吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな
八幡太郎義家
今日の一枚の絵 「勿来の関」 國の華絵巻 その十五
矢澤弦月 筆
~黄金花咲く陸奥の、勿来の関の春霞、征衣の袖に散りかかる
落花の舞いの妙じきに、鎮守府将軍源義家卿は、しばし駒をば
とどめつつ、やがて一首のやまと歌~
詠じ出でたる言の葉は、弓矢の神と仰がるる、八幡太郎の名に添えて、
今の世までもかぐはしし。 本文
源義家 (1039~1106)
平安時代後期の武将 鎌倉に生まれ育ち八幡太郎と呼ばれて
兵の鑑と伝承された。
恵みの雨が降り注ぎ馥郁と花たちが綻び令和の誕生を祝福しています。
梅も桜も辛夷や桃やれんぎょう、むらさきつつじも、百花繚乱待ちきれなかった
ように一斉にその美しさを競い合う北国の春はそれはそれは華やかです。
梅は春告草とも呼ばれて百花にさきがけて花開く好文木、桜は夢見草と言って
うっとりするほど美しいと讃えられる日本の春を象徴する花です。
花の見ごろはほんのわずかの花七日、咲き誇る花の花吹雪、花の雲の花霞の中に
身を置いて過ぎしことまたこれからのことを静かに思う~ s・y
今日は端午の節句、江戸時代には男子の成長や武運を願って
鎧や太刀を贈ったり出世を祈って鯉のぼりをあげたり、武者人形を飾ったり
しました。それは今の世にも受け継がれています。八幡太郎のお人形も
金太郎人形とともに人気を集めて、そのりっぱな姿を理想の男子像として
座敷の床の間に飾られています。