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免許取消の回避&軽減、つまり免許停止にしたり処分無しにすることに関しては日本一を標榜しています。

終戦の時期というわけでもないのだけど、凍りの掌

2014年08月11日 | いろいろレビュー
これは・・・
凄まじい漫画に出会ってしまいました。

ふらっと立ち寄った書店の一角、
なんだか不思議な、
優しさとも絶望とも取れる不思議な表紙に目を奪われました。

タイトルは【凍りの掌(て)、シベリア抑留記】です。
原爆の話とか前線で戦った記録とか特攻隊の話などは比較的よく聞いていましたが
シベリア抑留の話に関してはあまり詳しく聞いたことは無く、
どんなもんだろうと思って手に取りました。

きっかけはジャケ買いみたいなものでした。

だいたいこういうお話は
戦争を賛美する人ほど戦争から遠い所にいるという思想が根幹にあるというか
「だから戦争はいけないんだ」というスタンス『だけ』に陥りがちなのですが
この【凍りの掌】では実際にシベリア抑留者だった父親から
著者おざわゆき女史がいろんな話を聞いて漫画にしていくという流れになっているのですが、決して特定の思想を押し付けるような作品ではなく
「どんなことがあったの?」という娘の質問に
「こんなことがあったんだよ」と答える父と娘の関係があるだけです。

柔らく優しいタッチの絵柄は
それが故に命と心を失っていく様を冷静に、痛烈に描き切ります。

特に印象深かったのはお父さんの最初の言葉
お父さんは初めに「あんまり思い出せんのよ・・・」と一言置きます。
それは本当に忘れているのか、それともあまりにも壮絶な体験に
記憶にさえ鍵がかかっているのか、それは分かりませんが
聞かれることがなければ思い出す事も無かったそうですし
奥様に話すことも一度も無かったそうで、それだけでも体験の壮絶さが垣間見えるというもので、シベリアで繰り広げられる現世の地獄は文字通り筆舌に尽くし難いとしか言いようがありません。※多少の内容を含む感想はページ↓の方に別項を作っています。

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ここからは多少内容にも触れるので
別項にしました。



これは・・・
凄まじい漫画に出会ってしまいました。

ふらっと立ち寄った書店の一角、
なんだか不思議な、
優しさとも絶望とも取れる不思議な表紙に目を奪われました。

タイトルは【凍りの掌(て)、シベリア抑留記】です。
原爆の話とか前線で戦った記録とか特攻隊の話などは比較的よく聞いていましたが
シベリア抑留の話に関してはあまり詳しく聞いたことは無く、
どんなもんだろうと思って手に取りました。

きっかけはジャケ買いみたいなものでした。

だいたいこういうお話は
戦争を賛美する人ほど戦争から遠い所にいるという思想が根幹にあるというか
「だから戦争はいけないんだ」というスタンス『だけ』に陥りがちなのですが
この【凍りの掌】では実際にシベリア抑留者だった父親から
著者おざわゆき女史がいろんな話を聞いて漫画にしていくという流れになっているのですが、決して特定の思想を押し付けるような作品ではなく
「どんなことがあったの?」という娘の質問に
「こんなことがあったんだよ」と答える父と娘の関係があるだけです。

柔らく優しいタッチの絵柄は
それが故に命と心を失っていく様を冷静に、痛烈に描き切ります。

特に印象深かったのはお父さんの最初の言葉
お父さんは初めに「あんまり思い出せんのよ・・・」と一言置きます。
それは本当に忘れているのか、それともあまりにも壮絶な体験に
記憶にさえ鍵がかかっているのか、それは分かりませんが
聞かれることがなければ思い出す事も無かったそうですし
奥様に話すことも一度も無かったそうです。

本編は学生だった小澤昌一氏のところに召集令状が届くところから始まります。
軍国主義に塗り固められる世相とはいえ、特に国威発揚のような性格でもなく
ごく普通に暮らしてそれなりに余暇も楽しむ、そんな昌一氏ですので、
令状が来て下宿に家族が迎えに来てもあまり実感がありません。

あわただしく訓練に移りますがそこでもやはり『これから人殺しに行く』という覚悟どころか、現実を受け入れることさえできませんでした。
そしてたった2週間の訓練では節約と称して一発の実弾さえ撃っていないまま満洲への異動とそこで待っているのは上官からの理不尽な仕打ちです。

少し余談になりますが
戦争を扱う書物には2つの潮流があると思います
日本軍の高尚さを賛美するものと
人間の汚さをあげつらうものです。

どちらも真実だと思います。
日本軍の掲げた理想はたしかに荘厳かもしれない
でも上澄みと澱みは一続きではあっても別のものです。
結局のところ小さい範囲で思い通りになった人間がとる行動など
洋の東西時代の今昔を問わず大して変りはないのだろうと思います。

軍隊としての規律や考え方は正義や士道に基づくものかもしれない
でも現場の人間にはそんな迂遠なことではなくただ目の前を生き延びることの方が重要だったろうし、少し上の地位なら小さい世界の権力に酔うことの方が楽だったのだろう。

視点が違うだけの話なのだ。
だから僕も南京虐殺自体はでっち上げだと思うけどごく小さい地域でのトチ狂った連中が勝手なことをした事件、たとえば略奪や現地の人への暴行というのはいくつかはあったはずだと思います。

ただ事実に基づいて裁かれるべき、それだけであって
下らない政争の愚や金儲けの道具にすること自体が
本当の被害者をコケにしていることに他なりません。

本編に戻ると、日ソ中友好条約を破棄したソ連による満州侵攻によって駐屯地を壊滅させらての異動、直後の停戦の報・・・そこでは武装解除の命令と別の場所への移動

しかしそれはソ連に集められただけのことで、ソ連兵からの『ダモイ(帰国)』という言葉に歓喜するものの船に乗って付いた先はソ連領・・・「もしかして自分たちは捕虜になったんじゃないか?」という仲間の言葉に立場を確認するも、ただ気付いたのが早いか遅いかの違いに過ぎず、残留兵たちの地獄の入口に向かう片道行軍が始まりました。

それは先の見えない絶望でした。

これらのきっかけになったのは
スターリンによる敗戦国日本についての極秘文書で
シベリアで働かせる日本人50万人の選出というもの、
これがシベリア抑留の根拠になっているようです。

極寒の外に対して灼熱状態の炭坑内作業や、マイナス30度の中での石炭の露天掘りなど
ちなみにマイナス40度なら作業は中止になったそうですがそれでも凍傷で手足の切断は後を絶たず、終わりの見えない絶望感に押しつぶされていき、徒歩での移動中に仲間が死んでいく様を脇で見ているのに何もできない、やろうとする意思さえ起きない
文字通り筆舌に尽くしがたいという他ありません。

宿舎に帰れば仲の良かった仲間も体を壊し、故郷の唄を歌いながらゆっくりと死んでいきます・・・

結局小澤氏が最初に入った収容所では実に半数が命を落としたそうです・・・

その後小澤氏は肺炎にかかり医療施設に行くのですが、そこでは病気などで死んでいく仲間や宿主が死ぬと一斉に見捨てて他の人間に移ろうとするシラミの群れなど、自分たちが
死んでも構わないと思われていることを再確認して益々絶望は深まっていきます。

やがて体力別に振り分けられて他の収容所に行った頃には幾分気候も和らぎ
多少余裕も出てきます。
そこでは建築作業などをさせられるのですが、ここのロシア人たちは日本人の繊細な技術に対して敬意を払っている人も少なくありませんでした。

もっとも他の収容所では粗暴な連中もいくらでもいたようですが・・・

ただ幾分待遇が改善されたとはいえ
軍属当時の上下士官の関係は残ったままだったので
相変わらず上司は横暴な振舞いを続けていました。
そんななか捕虜から何人かが選別され共産主義思想を叩きこまれ、すっかり共産主義者になり他の捕虜に共産主義の素晴らしさを説いて回るものが出始めます。
【アクチブ】と呼ばれる扇動家の出現です。

収容所の中でも共産主義に傾倒するものが出始め彼らの給与(支給される食事)も増えていき、反抗的な態度を取るものや、アクチブに対して横柄だった元上官などが
密告の末の糾弾の対象となり精神的に壊されていき、他の者にも自分に有利な帰国条件ができるという噂を信じ込み密告が横行するようになります。

ちなみに端々に出てくるエピソードですが現地でのロシア人との交流もある程度あり
気のいい人も沢山いたようです。

そして突然の帰国、
しかし帰国後も『アカ(共産主義者)』と呼ばれて就職ができなかったり
その足で共産党本部に駆け込んだり、更に他国からの復員兵には出たはずの補償金が
抑留者は公的には捕虜ではないという理由で補償金が出なかったり、

結局最長では実に13年もの抑留生活を強いられた人たちもいたとか・・・

そして父娘は舞鶴で行われた引揚げ祈念50周年の式典に参加しますが、きっかけはお父さんからの「お父さん、行こうかと思うんだわ・・・」という言葉でした。
(シベリアから帰ってきた船が入港したのが舞鶴港)
60年前のおぼろげな記憶に重なるのは着飾った出迎えの女性たち
自分達を「アカ」と呼んで蔑む視線、そして何の補償もない現実、
それでも確かに在ったのは仲間の魂を一緒に帰らせることができたという戦友への想いでした。

作中でも語られますが
「何が正しいのかは分からない」
これに尽きると思います。

これをどうとらえるかは人それぞれですが
戦争はいけない、それはもちろんです。
でも捕虜になったり他国の奴隷になるっていうのは
戦争があったからではなく負けたからです。
そして反戦無抵抗主義というのはつまるところ何もせずに負ける道を選ぶということに他ならず、無抵抗で負けるってことはこういう状態をも受け入れるってことですよ

良いか悪いかでいえば
悪いに決まっています。

でも数人の狂人が判断を誤れば即座に同じような状況は起こり得るんですよ。

戦争というものの有り方について
深く考えるきっかけになる、歴史に残る名作だと思いました。

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2 コメント

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「女たちのシベリア抑留」 (千手成庵)
2014-08-12 17:06:43
とうい番組が、8月12日NHKBSで放送されます。
抑留されたのは男性だけではなかったのですね。
返信する
>千手成庵様 (内村世己)
2014-08-13 12:40:20
残念ながら見れなかったんですが
そういうのもあったんですね・・・

体力の低い女性ならさらにきつかったと思います・・・

今後の課題として控えておきますm(__)m
返信する

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