前回のエントリーで、ひまわり1stDVDを繰り返し観る事によって、めーたんを客観視した、といった意味合いのことを書いたのですが、このことは、同様に自分自身をも客観視することになりました。
僕は、もう2年近くめーたんファンです。何故、飽きないのだろうか、むしろ、日に日に、めーたんの事が大好きになっているのは何故だろうか。
自分は何故、めーたんにこんなにも強く強く惹かれているのだろうか、ということが僅かながらも分かったような気がしました。
めーたんが劇場のステージで歌い踊る姿は、とても素敵です。これは事実であります。ですから、僕が公演を観て、「めーたんっていいな~」と思うのは間違いではなかったのです。
自慢ではありませんが、もし、めーたんのステージが本当は魅力的でなかったら、僕だったら、それに気付くことが出来ると思うんです。でも、そんなふうには思いません。ただの僕の思い入れなんかではなく、めーたんのステージは本当に魅力的です。
思い入れなんかではない、事実として、劇場のステージに立つめーたんは素敵であると、魅力的であると。だから、僕は飽きずに、そして、強く強くめーたんに惹かれているんだと思います。
「事実として、めーたんのステージは魅力的だ。」だから「僕はめーたんに強く惹かれている。」と図式的に書くと、何かとても当たり前のように思えてしまうのですが、それでも、僕にとっては1つの発見でした。力強い発見でした。
もし、本当はめーたんのステージが魅力的でなかったとしても、それでも、握手会とかでめーたんに接する事によって、きっと、僕はめーたんに強く惹かれていたと思います。それはそれで、僕にとっては、多分、それでも良いことなのですが、でも、そうではなかった。
ひまわり1stのDVDを繰り返し観て、計らずもめーたんを客観視し、そして、自分自身を客観視してしまいました。
新しい公演が始まると、僕はきっと、また、客観視することなく、めーたんに惹かれ続けていくのだと思います。
そして、ステージに立つめーたんに惜しみない賞賛の拍手を送ると思います。
そして、めーたんは賞賛の拍手を受けるべき人なのです。
僕は、もう2年近くめーたんファンです。何故、飽きないのだろうか、むしろ、日に日に、めーたんの事が大好きになっているのは何故だろうか。
自分は何故、めーたんにこんなにも強く強く惹かれているのだろうか、ということが僅かながらも分かったような気がしました。
めーたんが劇場のステージで歌い踊る姿は、とても素敵です。これは事実であります。ですから、僕が公演を観て、「めーたんっていいな~」と思うのは間違いではなかったのです。
自慢ではありませんが、もし、めーたんのステージが本当は魅力的でなかったら、僕だったら、それに気付くことが出来ると思うんです。でも、そんなふうには思いません。ただの僕の思い入れなんかではなく、めーたんのステージは本当に魅力的です。
思い入れなんかではない、事実として、劇場のステージに立つめーたんは素敵であると、魅力的であると。だから、僕は飽きずに、そして、強く強くめーたんに惹かれているんだと思います。
「事実として、めーたんのステージは魅力的だ。」だから「僕はめーたんに強く惹かれている。」と図式的に書くと、何かとても当たり前のように思えてしまうのですが、それでも、僕にとっては1つの発見でした。力強い発見でした。
もし、本当はめーたんのステージが魅力的でなかったとしても、それでも、握手会とかでめーたんに接する事によって、きっと、僕はめーたんに強く惹かれていたと思います。それはそれで、僕にとっては、多分、それでも良いことなのですが、でも、そうではなかった。
ひまわり1stのDVDを繰り返し観て、計らずもめーたんを客観視し、そして、自分自身を客観視してしまいました。
新しい公演が始まると、僕はきっと、また、客観視することなく、めーたんに惹かれ続けていくのだと思います。
そして、ステージに立つめーたんに惜しみない賞賛の拍手を送ると思います。
そして、めーたんは賞賛の拍手を受けるべき人なのです。