみたいと思います。
                           
                        Ruri    

春が生まれる日

2010-02-06 | 画廊の様子
立春は一年中で最も気温の低い日だと言われます。
厳しい寒さの中に春は生まれるのです。
今年も「一番の寒い朝」を迎えました。
この日から春は順調に育っていくのです。
ここ二、三日、日本海側を中心に大雪と報じられ、新潟では積雪が81センチメートルを記録、
27年ぶりの大雪になったそうです。
中学生の時に雪を天から舞い落ちる花びらに譬えた中原中也の詩が大好きでした。

様々な花の名をつけてもらい雪は詩歌や小説などの場面に静かに華やかに登場します。

瑞花という美しい言葉があります。
雪が多い冬はその年の豊作を約束するおめでたい印として
そう名づけられたのでしょう。

わたしの母は新潟の生まれです。
新潟県の民謡に「十日町小唄」というのがあります。

   越後名物数々あれど、明石ちぢみに雪の肌、着たらはなせぬ味の良さ♪

父がお酒のときにしみじみ歌っておりました。

今日の一枚「吹雪」の中に母の面影が浮かびます。

今年は豊作で喜びの一年でありますようにと祈らずにはおられません。                        
                           
今日の一枚  「吹雪」  伊東深水    シルクスクリーン                          
                             s・y

                      

春来むと人は言へども‥‥‥

2010-02-02 | つれづれ
節分の次の日は立春です。

旧暦は月の満ち欠けを基準としているので、その年によってはお正月を迎える前に先に立春が来ることがあるのです。
それを「年内立春」と言います。まさに今年2010年は「年内立春」。


  年の内に春は来にけり ひととせを去年(こぞ)とや云はむ
                     今年とは云はむ  在原元方
  
この和歌に詠まれているのは「年が明けてからの立春に比べると、年内立春は春らしさをあまり感じないなぁ」「立春と言われてもいまいちピンとこないなぁ」といったような気持ちが感じられます。


では他の平安時代の人々の春に対する想いはどうでしょうか。


   春来むと人は言へども鶯の
             鳴かぬ限りはあらじとぞ思ふ  壬生忠岑
   
「鶯の声を聞くまでは春だなんて思えない!!」といった少しやんちゃとも言える、春を待ちわびる積極的な心が詠まれている様に思います。


お正月、そして立春‥‥‥と順序立ててゆったりと季節を楽しむ優雅な心。
春告げる鶯の声によって季節を感じよう、待ってるぞという心意気。
どちらも春を待つ心であることに違いはありません。

もう如月です。
京都の梅は今が一番の見頃なのだと、学生時代に先生から教えて頂きました。
それからというもの毎年二月になると、梅の花を詠んだ和歌について先生とお話ししながら梅の開花のニュースを待つのが楽しみでした。
先生は忠岑のように「京都で梅が咲いたと聞かないうちは、春が来たとは思わない!!」そんな気持ちで梅の花を楽しみにしておられたようです。

わたしは先生に倣って、「梅はまだか」と少しやんちゃな心で春を待つことにしましょう。


 岩田 専太郎 『しら梅』     
                               Ruri