せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

石川県珠洲市の被災地支援

2023年05月30日 | 模型・実験・見学・講習・イベント

2日目は雨。宿から調査のお宅の移動途中休憩に寄った見附島。
能登珠洲市のシンボル的な風景です。

日曜日と月曜日の2日間に渡り、
石川県珠洲市の被災地支援に、行って参りました。

被災された方々には、お見舞い申し上げます。
(個人のお宅は、OKの方のみ、ブログに掲載します。ほんの一部です)

空き家の造り酒屋の被災の様子


倒壊した建物の解体も進む


ボランティアさんが、片付けを終えた蔵の様子


1日目は、住宅被災調査と勉強会と相談会、
2日目は、調査とボランティアの拠点である
社会福祉協議会のボラセン、
相談会場ともなった、お寺さんの被災状況調査でした。
曳家さんとも合流し、技術的助言。





今回のボランティアは、日本民家再生協会のメンバーとして、
建物修復支援ネットワークの長谷川さん、木村先生と合流。



地域の方々からは、被災の様子、心配ごと、
修復か解体かの悩み相談をお聞きし、

時に、近隣トラブルや、地域の課題なども、話は多岐に及びます。

被災した方々への支援制度や修復事例の紹介の説明会、勉強会には、
NHKの取材もあり、地元の夕方のニュースで取り上げられました。

NHKニュースの写真です




相談では、時に、第三者にしか話せない愚痴や嘆きも引き受けつつ、
2日間で、数棟の調査と慌ただしさは拭えませんでしたが
被災した方の励みになれば、幸いと思います。

片付けも、頑張られたお話を伺いながら、
熊本地震での片付けや土砂の撤去などの作業で
汗をかいたことを思い出しつつ、

群発地震に耐えた能登の伝統家屋の構造的な踏ん張りが、
被災した方々の片づけや生活再建の頑張りと重なり、
感動を覚えました。





しかしながら、同じ課題が繰り返されることに
残念な気持ちにも。それは、「応急危険度判定」への誤解です。

もともとは、2次被害を防ぐための応急危険度判定の赤紙が、
差別やいじめに繋がる、課題。

もうダメなのかと、住み手を落ち込ませてしまう現実。
ダメじゃないのに。

現場と制度の乖離は、熊本地震の前から、
ボランティアの方々から指摘されているのに、
是正が進まないことを、

ボラセンでは共有しながら、
次の活動にどう繋げるか、アイディア出しも行いました。

熊本地震でも、お世話になったボランティアの方とも情報交換し、
次に繋げるアイデアを共有できたことは、
やはり現地入りしないと、見えて来ないことがあると実感しました。

被災地に行くことを、躊躇される方も多くおられます。
でも、来てもらうことのありがたさを、
私は熊本地震で実感しました。

住まいの今後を考えて、被災者は、途方に暮れます。
そして、余震で心身ともに疲れます。

そんな中、建築の技術的助言や、片づけのボランティアさんが
どんなに心強かったか。

皆さま、まだまだ余震の続く中、
どうぞ、二次被害のありませんように。

そして、お疲れの出ませんように。。。

今後も、課題の共有や調査報告のレポートは、
日本民家再生協会の仲間とも共有しながら、
支援を続けていければと思います。

ご一緒した方々、本当にお疲れ様でした。


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歴史的建物を訪ねる建物探検旅を、年内に無事に終えて

2022年12月26日 | 模型・実験・見学・講習・イベント


ヘリテージマネージャーの講座を受講していなかったら
出会わなかったかもしれない建築。

故安達謙蔵氏が、別荘として建てたその建物は、
今は、郷土資料館になっています。

正式名称は、「横浜市八聖殿郷土資料館」。

熊本の三賢堂→ 東京の哲学堂→ 横浜の八聖殿
と、年内に巡ることができました。

天井の梁が特徴的。


階段も八角形に添わせて変形


噴水も八角形なら、

門の柱頭も、八角形


建設時代の流れは、

明治42年~哲学大学(現東洋大学)創設者の井上円了氏が
全国巡業で講演や揮毫などで集めた資金で公園を拡張していった
東京中野区の「哲学堂」を参考にして、

昭和8年、安達謙蔵氏によって横浜の「八聖殿」が建てられ、
のちに、昭和11年に、熊本の「三賢堂」が建設されています。

後者の2つの建物が、熊本出身の政治家、故安達謙蔵氏の
「精神修養の場」として開放的な施設として、建てられたものです。

横浜の「八聖殿」は、1階が別荘で、2階が講堂。
8聖人の像があります。圧巻。

当時は、全館空調だったそうです。
天井にグリルも見受けられました。



熊本の「三賢堂」は、熊本ゆかりの3賢人が祀られ、敷地内に
隠宅があります。

なぜ、ここまで訪ねたかと言いますと、
熊本出身で、横浜に拠点を持ち、という点に
私と同じ!と親近感を持ってしまった、ためです。

それから、なぜ、熊本の三賢堂が円形のデザインなのか
謎だったからです。非常に不思議でインパクトの強い建物。

建てた「選挙の神様」と言われた政治家の故安達謙蔵氏。



まさかとは、思いながら、図書館に自叙伝もありました!
昭和35年8月2日発行、新樹社

幼少期に、西南戦争時に巻き込まれないよう
熊本の場所を転々と移られる下りは、
知っている地名も登場し、
その当時の苦労は、想像しがたいものの、
大変だったことは、想像できました。

建物を立てようと思った経緯や
聖人や、賢人を選んだことなども詳しく書かれていました。

残念ながら、自伝には、円形にしたデザイン経緯は、記載なし。
学芸員さんもきっと、当然同じ資料を読み込まれているでしょうから、
それ以上の発見は、ありませんでした。

でも、こうして、建物を訪ねて、
そのモチーフや、思想、作られた経緯を探る「建物探検」旅も
なかなかに、良いなと思いました。

今までは、子育て、介護、様々なことから
机上以外の勉強、出かけていくということが
何年もおろそかになっていました。

今年は、少し、自分を解放すべく
積極的に出かけていこうと決め、少しづつ時間を作っては
様々なところに、プチ一人旅をしてきました。
(時に数人旅)

動きたくても、動けないモヤモヤとした気持ちからの
開放というのは、本当にスッキリします。
ありがたいことです。

自伝を読んだおかげで、建築の資金集めが
呼びかけによる寄付+自己資金という仕組みは、
今でいうクラウドファウンティングさながらですし、

熊本にも建てる予定だからと、横浜の際には
同郷には寄付を呼びかけなかったりなど、戦略も分かりました。

銅像製作の人選選びに至るまで、実にきめ細やかに、
建築プロデユーサーでもある安達謙蔵氏。

さすが、政治家。
人と人をつなげ、そして実行する手腕と心意気。

やはり、政治家は最終的には建築を作りたがるものですが
この方もその一人なのだなと。

ただし、税金をつぎ込む昨今の政治家とは違い
私財ですからね.なかなかできないことです。
(といってもお給料は税金からですから、
出処は、同じかもしれません)

今では、いずれの建物も自治体に寄付され、
公的な運営に委ねられており、地域還元という形をとっています。

ただ、その建築の活かし方が、
両者では違ったことに、少しだけ違和感を覚えました。

横浜の八聖殿は、横浜の海の歴史を伝える場所が必要と
市民からの要求からこの場所が選ばれています。
また、講堂を活かし、歴史の講和なども開催。

熊本では、特に、講義などが行われる様子もなく
窓の開け閉めもされていない様子。

こちらは、八聖殿の窓。スチールサッシが美しい。


後者の方が後に建てられたのに
手入れがされていないのか、古びた印象でした。

建築って、やはり使われてなんぼですよ!

八聖殿は、展示ケースで一部の窓がふさがれたりして、
展示の仕方は、決して上手いとは言えませんが、
放って置かれる施設よりは、断然良いです!

1階の展示は、洋館の中に和のテイスト。


使い方については、いろいろと考えさせられてしまいました。

ここで、すれ違うのは犬の散歩の方ばかりでしたが
周辺の公園緑地も、眺めも素敵な場所でした。

海風を防ぐ松林は、当初のままでしょうか。


高いところにあり、主要道路からは伺い知れません。
そんな不思議な場所も、政治家さんの別荘ならでは。
とは、こちらの学芸員さん。

道路の部分は、以前は海。こんもりとした山の中に八聖殿はあります

以前は、崖の下は海だった話など、横浜の海の変遷をレクチャー頂き、
その点は勉強になりました。ブラタモリ的で面白かった、感謝!

本当に知らないことだらけですね。
街の変遷と、移り変わる歴史的背景と、そこに佇む建築。

時空を超えた感動があるのも、
建築探訪の醍醐味と改めて、感じました。

自分時間を少しだけ取れて、
暮れに満たされた1日です。

余談:
先週末、義母が2度の手術を無事に終えて退院。
まだ、自宅養生と自宅リハビリが必要ですが
なんとか、日常生活が送れるように。。。

そんなこともあって、プチ旅がなかなか出来ませんでしたが
家人が在宅の際に実行。時々は、こうして息抜きも必要と
改めて思います。

皆様も、いろいろなことが起こった一年だったことでしょう。
どうぞ、年末年始、ご無理のありませんように。。。

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これからの建築のあり方を問う 〜万博や、再開発の日本の動向に疑問を持って〜

2022年12月20日 | 模型・実験・見学・講習・イベント

写真は、TECTURE MAGのサイトより
下記にリンクを貼っておきます。

昨日のブログで、ちらっと触れた万博に関連する
ニュースが入って来ました。それに補足する形で綴ります。

大阪で予定されている万博、
正確には、2025年日本国際博覧会
(略称「大阪・関西万博」)

テーマが「いのち輝く未来社会のデザイン」

ここに来て、パビリオンの入札が不調だそうです。
資材高騰だけが理由ではなく、
各デザインへの施工者の技術的懸念が大。

東京オリンピックの際のザハ・ハディットのデザイン案なら
海外の建築家とやるのは、難しいと言い逃れもできたかもしれません。

しかし、今回は、日本人が提案しています。

建築家だけではなく、著名なアーティストや映画監督。
それらのデザイン性重視に待ったがかかったようです。

日経新聞より

一方で、2030年の万博案の一つがこちら。
ザハ・ハディド・アーキテクツの案です。
(ザハは亡くなっていますが、事務所は存命)

TECTURE MAGのサイト

少しだけ万博の背景を、
大阪の次の2030年開催の候補地ですが、
韓国、ロシア、イタリア、ウクライナ、
サウジアラビアの5か国が競っていました。
ロシアは今春取り下げています。

最終的には、博覧会国際事務局総会で3回から4回の
プレゼンテーションを通じて誘致を競い合い、
2023年6月に会員国による投票で
開催国が決まる予定だそうです。

その中の、ウクライナのオデッサを会場とした案が
ザハの案です。

これだけの曲線のデザインですが、
近未来的なデザインは、ザハらしいといえば、
そうなのですが
明らかに、当初のザハとは、違っています。

私の知る初期のザハは、それはもう重力に逆らう、
これでもかといった尖ったデザインでした。

事務所が大きくなるにつれ、歳を重ねるにつれ
丸みを帯びましたね。

ザハ亡き後でも、時代の先端を走るというDNAは
事務所にしっかりと引き継がれています。

この万博案は、すべてのパーツを再利用できるよう
モジュール設計になっているようです。

効率性、斬新さ、リサイクルの観点、からも
先端を行く理念です。

実現には、相当緻密な作業が伴うとは想像できます。
設計も、施工も。

もし、オデッサが、選ばれたら、
きっと私はウクライナに行くでしょう、笑。

この空間と環境を味わってみたいものです。
CGとは違ってヒューマンスケールで
実際のところ、どうなのかを確かめてみたいですね。

比較してはいけないのを百も承知で、
書きますと、

日本の各パビリオンの担当者の
我の強いデザインに比べて
さすが欧州でしょか、統一感があります。

日本人は「和する」のは好きですが、
こう言った他国との関係性や、全体のバランスセンスは
統一感のない町並みを見てもわかるように、
経済事情なども含めて、好き勝手する方向にありますね。

デザインルールがありません。建築家がしっかりしていれば、
デザインコードなども決められるのでしょうけれど。。。
なかなか、難しようですね。

まぁ、もともと、パビリオンは
いろいろなものが集まる面白さがありますから。
私も、そういう点では好きでした。

ただ、ザハの案を見たとき、
時代は転換期を迎えていると強く感じました。

今、求められている持続可能な社会を見据えつつ、
技術的案もの、マテリアル的なもの、それぞれに
解決さ案を提示する形になるのではないでしょうか。

高さを競う建築から、横への広がりへ
これからの建築は、
自然環境との真の意味での共生を成し遂げたいものです。

この案にそれを期待するのは、私だけではないことでしょう。

さらに、本日は、東京外苑の再開発についての
【緊急オンライン集会】@衆議院会館みんなで考えよう!
「神宮外苑再開発問題」を視聴させてもらったため、
より建築の将来性に関して、気持ちが
熱くなっているのかもしれません。

非常に思うことありました。先輩の建築家からの紹介で
すが、都民ではないけれども、非常に注目していますし、
署名活動には参加させてもらいました。

このレポートも後ほどまとめます。
本日は、ここまで。

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ワールドカップ2022にみるカタールのスタジアム最新建築

2022年12月19日 | 模型・実験・見学・講習・イベント
ワールドカップが終わりましたね。

関係者の皆さん、選手の方々、
そしてサポーターの方
お疲れ様でした!

すべての試合を観戦した訳ではありませんが、

テレビ中継で映し出される選手の活躍、
各国の子どもから大人までの
応援席の喜怒哀楽の表情を見ていると、

人間って、どの国でも同じなんだなぁと
しみじみ感じました。

世界の人々の一体感を感じたのは、
私だけではなかったはずです。

もちろん、参加できていない国の方が多いのですけれど。

見所は、もちろんスポーツそのものなのですが、
興味があるのは、スタジアム建築ですね。

試合中は、一部しか写りませんから、
もう少し、観たいなぁ、、、と思っていたら

FIFAの公式ページに、スタジアムの紹介コーナーがありました。
試合が終了してから、ご紹介するのも、なんなのですが

興味のある方は、ページがあるうちに
ぜひご覧ください。


スタジアムの中でも、私が注目したのは、
日本がベスト8入りを懸けてクロアチアと戦った試合会場の
『アル・ジャヌーブ・スタジアム』です。

亡き女性建築家のザハ・ハディド氏が設計を手掛けた建築。
日本では東京五輪の誘致の際に採用されて、
実現出来なかったザハ案のスタジアム。

案は違えども、日本ではできず、
カタールでは建設可能なんだなぁ、、、と
複雑な心境でもありました。

デザインが美しいだけではなく、
設備も画期的です。
屋根の開閉システムも動画を見る限り見事。

先のFIFA+のページには、

「スタジアムのデザインは伝統的なダウ船の帆をイメージしており、
アル・ワクラの船乗りの歴史に困難を表しています。」とあります。

(翻訳ソフトの間違いで、「歴史の困難」だと思います)

日経アーキテクチュアの記事によれば、
「太陽光を動力として稼働する最先端の冷却システムを搭載。
ピッチ脇と観客席の足元に通気口を設け、
地上付近にたまりやすい冷気を施設内で循環させる。
開閉式の屋根と冷却システムによって、
夏場でも施設内の温度を18~24℃に保てるという。」

だそうです。現地で見てみたかったですけどね〜。
『アル・ジャヌーブ・スタジアム』

そのほかにも、再利用できるコンテナを組み立てて
作ったスタジアムや、かつてカタールや湾岸地域で遊牧民が使っていたテント
「bayt al sha ar」に由来した『アル・バイト・スタジアム』など。

そして、メインスタジアムとも言える
『ルシル・スタジアム』

光と影、伝統的なモチーフなど
用いてデザインされています。

こんなにも、実験的で、美しく、差し先端の技術で
いくつものスタジアムを建ててしまうカタール恐るべしです。

近代的な建築が軒並み立っている開催国カタール。
イギリスの保護領という歴史からでしょうか。
イギリスの建築家も多く手がけています。

独立してからの年齢は、私よりも若い国。
石油マネーで、裕福な国のイメージが強いですね。

国民は、大学まで無償で通えるとか、
手厚い国の支援がある国、というと、羨ましい!?

実際には、人口の1割ほどしか国民がいない。
残りの約9割は、外国から移住してきた労働者。

NHKのニュースでは、建設現場で働く
海外からの労働者が賃金未払いで、
強制的に帰国させられることが問題になっていると
報道していました。

建築のデザインの光と影が、
国の光と影をも象徴しているとは!!

どれだけの人が気がついたでしょうか。。。

世界を沸かしたスポーツのお祭りも
それぞれの国の光と影があることでしょう。

先の日本で実現しなかったザハのスタジアムは、
デザインは、近未来的で美しい曲線の案でした。

建設できなかったのは、
スケールアウトだったことと、
予算がかかり過ぎることが大きな理由でした。

日本が、建築の技術的なチャレンンジをしなかった
ことには失望したものですが、

他国の労働力で、無理をさせて建築を
造らせる国でなかったことには、安堵したいと思います。
(そうあって欲しいと、希望も込めて)

これから日本での大掛かりな建設といえば
大阪で開催される万博ですね。

そのままIR会場になったりして!?
と思うくらい、費用を掛けてやりますね。

その国の建築のあり方は、
その国の政治経済、そのものの象徴でもあるので

専門的な方以外でも、建築の動向には、
これを機に、注目してもらいたいと思います。

そして、本当にその建築が必要で
環境に沿ったものであるのかも含めて、
考え、意見をもってもらえれば。

私も考え続けます。

アスリートの活躍にみる粘りの力のように
決して、希望も捨てないで、
行動したいですね!

暮れに大きな勇気と
課題をもらった一年のしめくくりです。
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建築の原点を探る旅、哲学堂

2022年12月05日 | 模型・実験・見学・講習・イベント


先週末のヘリテージマネージャーの講習会で訪ねた
熊本の三軒堂。

その設計のモデルとなった建築が、「中野区にある
哲学堂であろう」という学芸員さんの説に従い、

今回の休日は、哲学堂へ足を運んだのである。
紅葉の真っ盛り。

公園の一角にあることから、こちらもでも素敵な
秋の風美を味わうこととなった。

特別に古建築解放デーとあって、
マイナーな場所の割には、人が多かったのではあるまいか。

公園内は、散策の親子ずれや、野鳥撮影のカメラマンなども
ちらほらの見受けられたが、

公園の一角にある野球場での試合における
小学生の野球チームの子どもたちの賑わいが一番であった。

一般にも貸し出しているという木造の邸宅は、
野球チーム保護者控室として利用されていた。

地域の形とっては、当たり前の風景なのかもしれない。

さて、それにしても、どの建物も大変ユニークであった。
「哲学」を基にした建築の、寄せ集めとなっているこの場所。

賢人を敬い、精神修養をする場所としての建築。

これまで、様々な建築を見てきたつもりだったが、
このような、個人の思いから作られ、そして維持管理されながら

今日まで、生かされてきた建築のそのまた歴史を垣間見るのは
初めて出会った。

そして、直感した。


やはり、熊本の三軒堂は、この場所、この施設、この思想を
絶対に意識したと。

大正から明治にかけて、整備されたこの地を
きっと訪ねて参考にしたに違いない。

特に、平面は正方形に近い建物の角から入り、
45度に振られた四角形の中に、銅像が建っている様は、

三軒堂で、賢人達に対面した時と
同じ感覚になったからだ。名前も「宇宙館」(大正2年)



三軒堂も、「大宇宙を象徴し、大神州を表現す」と神鏡に
刻んである、そうなのです。(参考:安達謙蔵自叙伝)

一方は、円形の建物だが、
このアプローチの手法は非常に似ていると言わざるを得ない。

古い建物は、ただ古い。。。としか
見ていなかった若かりし頃。

歴史、哲学、思想、宗教、学問、、、、
さまざまなものが絡み合って出来上がるのが建築だと今は分かる。

「六賢台」は、狭い空間のため、定員が3名で換気も悪いため、
密になるのが御法度なご時世を鑑み、残念ながら非公開であった。



入って見たかった!
瓦屋根の天狗はユニークでしたけどね。

それにしても、門の左右が阿吽の仁王像ではなく、
幽霊と、天狗というユニークさ。
実は梅の木に幽霊が出るらしい。




ここの建主、哲学館大学(現東洋大学)創設者の井上円了氏は、
なんと妖怪博士でもあったとか。

鬼灯篭


裏にまわれば、なんと褌姿。


哲学的散策の仕掛けがあるのに加えて、
妖怪も配置されているらしい。

しかし、「77あった見所ポイントは、50箇所程度になってしまった」
とおっしゃるのは、公園ボランティアガイドさん。

理由は、洪水(水害)らしく、
流されてしまった場所もあるのだとか。
長い歴史の中では、そういうことも起こりうるのだった。

解放されていた古建築のなかで最も気に入ったのが
読書堂の役割をしていた「絶対城」(大正4年)


まったく、お城の形ではないのに、おかしなネーミングと
思って、中に入って、その理由が述べられていた。

「読書は、絶対の妙境に到達する道理」なのだそうだ。
ここでは1階が書庫で、2階は吹き抜けを囲んで畳がひかれてある。


ここに座って、読書したのだろうか。。。
天窓の明かりと、窓から見える自然。すごく良い。



そして、婦人部屋というのは、当時はまだ女性が学問をするのが
許されていなかった時代。女性が籠って読書する場所というのが
設けられていた。広さにして、2畳ほど。



狭いけど、むしろ、集中できそうだ。

この回廊型の、読書のための建物が、
いっぺんに好きになる。

外観は、洋風だが、使い方も最先端をいっていたのだろう。

三軒堂の建築的な参考は、四聖堂や六賢台であったと思われるが
思想は、この場所も踏襲されているに違いない。

三軒堂では、女性も一緒に講和に参加できていたのか
不明だがそうであって欲しいと思う、、、。

建築の不思議を、探る旅であったが、
おもがけず、私には収穫となった。

「建築のモノづくりには、哲学が必要だ」

とは、昨今、大先輩が講演会で述べられたばかり。

私自身は、思想が必要だと思っている。
どんな発想力も、その人の思想がなければ生まれてこない。
形だけではダメなのだ。

使い方、運営の仕方、空間から何を感じ取って欲しいのかまで、
一生懸命に考えてこそ、きっと構成まで残るのだろう。

久しぶりに、納得した建築めぐりとなったお天気にも恵まれた
昨日の日曜日。

と、ここまで、綴っておいて、夜更かししているのは
もちろん、サッカーW 杯にて日本を応援するためです。

こちらは、監督の緻密な作戦とアスリートの鍛錬
そして、チームワークの結果によるものですね。

会場が、亡くなった女性建築家
ザハ・ハディットのスタジアムであることもあり、

今晩、いえ今朝は張り切ってTVの前にいようと思います。
頑張れ!日本。

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