漢字検定協会の情報誌「樫の木」の12月号が届いた。
明治大学の齋藤孝教授の「実践的な日本語力向上のための指導法」という発表の内容が紹介されていた。
興味深いところを引用すると
「一般的に、書くときに比べて話すときは、日本語としての意味や構文などに対する意識が緩くなるものです。したがって、しゃべった話をテープで再生し書き起こしてみると、大半の人がきちんとした日本語になっていません。主語と述語、あるいは話の始まりと終わりがねじれている、つまり構文が乱れているのです。だから、常に書くようにしゃべる訓練をすれば自ずと構文力がついてくるわけです」
これはなかなか新鮮である。
これまで外国語を勉強するときに、書くと話す、読むと聞くは近い能力だと考えてきたし、英作文の訓練をきちんとしていたら、話す訓練をしていなくても、きちんと話せたという経験もしてきた。
しかし、イタリア語などは、作文の訓練の前に話すことを覚えてしまったので、順番が逆になっている。すなわち、書くように話すのではなく、話すように書く形となっている。
イタリア語は、フランス語もそうだが、ビジネス文書などかしこまった文書は話し言葉とは極めてかけ離れた表現を使う。
イタリア語の作文。再度やり直さなければ。
明治大学の齋藤孝教授の「実践的な日本語力向上のための指導法」という発表の内容が紹介されていた。
興味深いところを引用すると
「一般的に、書くときに比べて話すときは、日本語としての意味や構文などに対する意識が緩くなるものです。したがって、しゃべった話をテープで再生し書き起こしてみると、大半の人がきちんとした日本語になっていません。主語と述語、あるいは話の始まりと終わりがねじれている、つまり構文が乱れているのです。だから、常に書くようにしゃべる訓練をすれば自ずと構文力がついてくるわけです」
これはなかなか新鮮である。
これまで外国語を勉強するときに、書くと話す、読むと聞くは近い能力だと考えてきたし、英作文の訓練をきちんとしていたら、話す訓練をしていなくても、きちんと話せたという経験もしてきた。
しかし、イタリア語などは、作文の訓練の前に話すことを覚えてしまったので、順番が逆になっている。すなわち、書くように話すのではなく、話すように書く形となっている。
イタリア語は、フランス語もそうだが、ビジネス文書などかしこまった文書は話し言葉とは極めてかけ離れた表現を使う。
イタリア語の作文。再度やり直さなければ。