せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

JT生命誌研究館を訪ねて~命のつながりを実感する悠久の旅へ~

2023年02月27日 | 森と樹と暮らしを繋ぐプロジェクト

こちらは、生命誌マンダラです。刺繍で出来ていました。

人は、いつでも行ける場所だと思うと、
案外と行かないものです。

実に、私にとってのそんな場所が、
『JT生命誌研究館』でした。

建築は、設計はイタリア人に頼まれたとか。
DNAの螺旋をイメージした寒暖が中央にあります。
リンク先のHPをご覧ください。

心の中には、いつでも行きたい、行きたいと
ず~っと温めてきて、
そのお出かけがやっと実現しました!



本当は、この目で見てみたくて
うずうずしていたのだけれど
直接の建築の仕事には関わらないこと、
(大きな「命の視点」ではつながっているのですけれど)
に加えて、大阪の高槻という場所が、
空港や新幹線の駅ではないことから、
訪問を見送り続けてきました。

その間、実に10年です。(あっという間でしたが)

私が、目の当たりにした日本の荒れる山の環境と、
衰退する林業。今ほど、国産木材の活用が今ほど大事だと
叫ばれていなかった時に、

なんとか、その課題を解決したいと
細々と、「森と樹と暮らしを繋ぐプロジェクト」を
始めた時、『生命誌』(バイオヒストリー)
という考えに出会いました。

施設にうかがえなくても、
webである程度の情報は入手できましたし、
季刊誌も出ており、

提唱者である中村桂子さんのご著書は、
拝読してきました。

それでも、やっぱり、その場に立ちたいものです。

今回の出張に合わせて、大阪に立ち寄りました。

百聞は一見にしかず。

その、研究の成果発表や、
万人にわかりやすいように、カラフルな模型で
作られたゲノムや脳の模型。核の映像などは、
大変に素晴らしく。

Webで入る情報と、体験として感じる情報では
やはり、知識としての入り方が違うなぁと
改めて思ったのでした。

内部の写真は、JT生命誌研究館のものと断りがあれば
掲載可能とのことでしたが、詳しい展示内容は控えますね。

こちらは、私たちの祖先、肺魚。
ニックネームはマカロニくん。


しばらく、見つめ合いました。


祖先は、ヒレが手足に進化したそう。
口が開くと、鼻の穴があり、肺呼吸をしています。

人間の祖先は、シーラカンスか?肺魚か?
の論争を経て、現在は後者だそうです。

子どもの頃は、シーラカンスと習ったような。。
(だからシーラカンスだけは、覚えてる、笑)

紙で出来た生命に関するモビールも素敵。


ここは、実に今年で30周年だそうです。
素晴らしいですね!

生命体の進化のように、様々な研究成果を出され、
そして継続しながら、情報発信を続けておられる。

化学も科学も、私にとっては違う専門ジャンルでしたが
中村さんのおかげで、とても身近なものになりました。

もっと、早くから(若い時から)もの分野も知っていたら、
もっと、器の大きな大人になれたでしょうか。。。笑。

今、思考中の自然と人間の在り方に、
大いなるヒントを頂きました。

これからの「森と樹と暮らしを繋ぐプロジェクト」の
活動の信念も、大きく太くしていけそうと、感謝の気持ちです。

今年は、「子どもと環境」の視点で、さらに活動を
深めて、実践していきたいので、
そのための私の心の栄養になりました。

無料配布の資料も素敵。読みやすく、内容は深く。


メルマガも登録したので、
これまで、何となく深入りできていなかった
命の大元の部分にも、さらに深く根を伸ばしていきます!

余談:
いよいよ、私の子育ても今春、卒業予定。

これまで、家族のこと、子どものこと、
本当に自分でも予想以上な出来事が続きました。
災害に病気や引きこもりなど、思いがけない出来事に
翻弄されてきました。

これからは、手をつけてこれなかったこと、
後回しにしてきた自分のやりたかったことを
我慢ぜずに、進めていこうと思います。

根っこを伸ばせ!

高知県の御神木、大杉さまにご教授いただいてから10年。
十分に伸びたでしょうか。。。

大豊町の巨樹、
特別天然記念物の杉はこちら

このコロナ禍の数年は、
大きな交流ができない分、

家族のケアで時間も限られた中、
映画に展示会、美術館に足を伸ばしました。

私にとっては、自分に肥料をやるような
時間だったでしょうか。

今年は、やっと脱皮?冬眠からの目覚め?
そんな新年度になりそうです。

どんなふうに、枝が伸びますやら。。。

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縄文時代に学ぶ、人の暮らしの環境適応

2023年02月20日 | ものづくり


人には、どうしようもなく惹かれるというモノが
一つや二つは、あるだろう。

私のその一つが「縄文土器」である。

火焔土器の、炎のようなキゾチックなデザインには心躍るし、
緻密な紋様のデザインには、感嘆のため息が漏れる。

まだ、家庭を持つ前に、大展示会を訪ねた時、
顔面土器を見た際には、

子どものようなその可愛らしさに、うっとりとしたものだ。
このような赤子がいたら。。。と思ってしまったのだ。
それくらいに、人間の本能をくすぐられる代物である。

その時、もちろん、図録は購入。
眺めては、癒されてきた。(←子育て前)

実際の赤子を抱いてからは、もう見る必要が
なくなっていましたけれどね。

それが、2021年の北海道と東北地方の遺跡が
世界遺産になってからというもの、縄文マイブーム再び。

やはり、実際の遺跡を訪ねて、実物(レプリカ展示も多いけど)に
触れると、エネルギーをもらう。

今回は、両面顔面の土器の装飾が見つかったそう。
昨年10月に発掘されたらしい。世界的も珍しいのだとか。
女の子(上)と、男の子(下)の双子に見えました。





氷河期が終わり、15500年~2400年前の非常に長い縄文時代。
その中でも、興味があるのは、気候変動と人々の暮らしの変化。

今、盛んに言われる地球温暖化。
今から2度の温度上昇は避けねばならず。。。
(世界では、沈んでしまう国もありますからね)

しかし、縄文時代は、東方区地方で今より3度。
関東で2度は高かったと言われている。
その際は、海が近く豊かな暮らしがあったとも。

その後、気候の寒冷化も経験。
一体、どうやって私たちの祖先は、生き延びてきたのだろうか。。。

そんなことが、ずっと頭に引っかかっていて、
久しぶりに縄文時代の遺跡展を見にいく。

運よく、考古学者の話が聞ける席の抽選にも当たり、
「縄文人の環境適応」シリーズの
「身体的特徴と環境変化」を拝聴した。

資料の転載は不可とのことで、お見せできないが
最近の研究で、遺跡の発掘数から、集落の減少(=人口減少)
が、気候変動とは少しタイムラグがあり、
またそれだけではない、ことがわかってきたそうである。

発掘される土器の種類や形、想像される用途
(機能的なものと、儀礼的なもの)
などから、社会の変化もセットだった
ということが分かっているらしい。

地球規模での寒冷化時代には、食料確保のために集落は小規模となり、
気候変動により、社会不安が大きくなると、儀礼的な要素が暮らしの中に入り込んでいくようになってきたようである。

まじないなのか、祈りなのか、分からないが、
今で言えば宗教的なものかもしれない。

あるいは、家の中での儀式(秘儀)は、
今では、個別カウンセリングのようなものだろうか。。。

石棒(男性のシンボル)と
釣り手土器(学者によっては、首を切られた女神とも呼ぶらしい)
が住まいの柱の下に埋められているのは、
何かしらの秘儀の可能性があるのだとか。

とにかく、人は、環境に委ねる暮らしを
何かしらの知恵で、心の問題も含め、
対処してきたのであることが分かる。

心と、体の両方、そして魂のような部分も含めて
大いに、互いに、生き延びるために、
さまざまなことを試したに違いない。

上手くいった例も、そうでなかった例もあるのだろう。

しかし、多くの遺跡に共通する何かしら対になるもの
を埋めるという行為が、相当に行われていたらしい。

注ぐ土器と注がれる土器(まるで酒の酌み交わしか?)、
色が対照的なものなども。。。

こうしてみると、まるで陰陽の考え方で、
心理的に、何かしらバランスを取るために
モノに託したのでは無いか?!
と聴講しながら感じたものだ。

漆の土器など、現代でも使えそうなプロポーション。


儀式に使ったか?特別な人用か?装飾性が高い耳飾り


モノとコトがセットになって、人々の不安を癒やし
そして、それが住まいという安心した限られた人数だけでの
空間で、行われていた。

現代の住まいでは、どの場所にあたるかなぁ。。。

心の拠り所を、できれば、外の新興宗教ではなく、
住まいに求めたいと思ってしまうのは、私だけでは無いだろう。

いつの時代も、人々は社会情勢と
気候変動に不安を持つものなのかもしれない。

最後に、講師に質問してみた。
「縄文人の暮らしは、気候変動でどう変わっていったのか?」と。

答えは、
『すぐには大きな変化はなかったであろう。
ゆっくりとじっくりと暮らし方は、変わっていく。
そうだ。

流石に、悠久の時代を相手になさっている方。
大きく構えていらっしゃる。

建築の生業者としては、断熱どうする?、省エネどうする?
環境対策は?と日々、頭を悩ませているわけで、
このゆったりとした感覚は、持てていない。

むしろ、最近は法改正もどんどん行われ、焦りも感じる。

日本では最近はやたらとSDGsの関連づけて考える。
もしかして、これは縄文人のDNAか?と苦笑いである。

講師がおっしゃるように、今すぐは大きくは変えられない。
(電気のない生活とか無理ですよね)

それでも、ゆっくりでもじっくりでも
やはり文化の変化=暮らし方の変化は必要なのだ。

講演を聞いて
私の結論は、ものづくりの姿勢としては、
やはり「温故知新」に行き着く。

暑さを凌ぐには、昔から、冷んやりとした土間空間や
軒の深い庇のある、半屋外空間、

御簾たや木製建具などで日差しを遮れるようにしてきた。
高床も気候対応の一つだ。

今、「ロッジア」という新しい言葉で、
半屋外空間を住まいで設計する日本人が
出てきている。横文字だが、私にしてみれば、
土間空間と軒下空間のMIXのようなイメージだ。

これから、住まいは、暑い時の暮らし、寒冷時の暮らし
をエネルギー問題も含めて、急激な変化ではないが
確実に変化させていく必要がある。

そのためには、昔からの知恵を
一つ一つ現代にアレンジすることなのかもしれないと、
改めて、マジックのような手法はないと認識した次第だ。

縄文時代が気になって、サークルストーンなど様々な書籍も
拝読したが、一旦、ここで、自己研究は線引きをしようと思う。
今の所の結論が出たからだ。

ここからは、自身のまとめです。

気候変動、社会不安に対応する住まい空間として

1)昔からの住まいの知恵を、最大限現代風にアレンジし、
  費用のかかる大きな変化ではなく、
  できるところから(予算内で)少しづつ取り組む。

2)住まいの中に、精神的な拠り所の場所を作る。
  神棚や仏壇もその役目を担ってきたかもしれないが、
  テレビのあるリビングだけが憩いの場ではなく、
  精神的な活動、魂の癒しの空間や場所のしつらえ。

そういったものを意識して取り組んでいきたい。

3)「帰家穏坐」の家にする。

これは、禅の言葉です。
有名な書家の展示に書かれてありました。

今風に訳せば、「家に帰って自分の座布団に座ってほっとする」
でしょうか。
現代の暮らしなら、座布団ならぬ、椅子やソファかもしれせんね。

1の温故知新と、1の拠り所の必要性から、
住まいも建築も改めて、「帰家穏坐」の発想で、
空間を創っていけたらなと思います。

ガラス張りで、緊張感あふれるツルッとして温かみにかける
最近の建築の傾向ではなくてね。

縄文人から、禅の時代まで、参考にしながら
今の暮らしに似合った、
リモートワークでなかなかくつろげない
昨今の住宅事情も踏まえて、
「帰家穏坐」の空間を見つけていきます。

梅の香りが、外出を楽しませてくれるこの季節の
新年度への方向性となりました。


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トルコ、シリア地震のこと

2023年02月15日 | 災害に備える2021_23
バレンタインデーだった昨日、2月6日未明と7日に起きた
トルコ、シリアで起きた大地震から一週間が過ぎました。
浮かれる気分にはなれませんね。

日本からの医師団の救助隊も
やっと現地入りしたことでしょうか。

連日の救出作業の報道には、胸が痛みます。

日に日に、死者の数が増えて、
14日現在では3.5万人との報道も。

まだ、救出されていない方がおられるので、
この数もいずれ膨らむと思われます。

阪神大震災の際も、刻々と増える死者の数に
慄いていた自分を思い出します。

<救出時間>

72時間が、生存の可能性ぎりぎりという時間を超えて
150時間で救出された子どももいると聞くと、本当に
よく頑張ったと感動もしながら、しかし、一方で多くの
命が尽きていくこと思うと、辛いですね。

寒さは、氷点下にもなるとのこと。
避難されている方々のご苦労は想像を超えると思います。

先週末の関東の雪で、寒いと震えながらも
室内で過ごせることが、どんなに幸運なことかと
噛み締めざるを得ませんでした。

今回の大地震の教訓、そして
さまざまな報道の中で、気になったところなど
記録として綴ります。

<初めて聞いた言葉「双子地震」>

トルコとシリアをまたぐ南北と、
東西方向に、2つの断層で9時間の間に起きた地震。
V字に広がるその被災地

熊本地震で経験した前震、本震
を思い出します。

大きな地震が重なると、本当に被害は甚大になります。

そして、この言葉も初めて耳にしました。
建築の専門用語です。

「パンケーキクラッシュ」

トルコのアンタキヤの中層の集合住宅が、
階が折り重なるように崩れた様をご覧になった方も
多いと思います。

まるで、パンケーキが重なったように
崩れる様だそうです。

日本では、中層のコンクリートの壁式構造の団地形式の建物は
昨今の日本の大地震で最も被害を受けにくかったと、
言われています。安定した形と、無理のない高さで
耐震性が良いのです。もちろん、日本の基準の場合ですね。

これは、名古屋市の防災センターの講演で
超高層ビルへの警鐘のセミナーで知ったことです。

<施工不良か?>

その安定した建物のはずが、このようにもろく崩れていく。。。
地震の規模もさることながら、
工事の不良施工も疑われています。

今回の、地震被害が大きくなったことは
やはり、耐震補強が進んでいなかったことが大きいそうです。

施工不良も原因と、施工者への法的措置もとるという報道に
世界最古の建築に関する法律、古代の
「ハンムラビ法典」のなかの一節を思い出します。

「設計した家が壊れて人が死んだ場合、死刑に処す」
という大変に厳しい法律です。

私たちは、学生時にも建築家はこれを肝に銘じるよう
学びます。

ハンムラビ法典といえば、バビロニア、
現在のイラクは、シリアのお隣。

この辺りは、古代も地震が多かったのでしょうか。
あるいは、手抜き工事が多かったのでしょうか。

今は、死罪にはなりませんが、本当に工事に不具合があったなら
歴史から見ても、厳しく処置されるのではないかと思います。

<発生時刻による被害の違い>

そして、気になったのは、やはり地震発生の時間です。

朝の4時といえば(正確には4時17分)ほとんどの方が
眠りについておられるでしょう。

阪神大震災の際に、朝方の朝食準備で火災発生が増えたように、

熊本地震時は、皆が寝静まる前で、
家屋の外に人が避難でき、死者が少なかったように、

時間帯によっても、逃げられるか、逃げられないかで
大きく変わってきます。

私たちの備えは、建築的には、耐震補強が一番ですが
すぐにできることは、やはり避難の準備だと考えます。

未明に寝ている際でも、咄嗟に防災バックを持ち出して
外に出られる準備をお願いしたいですね。

超高層にお住まいの方は、免震構造でも
相当な横揺れが発生しますから、家具の固定は必須です。

それから、シリアでは、500年ほど、大地震の記録がないそうです。
つまり、空白域。頻繁に地震が起きないところでは
防災訓練など、行わないかもしれません。

知恵も継承されにくい。
何度も大地震に遭っているトルコより
準備不足もあったのではないかと想像しています。

今回の大地震、実に長い距離で170KM以上だそうです。
避難場所の確保も、支援救助も広範囲に渡り
これからの復旧復興も、相当な時間が要されます。

幸いなのは、国際的な救助が少しづつ入り始めているということ。
当事国ではないところからの
手が差し伸べられる時代であるということは
一つの救いですね。

対岸の火事と物見で終わらせず、教訓を生かし
日本でも、耐震補強や備えが進むことを願います。

ご心配な方は、寝室だけ、シェルターなど
大掛かりではない、補強も考えられます。
ご検討ください。

最後に、今回の大地震でお亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈り致します。

先立って被災地入りし、救助活動にあたられている方々には
余震に注意して活動下さいますように。。。

大地震で、水不足、余震の多さで睡眠不足を経験した身としては
みなさまに、どうかご加護があるよう強く願います。

下記の報道ページも合わせてご覧ください。
参考までに。

読売オンラインニュース230214

NHKニュース230215
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ガウディ建築の現在を伺う。機械化が止められないものづくりは世界共通か。

2023年02月14日 | ものづくり

丹下さん撮影の写真をいただきました。
こちらは、「カサ・デ・ラス」ゴシック様式の集合住宅の窓
精妙なつくりです。

先月末に行われた 丹下敏明さんのご講演
「サグラダファミリア教会を語る」に参加してきました。

今年こそは、参加した勉強会など、ちゃんと
まとめておきたいと思い、遅ればせながらブログに綴ります。

今回は、オンラインではなく、対面でした。
バルセロナ在住の丹下さん。
緊急帰国の講演にかかわらず、会場はほぼ満席。

ここ数年のコロナ禍で、海外に渡航するのが
しばらくぶりの面々も多いのか、盛況でした。

バルセロナと言えば、、、
アントニオ・ガウディの手がけた建築です。

まだ、現物をご覧になっていない方には、
世界遺産オンラインガイドをどうぞ

私が最も好きな建築。
初の海外旅行が、スペインでした。

スペインには絶対に、再度行く!と決めていたのに、
2回目の渡航を計画中の際に母が大病を患い、中止。
それ以来、全く予定を立てる予定すらなし、でここまできました。

あ~、どうなっているのか、サグラダファミリア。
私が訪問した30年近く前のこと。
完成まで、400年はかかると言われていました。

設計図もないため、試行錯誤の手仕事だからです。
しかも、施工の難易度が高い。

ところが、その後、2回目の渡航を考えていた10年前、
バルセロナの方針が変わり、さまざまな機械が導入され、
建設を急ぐことになったと、ニュースで建築界を騒がせました。

残念な仕上がりに
ガウディの建築にふさわしくないと
猛反対を受けて、、、

その後が、気になっていたのですが、、、、。

実になんと、司教が方針を変え、観光のために
造り続けることになったとか。

しかし、現代的な手法は導入されたようで
残念ながら、味気ない建築になってきているのだとか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真左が手仕事の部分。アップの写真で、
一枚一枚石板を組み合わせているのがわかります。
右は、現在の塔。ガラスをカットしたようなもので、質感が均質的。




そして、3Dプリンターで作られている部分も多いそう。
右が元々のモデル原寸模型。
左が現在の仕上がり。あれ?逆?というほど簡素な出来上がりに。
これをクレーンで釣って、乗せるのだとか。


この写真を拝見して、膨らみかたが全然違うことに
設計図もCADで描いたりして、
パソコンで、データ化すると、
微妙な曲線が描けないのではと感じました。
手仕事だと複雑な曲線も生み出せます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その辺りのことが詳しく聞けて、目的は達せたたものの
複雑な心境です。

あのガウディの温もりはどこへ。。。

引き継がれることはないのでしょうか。

もちろん、建築のモノづくりの時代の流れはあります。

しかし、日本で言えば伝統建築のようなもの。
文化財としての、手仕事は、今も続いています。

サグラダファミリアも、世界遺産の一つなのですけれどね。
確かに、時間とお金が膨大にかかるのは事実。
それでも、観光の入場料で赤字になることはないとか。

他国の文化財にイチャモンは付けられませんが
私の大好きなガウディ建築の真髄だけは見失わないでほしいと
思わずにはいられません。

会場には、私と同様、ガウディ建築を自分の目で見て
その変化を残念がる人もいました。

聴講しながらため息を吐かれたり、
ほとんどの方が、驚きを隠せませんでした。

丹下さんの考えでは、
「サグラダファミリアは、ガウデイの最も愚策だ」
という理由もよく分かりました。

若干31歳で、工事途中の現場を引き継いだガウディ。
設計料はすべて、模型モデル作りに費やされてしまったとか。
そういったエピソードを知れば、少し納得。

ガウディの図面がほとんどないことは、
知っていましたが、まさか、2枚だけだったとは!?

こちらの図面は弟子が描いたもの。


ほとんど、感覚のモノづくりで、
現場施工だったんですね。

しかも、一度作った模型も、戦争で焼けてしまい、
破片を集めて、後世の方々は、想像で造っているのだそう。

まぁ、もはやガウディの作品とは
呼べないのも、分からないでないですね。

それでも、私が不思議に思うのは
こうも世界中から関心を集め、
また地元では愛されるガウディ建築なのか?
という点です。

私が、スペインを訪ねた時、
ガウディの教会の近くに住む人が
家の中に、ガウディの建築の写真を飾っていました。

えっ!?家の中にまで!?
と、驚きました。
ガウディが大好きだとご婦人。

もちろん、私は建築に興味があるから
好きとか、言えますが、一般市民の方の
意識の高さに、驚きました。

ガウディ独特の
ヒューマンスケールと曲線美のなせる技なのでしょうか。

空間を体験した身としては、
教会の中の椅子など、何時間でも座っていたかったです。

そして、今回、丹下さんに尋ねてみました。
どうして、こんなに愛されるのかと。

答えは得られませんでしたが
素敵なエピソードを伺いました。

戦争中。地域の人は、ガウディの建築が焼かれないように
花火を打ち上げて、すでに爆弾が落ちたフリまでしたとか。
そうやって守ってきたのだそうです。

私は、このエピソードから
こんなことを想像しました。

どこかの偉い建築家が、図面を描き、
身分の違う職人さん方に、あれこれと指示して
建てるやり方ではなく、

職人さんたちと一緒になって、
あ~でもない
こ~でもないと、
こだわりながら、
それでいて人のリズムで
コツコツと施工されていたのではないでしょうか。

人は人の手仕事を見たら、その建物にどれだけ
人のエネルギーが注がれているのか
理解することができます。

それがやがて愛着となって、
ガウディ建築への愛着となっているのではないでしょうか。

ガウディ→こだわりの曲線美のデザイン
→手仕事でコツコツと施工する職人さん
にその情熱が伝わり→地域の人々に伝搬。

う~むこのような構図があったかどうかは、
当時の人にヒアリングができないので、
もっと他に理由があったかも知れませんが

こだわりのデザインを実際に施工してくれる人を見つけて
想いを共有し、試行錯誤しながら造っていくモノづくりが
当時はあったはずです。

今の時代、この試行錯誤を一緒にする時間、
かける労力が、どんどん減ってきているのが
建築をつまらなくしている要因かも知れません。

最新技術活用を否定しているのではなく
その情熱のバトンタッチみたいなものが、
今の建築にあるか?と、問うてみたいのです。

あ~、難しや、むずかしや。

巨匠とは、きっとエネルギーの塊のような人だったと
想像致します。

それから、丹下さんのお話では
これまではとても親切だったスペイン人だが
最近ではちょっとクールで、冷たいらしい。。。

う~む。スペインは、私にとってはヨーロッパの
九州と同じ。人が温かみがあって、人懐っこくて。
(食べ物も海の幸あり、山の幸ありで)

と、体感していたのに、そうではなくなってきている。

これも、機械的は建築のモノづくりと
リンクしているように感じざるを得ません。

あ~どこへ行く、人々の情熱と建築のモノづくりは!?

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建築を通じて、まちづくりとまちおこしの真の意味を考える

2023年02月06日 | まちづくり


私の生まれ故郷でもある八代に、新しい建築ができました。
設計監理は、最近ご活躍の若手の方です。

施設的には、それほど大規模なものではありませんが、
地域の核となる建物です。

第25回くまもとアートポリス推進賞を受賞を受賞しています。
詳しくはこちら

熊本在住時に、この施設を訪れて
色々なことを考えてしまいました。

建築がどうのこうのというわけではなく、
そのプログラム自体についてです。

この施設が計画されたきっかけは、地域のお祭りが
ユネスコの無形登録文化遺産に登録されたことです。

国指定重要無形民俗文化財「八代妙見祭の神幸行事」
お祭りの詳細は、こちら、https://myouken.com

メインの妙見祭が、平成23年に国重要無形民俗文化財に指定。
平成28年1には、
全国32の祭りとともに「山・鉾・屋台行事」
としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

この地域の無形民俗文化財の保存継承,
交流促進の拠点の施設として計画されました。

建物には、地域の笠鉾が全て保管されています。
そして、交代で、展示されます。
劣化を防ぐために、ライトに当て続けないためだそうです。

また、入場料を払って、各傘鉾を見て欲しいという
運営側の意図もあるかもしれません。

その笠鉾の意匠は、まさに、地域それぞれで大変ユニークなものです。
私が訪問した際は、みかんが乗っている笠鉾でした。
ボランティアガイドさんによると、将軍家にも奉納した
みかんなのだとか。



その地域の、誇るもの、由緒のあるもの、大事にしているもの
などが最上段に飾られています。

本当に精密にできていて、個性的。
他のものは、写真やイラストでしか拝見できませんでしたが
感動ものです。

地域の方が、自分達の技術で修復を繰り返しながら
受け継いでこられたことが、手に取るようにわかります。

そこで、ふと感じてしまったのです。

これらは、地域の核として、
地域が大事に保管し続けてきたものではないかと。

そのお宝を、施設に預けてしまって
良いものなのだろうか。。。。と。

一堂に集められたということは、
地域の人が身近に感じられなくなるのではないかと。。。。

「保管庫に集めることを、反対する方も居られたんですけどね。。。」

私の表情を読み取られたのか、ガイドの方が
地域の方の本音を呟かれました。

自分の代で保管はできても、次の代、そしてまた次の代に
うまく引き継がれるのか、、、苦悩の末の決断なのでしょう。

実際に、お祭りの後継者問題、維持管理問題は、
昨今の少子高齢化で、日本中が抱える問題です。

しかしながら、今の大変さを、
こうした一時的な計画で凌いだとしても、
地域の持つプライドというポテンシャルは
下がらないでしょうか?

煌びやかな飾りを見て、
笠鉾の装飾を競うあうこと=地域の競争力を高めること
だったのではないかと、推察しました。

そのお宝が身近にあることで、
その地域への愛着と、誇り、そして共同の助け合い精神を育む土壌、
となっていたはずです。

そうでなければ、ここまで続きません。

お祭りの発生時期を尋ねると、実はよく分かっていないそうです。
今のスタイルは江戸時代に確立したようです。少しづつ変遷しながら。

しかし、妙見信仰自体は、かなり古いものです。

妙見菩薩は、仏教が中国に渡り、道教を集合したらしいのですが

『妙見は武運を守ると信じられ,平将門,加藤清正など武将はこれを守り神とした。』(ウィキペディアより)

とはいえ、

八代神社(妙見宮)は、福島県の相馬妙見、大阪府の能勢妙見と並んで、日本三大妙見と言われ、

「やつしろぷれす」によれば、
末社である、霊符神社は、


由緒が、
『「肥後国誌」には、「妙見山ノ内赤土山ノ上ニアリ」と記され、(省略)『鎮宅霊府縁起集説』には霊府金板を天平十二年(740)肥後国八代郡白木山神宮寺で版木にちりばめた、と記されており、ここから国中に流布され、、』たそうです。

また、実際に神の化身と、亀蛇が出てくるのが、妙見神が渡来した竹原の津跡と言われています。

『「妙見実記」などによると、天武帝白鳳9年(680年)の秋、中国名州(寧波)から妙見神が目深検校、手長次郎、足早三郎の3人に姿を変え、亀蛇の背に載って海を渡り、この八代郡土北郷八千把村竹原の津に上陸し、約3年感仮座したと伝えられています。』


こうなってくると、仏教が伝来した飛鳥時代からの信仰があったと
分かります。

この長い年月を思うと、近代的な建物の中に、
その歴史を物語る地域のお宝であり、
信仰心(地域の繁栄を願う祈り)が、
閉じ込められてしまったような気になる
のは、私だけでしょうか。

なんだかモヤモヤした気持ち。

この地域のお祭りに参加したこともなく、
赤ん坊時代にしか過ごしていない地域で、

詳しく知らない部外者としての私ですが、
建築施設と、展示を見て感じてしまったのです。

そして、つい先日、このモヤモヤした気持ちを
伝統的建築や伝統文化に造詣が深い同業である
お仲間の一人に打ち明けたところ、、、

「それじゃ、地域の魂、抜かれちゃった感じだね。」

と言われて、ハッとしました。
そうなのです。私が、感じたモヤモヤを言葉にしてくれました。

寂しくないでしょうか。。。

私の懸念は、数年後、数十年後に、お祭りの価値や凄さ、意味などの
継承なく、イベントとしての観光の見せものとしての継承になりはしないか。。。

地域の誇りと地域への愛着は、失われていくのではないか。。。

という点にあります。

笠鉾というモノを保管しているようで、モノではない魂が宿っており
魂を保管している。

もし、これが、まちおこしやまちづくりの視点から、祭りや笠鉾を
見たならば、もっと地域の方々が触れられるような
そんな展示があったのではないかと、思えてくるのです。

その地域、地域に拠点を作るべきではないのか???

お祭りの際に、地域から出てくる鉾が、
一堂に介した施設から出てくるということは、
その地域の心意気を背負えるのだろうか。。。
ということです。

土地の問題など、もちろんあるのでしょうけれど。
今ある場所の整備に費用は回せなかったのかなぁ。。。

地域にないとなると、地域力で修復しようとはせずに、
行政などの後押しや補助金などの利用に
なってくるような気がしてなりません。

だって、自分達の宝物って感じではなくなりますからね。

これが、地方の祭りの現状なのか。。。

日本が、均一化、均質化して、どこも同じような都市になり
チェーン店が並ぶ街並みになり、お祭りは観光資源と化する。。。

それしか、解決方法はないのでしょうか。

お祭りの価値を、真の意味を失わずに、
少ない人数でも、開催できるお祭りへのシフト、
開催時期を隔年にして、負担を減らすなど、
(本当は、ハレの日は毎年欲しいところだけど)

さまざまな運営の工夫で、
これまでも、歴史の荒波を乗り越えてきたこの地域のお宝を
引き継いでいってもらえたらと願わずにはいられません。

そして、この展示を拝見して
地域活動を継続するのは、建築はなく、
より求心力のある「場」であるのではないか。。。

自分自身の建築のモノづくりの方向性も含めて、
改めて、そんなことを考えてしまった今回の施設訪問でした。

保管されている場所は、閉ざされており
木組の説明も読みにくい。 もうちょっと見たいですね。


おまけ
以下、建築やとして、ちょいと気になった箇所。

かわいらしいサインは気に入ったのですが、
みなさん、このサインどこか気になりませんか?

男子トイレ
女子トイレ


女子トイレと男子トイレ、
それぞれにベビーチェアがあることを示しています。

パパがベビーづれでも良いのでは?
っていうかママが、男子トイレに入るんかい!
と突っ込みましょう。人々に、先入観を与えて欲しくないですね。

建築雑誌などの写真は、木造の屋根の小屋組がアップで撮られ
カッコ良い木造施設に一瞬勘違いされるのですが、



遠景では、コンクリートと金属の屋根しか見えず、
もう少し景観への配慮も欲しかったなぁ。。。



実は、写真を拝見して、注目して、
現地を伺っただけに、ちょっと残念な気持ち。

建築って、やはり、実際に現地にいってみないと
分からないモノですね。

人のふり見て我がふり直せで、頑張ります!


コメント
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