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けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

Guti, 14

2009-12-02 22:19:43 | football


本日12月2日は、グティがプリメーラのチームで公式戦にデビューして、14周年の記念日です。

マドリー公式
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1995年12月2日、ホセ・マリア・グティエレス・”グティ”は、レアル・マドリーのトップチームとしての、最初の公式戦を戦うため、サンチアゴ・ベルナベウのピッチに飛び込んだ。マドリディスモの神話であるマノロ・サンチスが、プリメーラディビジョンでの400試合出場を記した同じ日、レアル・マドリーの下部組織で育ち形成された選手としての暦程を刻み始めたのだ。14年後、グティはあの日と同じユニフォームを着続けている。初めてそれを身に着けたのは、9歳の時だった。いま、彼はチームのカピタンの1人となっている。クラブの歴史に、象徴としてまた絶対的なものとして、その名前を刻む。

リーガで輝かしい結果を残した1994/95シーズンの翌シーズン、レアル・マドリーは厳しい状況でスタートしていた。この時チームを率いていたホルヘ・バルダーノは、数人の選手をカンテラの選手と入れ替えることを決断する。その中の1人がグティだった。そのフィジカルはフェルナンド・レドンドを思い起こさせるが、フットボールのスタイルとしては、別のチームメイトであった、ミカエル・ラウドルップに似たものがあった。この若者はレアル・マドリーBでまぶしく輝いていたが、第15節、チャンスが彼の元を訪れた。時間は63分、グティはアマビスカに代わり、セビージャとの試合に入っていった。そして4-1の勝利。夢が始まった。
背番号は、彼がトップチームの選手として初めて選択したものだった。彼は14番を選んだ。この番号は、ヨハン・クライフの神話を作り出した。14年間が過ぎ、グティは同じ番号を背中に負い続けている。それでも、彼はもう夢を見ていたカンテラーノではない。31歳(正確には33歳)になり、彼はレアル・マドリーのカピタンの1人であり、その大きな見本の1人となっている。彼だけが見ることのできるミリ単位のパスによって、試合の均衡を崩すことができる選手。驚くべきテクニックを持ち、メディアプンタ(トップ下)、メディオセントロ(中盤)、左のインテリオール(サイド寄り)、さらにはデランテーロ・セントロ(センターFW)としてすらプレイすることができる、どのポジションでもこなす選手だ。
この14年間で、グティは、レアル・マドリーのユニフォームを身にまとって552試合に出場し、77ゴールを決めた。その多くが非常に重要なものである。たとえば、2002年のインターコンチネンタル杯決勝(トヨタカップ)でのゴール、同年にフェイエノールトと対戦した欧州スーパーカップなどで得点している。しかしおそらく、彼が決めたゴールで最も心に触れるのは、2008年9月14日のヌマンシア戦でのゴールだろう。前半19分、レアル・マドリーの14番はボールをゴールネットに突き刺した。これは、レアル・マドリーというクラブが、リーグ戦で決めた5000ゴール目のメモリアルゴールだったのだ。
リーガ優勝5回、欧州制覇3回、インターコンチネンタル優勝2回、スペインスーペルコパ制覇2回、欧州スーパーカップ1回、これにより、グティはクラブの歴史において卓越した存在となっている。しかし、彼は満足しない。今シーズン、彼は他のチームメイトと同様に、リーガおよびチャンピオンズリーグのためにベストを尽くして戦うことを決めている。ここしばらくは、彼はフィジカルの問題により通常のトレーニングができていない。しかしすぐに、勤続15年目に入った彼は、ペジェグリーニの指揮下に着き、チームを助けることができるようになるだろう。
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AS
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レアル・マドリーの14番の14年。1995年12月2日、4-1で勝利したセビージャ戦、ホセ・マリア・グティエレス・“グティ”は、プリメーラ・ディビシオンにおいて初めて白のユニフォームを身にまとい、60分、アマビスカに代わって出場した。今日は、その日から5114日がたったが、トレホンのメディオセントロは、ごくわずかな者しか到達できない数字と栄誉の経歴と共に、コンチャ・エスピーナ(ベルナベウのある住所)の組織における歴史に、痕跡を残している。
ここまで、グティは522の公式戦に出場(歴代10位の記録で、9位のロベルト・カルロスまであと5試合)、77ゴールを決めている。彼のキャビネットには、3つの欧州杯、2つのインターコンチネンタル杯、欧州スーパー杯、5つのリーガ、4つのスペインスーペルコパを制覇したカップが飾られている。隙間があるのは、コパ・デル・レイのためのもの、唯一彼の手にないトロフィーなのだ……。
長い旅が始まったのは、1985年のこと。わずか9歳で、Rayito Torrejónと共に、グティは初めて以前のシウダ・デポルティーバを訪れた。彼のブロンドヘアから主スターとニックネームがつけられ、13個のボールと交換で彼を獲得したマドリディスタのコーチ陣を驚かせた。

論争
バルダーノの手によってトップチームに上がった後、彼の途方もない才能は、他の者が見つけられない穴を見つけ、不可能なパスを通し、それによって最初のギャラクティコ時代(フィーゴ、ジダン、ロナウド、ベッカム)、彼よりもはるかにフィジカルに優れたライバル(マケレレ、セードルフ)、議論の対象となるような評判、平静を失うような場面(マドリー史上、グティより多くの警告を受けてきたのはイエロのみ)の中を生き残ることができたのだ。
現在、ペジェグリーニとフィットしない状況で、グティはマドリディスタとしての終盤の反響の中を生きることもできるようだ。2011年までの契約はあるが、来夏を見越して、既に英語の勉強をしているとも言われ……。

未だトレーニングできず
グティは、未だトレーニングができないでいる。血腫がまだ残っており、脚に痛みを与えているようだ。グティはペジェグリーニの訓話を聞いた後、室内でのトレーニングに従事している。昨日、ジムに入るときに補助者に尋ねられ、グティはこう答えている。「これはもう解消したよ」(治った、という意かと)。しかし確かなことは、サブの選手として復帰する日もわからず、土曜日のアルメリア戦で戦力になることもないだろう、というものだ。この負傷(大腿四頭筋の血腫)は、10日前のラシン戦の前に負ったものだ。

2000/2001シーズン、彼の最高の時
グティのパフォーマンスが疑問の余地のない素晴らしいものであった時があるとすれば、それは2000/01シーズンのことだ。デル・ボスケはグティを第2FWとして使い、ラウルをの後ろに配置。グティは結果を残した。18ゴール(リーガ14ゴール、チャンピオンズ4ゴール)を挙げた。彼の最高の瞬間は、ハットトリックを決めた、2001年4月14日のビジャレアル戦だろう。またシュスターが監督をして優勝を手にした際には、グティはリーガで最も目覚しい働きとして、14個のパス(アシスト?)を決めたのだ。
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近影

写真のキャプションは「水曜日、バルデベバスでのトレーニングで、ペジェグリーニと話し合うグティ。アルメリア戦への出場はあきらめている。アルコルコン戦での一件以来、両者の関係は正常に戻っている」。


クラシコ2日前のトレーニング。この日はアルビオルも室内調整仲間だった。

生活指導

2009-12-02 17:36:49 | football

ラス、何か話しかけられたらスペイン語で切り返してやってください。


余計なお世話と言えなくもないですが
ASより
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クラブは、ベンゼマに対し、適応セラピーの準備をする
クラブは彼にスペイン語の教授をつけている。また彼は、ラウルの近所に住んでいる。

レアル・マドリーにおいて、カリム・ベンゼマについてはすべてが中途半端な状態だ。このクラブでは、ベンゼマのマドリー、クラブ、チームメイトへの適応計画が実行されている。生活状態のあらゆる面から、彼は心配されている。なぜなら、このフォワードは、未だチームに馴染みきっていないようだからだ。彼はシャイ・ボーイであり、ほとんど話をせず、自身をオープンにするのが難しいようなのだ。実際、彼はまだ21歳でしかない。ただ、ワールド・フットボール、フランス、マドリーにおける彼の重要性について考えれば、彼はもっと愛想がよく、外交的なキャラクターであるべきだろう。
クラブが取った最初の手段は、スペイン語を話すことができ、チームメイトとコミュニケーションをとり、ジョークを理解し、さらに重要なこととしては、試合中の戦術的な指示を理解できるようにするため、彼にスペイン語の教授をつけることだ。チームメイトが絶望的な気持ちになって試合を終了したこともあった。ベンゼマが、チームメイトのこと(指示?)を理解できなかったからだ。マドリーにきて4ヶ月になるが、言語に関して彼は十分な発展を見せていない。1単語の会話ができるだけだ。他の全員が、チームメイトたちと膨大なコミュニケーションをとっているのにも関わらず。
ベンゼマについてもうひとつ変更されたことは、これまで滞在していたホテル・ミラシエラ・スイーツから、住居に移ったことだ。今シーズンこのクラブに移籍してきた中で、ベンゼマは、ホテルから新居に移った最後の選手となった。

ご近所
ベンゼマは、ポスエロのラ・フィンカに引っ越した。ここには、クリスチアーノ・ロナウドやラウル、グティ、シャビ・アロンソ他も住んでいる。これは、彼がなじんでいくのに良いことだろう。ただ、彼はいつも、スペインに住んで彼に付き添っているフランス人の友人たちと生活し、時には代理人の会社を頼りにしているようだが。
クラブは、アネルカのようなケースを繰り返したくないと思っている。現在チェルシーに所属するアネルカは、99/00シーズンにマドリーに所属したが、それは苦難でしかなかった。彼はチームメイトとコミュニケーションをとらず、それどころか彼らの悪口を言った。モリエンテスとラウルについて、彼はこう言っている。「彼らは優れた選手などではない」。

アネルカは引き離された
多くの問題行動により、アネルカはチームから遠く離れて終わることになった。アネルカは、世界クラブ選手権でアル・ナスルとの対戦前に(そんなのあった?)、デルボスケがビデオセッションを行いながら、チームにどうプレイして欲しいか説明しているところで問題を起こした。アネルカはトレーニングを拒否し、クラブは彼を他のチームメイトから引き離したため、彼は1人トレーニングをして過ごした。このことで、500万ペセタ(3万ユーロ)の罰金も科された。
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ネタ扱いするつもりではなかったのですが、なんだかぱっとしないこと続きのベンゼマの、生活指導というか生活支援というか…なんかやっぱり情けないな。お披露目の時に、訥々と、でもスペイン語でなんとか挨拶してたからけっこういけると思ってたのに。別に無理やりセルヒオ・ラモスのような、超外向的キャラとかにならなくていいですから、日々の生活に困らないくらいにはなっていただきたいと思います。さすがに、アネルカのようなキャラクターとも違うと思いますので、なんとか馴染んでいくだろうと思いますが。
比較するようでちょっとかわいそうかもしれませんが、こうなってみると、オランダ人たちのスペインへの馴染みっぷりはすごかったなあ、といまさらながら思います。オランダ人の数自体が多かったこともあるかもしれないけど、皆、普通にチーム内でコミュニケートできてたし。ルートなんて加入してから半年後くらいには、それなりにプレスカンファレンスできてたしなあ……。


ASからおまけ
再びベンゼマのこと。先日の衝突事故ですが、専門家の試算によると、衝突時のベンゼマの車は、時速100kmほどは出ていたのではないか、だそうです。確かにずいぶん豪快な壊れ方してるけど……。



水曜日のトレーニング
強雨の中、今週2回目のトレーニング。昨日、恥骨炎により途中から別メニューとなったカカに加えて、この日はクリスチアーノ・ロナウドも、最初のランニングの後は別メに。2人は、筋肉に負荷をかけるトレーニングをしているチームメイトとは離れて、ランニングを続けたようです。
また、ルート、グティ、メツェは、この日もまた室内での調整へ。ルートは左下腿三頭筋の過負荷、グティは左大腿四頭筋の血腫を伴った打撲、メツェは右腓腹筋の違和感、をそれぞれずっと引きずっています。

特に問題がない残りの人たちは、カンテラーノのDFファナンとFWサライを加えてトレーニング。フィジカル中心で、後にボールを使ったトレーニングに移行。

トレーニング再開

2009-12-02 01:02:54 | football

月曜日は休養を取ったマドリーの選手たち、本日火曜日は16時(日本時間24時)からトレーニング再開。

今それをやっちゃいかん
本日のトレーニングのトップニュースは、フェルナンド・ガゴが遅刻したこと。ガゴはチームメイトたち、監督のペジェグリーニなどから、恒例の拍手をもって迎えられたとのこと。トレーニングは16時からでしたし、開始の何分か間に合わなかった程度のようなので、寝坊ってことはないと思いますが、ガゴ、いまデリケートな立場なんだから……。

冒頭の恒例のペジェグリーニのお話の後は、負傷中の3選手、グティ、メツェルダー、ルートはピッチを離れ室内での調整へ。またカカは、トレーニングの前半はチーム全体と共にこなしていたものの、後半の負荷が上がったトレーニングは実施せず。別メに移行しランニングとなったそうです。
健康な人たちの体トレーニングは、ランニングでウォーミングアップした後、コーンを置いてフィジカルサーキット、その後ボールを使ったトレーニングへ。


カカ
火曜のトレーニングで、途中から別メになったカカについての医療情報が出ています。公式によれば、

検査の結果、カカは恥骨炎と診断された。医学的、理学療法的な治療を受けるほか、今週中は特別なトレーニングを実施することになるだろう。

だそうです。今週中は、と言っているということは、土曜日のアルメリア戦は欠場でしょう。
カカの恥骨炎、確か古傷というか以前から抱えていた問題でしたよね。「ローテーションやめました by ペジェグリーニ」のため、ラシン戦、チューリッヒ戦ともに先発、長時間出場(交代できても残り5分とかそんなものだったと思う)、クラシコはフル出場。その前はインターナショナルウィークでしたが、確かそれも出ていたと思うし、その前も長時間出場が続いていた。選手の身体もたまったもんじゃないですね。


マイク奪った?
トレーニング記事の最後には、「トレーニングセッション終了後、エセキエル・ガライがプレスカンファレンスを行うだろう」と書かれていましたが、なぜかセルヒオ・ラモスが登場。


元気です
ベンゼマも何の問題もなくトレーニングを実施。