@日本の近代化は開国政策から。 明治維新の改革に多くの著名人が登場するが特に「維新の三傑」と言われた木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通はそれぞれ荒波を越え、リーダーシップを発揮、先導してきた。 またそれを支えた影の改革人材(薩摩・長州・土佐・肥前・大垣・備前藩家臣)は、本当に優秀で、優れた才能を多く持った人々だったと思う。 様々な改革に伴う犠牲も多かったがやり遂げた功績は今でも残る。 朱子学から儒学へ、学問・思想・習慣・時代の風習の違いを克服しながら支え合い、近代化への情報と知恵を融合し、より良い日本を夢見た多くの人々に感謝したい。 改革の中で特に「日清修好条規」(明治4年)は、日本の歴史史上初めて中国と対等な立場を作った伊達宗城、柳原前光、花房義質らを讃えたい。 というのは明治が始まって3年−4年目に突入するという時期(変革・改革中)に大国の中国を納得させる交渉術を持った人材がいたことは素晴らしい。
•明治6年の改革
–地租改正、太陽暦採用、徴兵制度、紙幣の発行、鉄道開始、学制改革、日清修好条規
•改革人材
–西郷隆盛(薩摩)、後藤象二郎(土佐)、板垣退助(土佐)、江藤新平(肥前)、大木喬任(肥前)、大隈重信(肥前)
•賄賂・私服・私欲
–井上馨(尾去沢銅山事件)
–山県有朋(山城屋和助事件)
–大久保利通(政治の私物化ー内乱挑発)
•大阪から東京へ首都を移す理由
–東京は政治的な都市だから寂れてしま
–蝦夷地(北海道)を開拓するにもバランスがいい
–新政府の官舎等を旧幕府の施設の流用が可能
•廃藩置県(版籍奉還)
–藩は独立国、自治区「府県」とする「大名潰し」
–藩主は知事となる、土地は天皇に返す
•呼び名を変える
–「呼び名」の下の名を無くさせた
–武士には諱(実名)、字名(通称)があった
•征韓論 (秀吉等の朝鮮出兵の理由)
–失業軍人の利用「不平士族」への対処
–佐賀の乱、西南戦争へとつながる
•通貨制度改革
–四進法を十進法に変更(1869年)
•日本の鉄道
–明治元年1868年から改革始、明治5年新橋〜横浜間開通(廃藩置県から1年後)
–アメリカの支援運用(経営権含む)よりイギリスからの銀行支援、技術供与を選ぶ(長い友好関係を築ける)
–線路幅は1435mmから世界標準1067mmに統一
–鉄枕を枕木に採用(小泉八雲)
•レンガ造りを真似なかった理由
–地震に弱い(朝倉層雲閣12階建)1877年崩壊