白珠だより

札幌にて美人画と武者絵を扱っております白珠画廊のブログです。

天平のファーストレディー

2015-05-27 | 画廊の様子
青葉の陰を五月の風が吹き渡り、光が辺りに満ち、馨しい草花の咲き乱れる園の
中を皇后さまは肩を優しく包む領巾や裳裾を濡らして歩まれます。
薬日(くすりび)の午の刻に降る雨は「薬降る」といって、この雨が
かかった薬草はよく効くと大切にされていましたので、朝の光がほのかに射しはじめた
のも待ち遠しく、皇后さまはお籠を抱えて摘み草にお出かけになりました。

   「光明皇后」 キング國の華絵巻 其の十九  川崎小虎 筆 印刷物
               ~皇后薬狩りの御姿
                               
     
皇后さまは光明皇后と称され、十六歳の時に時の聖武天皇と結婚され、二十八歳で
皇后の座に就かれました。この時から日本の古代文化~天平時代が扉を開いたのです。
国政の勢力争いや疫病の流行など混乱していた中、仏教を深く信仰した天武天皇の
国分寺建立や東大寺大仏の造営に夫を支え、自身、病人や孤児救済のための施薬院、
福祉施設の悲田院などを開いて福祉事業に尽くされました。

幼名を安宿媛(あすかべひめ)、光輝くような美しい人であったので光明子と呼ばれ、
薬師寺に納められている鳥毛立女屏風のモデル*樹下美人*と言われています。
一方では聖武天皇が建立した法華寺の十一面観音像も彼女がモデルだと言われ、その
くっきりとした眉としっかりと結んだ口元に強い意志が伺われます。

夫、聖武天皇亡きあとはその遺品を東大寺に納め、後には正倉院宝物となりました。

この時代は朝鮮半島、中国大陸との交流などを通して日本の華やかな文化が花開いた
時代でもありました。
慈悲の心と強い信念を持ってこの国の平和を願い人々を導き、そして生きた美しい
女性を「天平のファ-ストレデイ」とある歴史家は記しています。
   青丹よし奈良の都は咲く花の薫うがごとくいま盛りなり  小野老朝臣


    散歩の道に忘れな草が咲き乱れていました。
    小さな花たち、ちいさな、ちいさな頬をよせてささやくように
    緑の風に揺れていました。s・y