@権力者は「世間に盲目」になる。それは自分を頑なに信じて思うままに周りを動かせる事を誇るからだ。 今の時世でもそうだが、長い政権が続くとあたかも何でも思い通りになると錯覚を起こし、秩序をも無視した行動を起こしてしまう。 様に今の政権がその様に写っても仕方ないと思う。世の中の道理を無視しても法的に罰せられることは皆無となった政治の権力者は今後どの様な惨事をもたらすか恐ろしい。
『茶道太閤記』海音寺潮五郎
権勢並びない太閤秀吉に対しても「拙者は芸道に生きる者、いつの世までも名の残る者でござる」と高い誇りを持ち続けた男・千利休。天正期の大坂城を舞台に、秀吉と利休の確執を初めとして、淀殿と北政所、秀吉の側室たち、利休の娘のお吟、石田三成や小西行長ら武将たちの繰り広げる苛烈な人間模様を描く。
- 派閥抗争1、 秀吉vs千利休、秀吉は千利休の娘お吟への側女としての執着を迫り利休は頑なに断り続ける。また、お吟と結婚の約束した佐々半之丞は4年を待ち続け、利休の死に間際まで秀吉の目を気にして結婚できなかった。
- 派閥抗争2、北の政所派(三の丸様、加賀様)+武人派(加藤、福島、浅野)vs淀君(お茶々・京極様)+文吏派(石田、小西)、大奥の妻妾たちの抗争。17歳のお茶々は浅井長政の長女として秀吉に攻められ、父を殺された敵討ちであるが、5年後には秀吉に寵愛を受けて大奥の主になろうとしていた。この小説での抗争は佐々陸奥守成政から政所に贈られた珍しい黒百合を皆に披露するため利休の娘に生花を命じた。嫉妬から淀君は石田三成に短期間に多くの黒百合を集めた事で珍しい花ではないと知らしめる。 生花を命じられたお銀、出戻りの嫁、は秀吉との出会いから、秀吉が是が非とも側女にしたいと執拗に利久に迫る。
- 小西が三成にキリシタン弾圧を解除してほしい旨を聞くが、三成は「殿下の方を敬うのか、デウスの法を敬うのか、それとも同等か」と聞く事で三成の意思ははっきりした。
- 佐々半之丞の母曰く「今の世の中は、その身の力量、その身の才覚で、どんな出世もできる世の中ではござらぬか。如何に貧すれば、如何に苦しめがとて、心には大名どころか、天下人ほどの溟いを失わぬこそ、真の武士と申すモノではござらぬか」
- 秀吉は天下を取り有頂天になる時「この数年来、自分を失っている自分である事を知った事だ。今まで自然な感情の流露に任せるものはいないと信じてきた。それが人々の自分に対する魅力でもあった。天真爛漫で、しかも宏量であり、率直というのが人々の見る自分の性格だった。」。家康も含め誰もが御威光に応じてありのままを、真実を思うところを申し上げるものがいなくなる。従って、秀吉は歳とともに「強情者め。儂の言葉に背くのか」を家臣にも利休にも言う様になる。
- 利休の最後の望み、それは秀吉の娘への執念を断ち切らせ半之丞との結婚と「死処」であった。それは家康からの異国への異国征伐の中止嘆願をもって秀吉と対面した事が怒りを受け、さらに大徳寺の木像、茶道具の高値販売などで蟄居、自刀を命ぜられることになる。
- 利休の妻、お吟、半之丞、その他門弟らに語る言葉「儂は、作動の純粋さと、己の精神の清らかさとを守り通した。天下人の権力を持ってしても、儂のこの守りはどうすることもできなんだのだ。孟子の言う『富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず、これをこれ大丈夫と言う』、また利休は半之丞に「武士らしい魂を持つものにとって、甚だ住みにくい世となった。武士の道は、男の誇りを重んじ、己の名を思んずるに在る。が、それを通そうとすれば、その人は、やれ時世知らずじゃの、やれ頑固者じゃのと言われて、必ず悲しい運命に陥らねばならぬ今の世です。と武士から町人となり新しい運命を切り開く事を切に願った。
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