昨日は、子どもたちの休校を抱えた
お母さん向けに、家の内側でのことを綴りました。
本日は、家の外側、社会の子どもに向けた目線で、
日本古来の歴史の話から得た、
今起きているような
疫病が蔓延した際の、建築と日本人の心構えの関係
について綴ります。
1)はじめに、古来の祈りの場との出会い
昨年、神社巡りに誘ってくれた友人と
今年は、お寺巡りデビューを、新年に果たしました。
お寺という場所は、檀家でないと
滅多に入れないのではないかと
思っていたのですが、
建物をオープンにして下さる日があるのです。
お正月に、横浜七福神巡りなるものが、
地域で行われると、市の広報に出ており
7箇所のお寺を廻り、境内と本堂の中に入りました。
↓お正月にのぼりが出ていました。
お寺といえば、どこもだいたい同じものかなぁと
思っていましたが、実に違いました。
一つ一つ、屋根の反りのデザイン
瓦の文様、祀られている観音様や
いらっしゃる神様も違うのです。
↓曼荼羅柄の丸軒瓦は初めて見ました。
そして、霊場巡りといって、
お寺めぐりは実は、昔からあることだと知りました。
日本人として、建築に関わってきた専門家としても
まだまだ知らない世界がありますね。
そして、今春は、横浜のこの辺りの12年に
一度の子年観音開きがなされます。
各お寺のお宝である金箔の観音様や御本尊を
拝ませてもらえる年廻りなのです。
そこで、緊急事態宣言が出る前、
神社巡りの友人と、数カ所、霊場を巡ってきました。
2)ヒノキの柱に書かれた願い
霊場の名にふさわしく
想像以上に境内のなかも庭園の作りや緑が素晴らしく、
また観音様の表情、そして、
ご住職のお寺の伝説や由緒あるお話など、
心震えるものでした。
観音堂の前には、今年のご開帳記念に
ヒノキの柱が1本、立てられています。
その無節のヒノキの木材に見とれた木フェチですが、
ちゃんと背割れ(木材のひび割れ防止に、最初から割っておく箇所)
に埋め木がしてあるところもあり、関心して見ていました。
しかも、観音様に向けないようにと
通常背割れは、裏面に入れるところ、
横面に入っていました。
日本人の気遣いですなぁ。。。
文字は、梵字なのでなんと書いてあるのか
分からず、住職にお尋ねすると、
仏教の「発心」「修行」「菩薩」「涅槃」だそうです。
そして、墨で書かれた漢字の文字には、
ご住職のこの世の平安を願う言葉。
コロナの感染の終息を願う言葉が、
令和2年の日付とともに、書かれておりました。
昔からの、日本人の祈りの心を垣間見ました。
過去には、たいそうな高僧がおられ、祈願の際には
一月も食べずに祈ってくださった方もおられたそうです。
他者のために祈る姿に、心打たれた人々も
力を合わせ、乗り越えてきたのだろうと、
歴史あるお寺に、思いを馳せました。
3)観音様の御役割
中には、檀家さん方が、接待してくださるところもあり、
立派な観音様がおられるところに住んでいると思うと
誇りに思います。とおっしゃる方もいました。
観音様のお姿は、写真には写せません。
博物館で見るものそのものと
想像していただければと思います。
この観音様も、1本の木から削られたものであるのも、
数百年を超えて、生き生きと残るのも、木の強さ、凄さです。
ついつい、木に注目してしまいます、笑。
そして、ヒノキの柱から繋がっている五色の布は、
最後の方は糸になり、
観音様の手に繋がっているのでした。
観音様と、握手ができるというのです。
ウィルス対策で、五色の布の前には
消毒液が置かれていました。
苦しみを抱えていても、握手することで、
観音様に抱かれる心地を味わう、との儀式なのだそうです。
目に見えない苦しみというものを
こうして、日本人は、癒してきたのですね。
12年に一度の価値はこの握手にあったのようです。
横浜の子年観音開きの始まりは江戸時代の行事。
(ちなみに、鎖国時代にも海外からの疫病で
多くの人がなくなっていると医学史家、酒井シズ氏、4/3読売新聞)
4)祈りの場と、疫病と、子どもたち
次に、この祈りの場所と、子どものことの関係性です。
初めて、寺巡りをした際に、不思議に感じたことが
どこに行っても、神様も同時に祀られていることでした。
お正月に感じた違和感は、神社の学習で腑に落ちました。
日本の歴史には、仏教が入ってきてから
「神仏習合」の時代があったことがわかりました。
明治期以降、神仏分離が行われ、今に至っているのです。
その名残が、庶民のお参りする先の
お寺には残っているのだと、しみじみ感じました。
目に見えない命、五穀豊穣や、商売繁盛を神に感謝し、
子どもを氏子として報告する先が神社であるとすれば
目に見える命、(生き死にとしての)
人の死後の世界を想像し、拝み成仏を祈るのがお寺。
なぜ、これほどまでに、他国から伝来した仏教
(インドから中国を経て日本へ)が根強く日本に残ったのか、、、
不思議に思っていましたが、
日本史を学ぶと、その背景には、
国内での諍いで人の命が奪われることに加え、
奈良時代、平安時代と、災害と疫病に
人々が苦しんだ歴史がありました。
子どもたちが病気になって亡くなった歴史の上にある
神社への「お宮参り」や「七五三」の行事。
これらは、日本人が、子どもの健やかな成長を地域で
見守っていくという背景が残る行事ですね。
今回のお寺めぐりで、横浜市の新羽にある西方寺では、
横浜市無形民俗文化財指定の
子どもの行事があることも知りました。
江戸時代から伝わり、
真言宗のお寺で毎月行われている「注連引き百万遍」
以下、説明文の抜粋です。
『昔は流行病などで亡くなる子供たちが多かったために子供たちの健康を祈り、各家々持ち回りで、女衆は家の中で念仏を唱え、男衆は前庭で藁でで4~5メートルの大蛇を造り、地域の入り口3カ所の掲げる風習があり、、(略)』
今は、保存会が立ち上がり、大蛇を作り、
近隣の小学校で掲げているそうです。
自分以外の子どもたちの命も、
地域で一緒に育む気持ちの表れではないかと、
感激します。
そして、これはあくまで、一例で、
各地域に様々あることでしょう。
そして、我が子育てを振り返り、
予防注射には賛否両論あるなか、盛んに行われる日本は、
疫病や流行病に打ち勝ちたい、
子どもの命を守りたいという、ご先祖からの想いも大きいと
ここで理解しました。
(赤ちゃんをワクチンだらけにする疑問も、母としては当時持ちました)
5)有事に必要な、誰のせいにもせず、耐え忍ぶ力と協力パワー
東日本大震災の時に、
避難所で、日本人がパニックにならないことを
世界が驚き、そして絶賛しました。
熊本地震の時も、支援にきた方々から
人々が明るいと言われました。
(阿蘇の噴火なども経験してますからね)
理不尽でもあり、不条理でもあるというべきか、、、
自然の脅威である、様々な天変地異を、
誰のせいにもせず、耐え忍び、
励ましあい、対処方法を考え実行してきた、
そのような民族に災害が育てたのかもしれません。
日本には、神にも暴れる神あり(自然災害を起こす)
防ぐ神あり(祈ることで、願う)も居ます。
神社の役割は、そういった出来事への気持ちを
受け止める場所でもあったのですね。
祈ることで、心を鎮めてきたのでしょう。
可能であれば、心落ち着ける場所(神社仏閣は閉鎖の対象外)におもむき、
互いに罵り合うことなく、過ごしたいものです。
6)子どもの命を守りたい、願いの強さは世界一!のはずでは?
以上のことから、地震が世界で一番多い、
災害体験先進国とさえ言える日本が
助け合いの経験の中で、
子どもの命を大切に扱い、守ってきたのだと、
推察出来ます。
こども環境学会で知ったことですが、
鎖国後、海外から日本を尋ねてきた海外の人々から
日本人は子どもを非常に大事にする国だと、
絶賛されています。
『子は宝』の考え方。
それが今、休校などで、
一番、しわ寄せが行っている先でもあります。
しかも突然の国の指示で、
先生方も対応が追いついていませんね。
休校は自体は、避けられなかったと思います。
しかしそこには、子どもの生育環境を
緊急事態にどうしていくか。。。
の施策は見えてきません。
今回の疫病は、長期戦が、予測されるだけに、
経済の事ばかりが議論になっていますが、
命なければ、経済も成り立たないのですから、
子どもの環境に関しては
実は、一番手厚くしなくてはならないのではないか
と、思います。
ここからは、医療の専門外の私の考えですが
ips細胞の山中教授が個人でコロナ感染関連のHPを
立ち上げられたとのことで、拝読しました。
その中で、気になったのは、
子どもの感染がデータ的には低いので
学校再開などの検討もあるかもしれないと
書かれていたことです。
感染が少ないのは、単に海外の方との接触機会が、
大人に比べて非常に少ないことと
行動範囲が狭いからに過ぎないと、私は思っています。
データだけではなく、
歴史からも見ていく必要があると思うのです。
時代の中で、犠牲になってきた多くの子どもたちの命。
大人と同じ行動をすれば、
先に感染するのは免疫の少ない
子どもたちではないかと、本能的に思います。
経験的に、あっという間に、
小さい子は容態が悪化します。
もし、再開するなら、教室の人数は、20人以下にするなど、
接触しないよう、相当慎重な対策を練らなくてはならないでしょう。
7)時代が育んだ環境、空間、建築の場の力
清潔好きと言われる日本人も、疫病、ウィルスを
避ける結果の、土足ではない文化が育まれたと
建築的には思うのです。
福島原発のメルトダウンの時、
セシウムは、落ち葉にたまりやすいと言われて
子どもを公園の排水溝など(落ち葉が集まるところ)
の近くに近づけないように
以前、横浜ではお達しがありました。
毎朝、綺麗に神社仏閣で掃除がなされるのも
美しく保つだけではなく、
本能的に、目に見えない病原菌を排除するため
であったのではないかとさえ、思うのです。
環境づくりも、空間づくりも、建築的な祈りの場も、
全ては歴史の中から、学び淘汰されてきたものだと
今は、しみじみと理解できます。
繰り返されるウィルスと人類の格闘を思うと
今後、私たち建築やが、提供すべき、
場や空間はどのようなものなのか
環境は今後どうあるべきなのか、思案すべき時です。
時代のシフトが求められていると
つくづく思います。
様々な業種、立場、国できっとそうなのでしょうね。
人類の進化が試されているといえば大げさですが
一人一人が、できることを考えて、行動するときなのでしょう。
引きこもった中での生活で、
まるで時間が止まったように、感じるかもしれません。
そんな状況でも、動ける時が来たら、さっと行動に移せるよう
思考停止にだけはならないよう、努めたいものです。
そういう意味で、頑張って参りましょう。