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人がつながる「誼」と「縁」

2018-09-02 07:33:18 | 歴史から学ぶ

@人と人は何かのきっかけで繋がりを持つ、それが「縁」であり「誼」となって継続する。この小説はその生き様を戦国時代の中、合戦での手柄より「人との繋がり」を重要視して信長、秀吉、家康と幕府が変わる中、松前家系を存続させた物語である。貧しい蝦夷地の藩主として交易で財政と市政を盛り上げ、あらゆる情報を収集、そこから時代の長たる将軍家に「縁」を築いていく様は今でも不可欠で貴重な行動体系だと思う。 現代はさもすると「頭でっかち」で理論武装した優秀な人材は居れど、「行動に繋げる」行動派人材が居ない。 如何に企画・提案を行動に移し、結果を出すか。今最も必要な人材「行動に移せる人材」がめっきり減った感もする。企業は、ビックデータ・AI(過去の経験値も含め)等からの必要な要素をかき集め、分析、コンサル企業による行動指針提案を頼りすぎで、要は次なる行動を取れる人材がどれ程要るのか、行動派人材育成に追い付いていないのが現状では無いだろうか。 理論から行動に移せる人材育成、古くさいかも知れないが「縁」と「誼」が構築できる人材こそ企業に不可欠の時代となっている、と感じる。

『海翁伝』土居良一

  • 瀬戸内の水軍河野氏を祖として、若さを経て蝦夷地で花開いた松前氏。戦国期、主君への忠義を果たしつつ、前田利家の勧めによって上洛し、豊臣秀吉から交易権を得、さらには徳川家康に安堵されて藩主に。秀吉、家康という二人の天下人に認められ、戦わずして北の大地も守り通した一族を描いた、当主は松前慶広であった。もともと合戦をし、手柄を立てる意識もなく信長、秀吉、家康と頑なに「誼」と「縁」を保ち、諸藩と交易で藩を拡大、保持した。特に家督を継ぐ息子、懇親ある大名へ奉公する息子らへの忠告とその家臣等へは厳しいものがあった。「事(政道)はそなた独りの処遇で済むことでは無いのだ。諸国より優れた浪人を登用し、新たに藩の礎を築かねばならぬ。己にその才覚がなくとも心得たる家老に委ね、忠臣をそばに置いて政道に当たること。儂がこうして将軍家にお仕えするまでになったのも、決して己独りの力では無い、様々なご縁によって皆様に支えられてきたのだ。」それには多くの情報・噂等を聴取することを交易商売人から不可欠とし、特に明朝含め多くの諸藩の交易・商人から様々な動きを瞬時に取り入れ、「誼」と「縁」を築いた。家康にはその「遠方より来たる良質の海狗腎(薬は)効能がある」とお褒めの言葉をいただき、松前慶広からの諸藩等の情報等は重宝し、信頼を置いた。
  • 松前家は長男盛広が家督を持ったが38歳で逝去、この子公広が引き継ぐ。継承問題で三男、四男が謀反で誅伐、次男の忠広は徳川家の旗本に仕え、七男安広は伊達家に仕えるようにした。慶広は「諸国から往来の船が絶えないのも、遥か昔より累代の誼があればこそ、さすれば我らが取るべき道は、周りを助け、商を栄えることにある」と遺言を残した。